読書アプトプット#23#24#25「ずうのめ人形/ししりばの家/などらぎの首」
[1]はじめに
今回は、大人気ホラーシリーズ「比嘉姉妹シリーズ」の2作目「ずうめの人形」3作目「ししりばの家」4作目「などらぎの首」について、まとめて所感を綴っていこうと思う。なるべく重大なネタバレは無しで書いていきたい。ミステリー系の本は、読んだ後に読者の考察を見ることで、2度楽しめるのが良い。考察で使われていた言葉も一部引用させてもらっている。
私は過去に本シリーズの1作目「ぼぎわんが来る」を読み、アウトプットした。↓
本作によって、「人に"恐怖"を与えるのは対象それ自体の姿形や性格ではなく、人々に恐れられているということ自体ではないか」という筆者の考えと、その思想が投影された恐怖に衝撃を受けたわけだ。
以降の作品でも、その流れは顕著に表れていた。
[2]比嘉姉妹シリーズ2作目「ずうのめ人形」
あらすじ:オカルト雑誌で働く社員が受け取った、とある原稿。読み進めていくと、作中に登場する人形が現実にも現れるようになる。原稿を読んだ人物は、人形によって5日以内に呪い殺されてしまう。迫りくる死を防ぐために、原稿に登場する人物に会いに行き、呪いの原稿の謎を解き明かしていく。
今作でも、前作同様、クライマックスにかけて怒涛の伏線回収、そして新事実が次々と明らかになっていく。
「ぼぎわん」との共通点もあって、あるキャラが秀樹のように「大部分が主観で話が展開されているために、客観的にその人物を見たときにはじめて、その狂気に気付く」現象が起きている。このどんでん返しが堪らなくなってしまうのだ。
人は自分にとって都合の悪いものを無意識に削除して、記憶を最適化していく。それは良い意味でも、悪い意味でも。この現象は、我々の生活の中でも、半ば日常的に行われているのではないだろうか。ちょっとしたトラブル(理不尽な罷免、いじめ等)により、不利益を被ったとする。加害者側は忘れていても、被害者側は一生忘れない。被害者にとって、それは「ちょっとした」トラブルなどではない。果ては自分の人生を揺るがしうる、または狂わされた出来事だったかもしれない。はたまた、逆に、決して不利益ではないのに、被害妄想で勝手に恨まれる場合もある。捉え方によって、行動は如何様にも意味を持ち、正解はないのだ。正解かどうかは、たいてい「世間一般の常識(法律や規則を含む)」が基準にされる。しかし、被害者側にとっては、常識などどうでもいいのだ。今作終盤に、物語全般の被害者がとった行動は、果たして正解だったのだろうか。あなたはもし、最愛の人を奪われたら、そしてその殺した人物が目の前にいるとしたら、どうしますか。
今作は「いき過ぎた個人主義」を象徴している。
[3]比嘉姉妹シリーズ3作目「ししりばの家」
あらすじ:夫の転勤先の東京で幼馴染と再会した女性。しかし招かれた家は、不気味な砂が散る家だった。怪異の存在を訴える女性に異常はないと断言する。はたしてこの家に「怪異」は存在するのか――。
「ぼぎわん」で圧倒的な能力を見せつけた最強の霊能力者で、比嘉姉妹の姉方である琴子のオリジンが描かれる。1作目とはあまりにも違う彼女の姿にまずは驚くことだろう。
今作は、前2作とは対称的に、「いき過ぎた全体主義」を象徴している。今作の怪異は、グループの輪が乱れることを何よりも許さない。適度な全体主義があることによって、チームの調和が保たれ、社会は回っていくのだが、それが過度であると、各個人が持つ野望やアイデンティティが失われ、ただの屍になる。個性が潰されることは、実は何よりも無意味で、何よりも哀れであることが分かる。今作の主人公も、怪異とはまた違った形で、いつも同じ行動をし、同じ時を過ごす刺激のない人生を受け入れている。そこに琴子の登場や、日に日に起こる現象の発生をピースに、彼は現状を打破する決断をする。
言葉にするのが難しいが…こういった経験をしている人もいるのではないだろうか。毎日同じ時間に起き、同じ時間に出社し、会社で同じ業務をこなし、同じ時間に帰ってきて、同じように寝る。果たしてその中に、自分の個性<アイデンティティ>はどれくらい含まれているだろうか。全ての行動が、違う人物に代替できるとしたら、AIに代替できるとしたら、そこに感情を乗せたものが一つもないとしたら、もはやその対象は自分である必要がない。
それって、あまりにむなしく、あまりに無意味だと思わないだろうか。
また、主人公と同じく、多少の障壁を受け入れてでも、本当の感情を押し殺して、変えていくべきと分かっていても現状維持に振り切っている自分はいないだろうか。家族を守るため、意識的にもしくは無意識に、そのようなマインドを持って行動している人は多いだろう。しかし、それが良いかどうかは別として、常に現状維持な人生を目指すべきなのだろうか。
2作目は「いき過ぎた個人主義の話」3作目は「いき過ぎた全体主義の話」であり、これら2作を通して「個人主義と全体主義のバランス」がいかに大切かを私は実感した。これらの主義のどちらに振り切っても怪異が生まれてしまい、しかもその怪異に我々人間も現実世界でなりうるのだ。
[4]比嘉姉妹シリーズ4作目「などらぎの首」
今作はシリーズ初の短編集となっている。これまでの作品を読んできた方なら、ピンとくるキャラが毎回登場している。一見登場していないように見えるエピソードにも、あの人物が…!!
基本的に、胸糞悪かったり、腑に落ちず終わるエピソードが多いが、中でも「居酒屋脳髄談義」は秀逸なエピソードだと感じた。感想を書いている人の中でも、これが良かったと言っている人は多かった。
最後がスカッとする綺麗なオチでありながら、自分に当てはめて考えたときにハッとさせられるような気付きも得られる。おすすめです。