やってはいけないリーダーシップ
今回も引き続きリーダーシップについて掘り下げて考えます。
前回リーダーシップには、決まった型や能力はなく、それぞれのリーダーが独自の強みに根ざした尖りで人を率いていくのがリーダーシップであるというお話をしました。
つまりリーダーシップが機能していないチームとは、
のどちらかになります。
今日は②の「絶対にやってはいけない、間違ったリーダーシップ」について詳しく解説します。
やってはいけないリーダーシップ
リーダーシップで一番勘違いされやすいのは「リーダーが上、部下が下」「自分は優秀、部下は無能」「自分が命令、部下が行動」というイメージです。
この間違ったリーダーシップは部下やチームから主体性を根こそぎ奪い去ります。
この常識がチームの「儀式」に埋め込まれているチームは、主体性あるチームに変化することはできません。
「儀式」とは、そのチームにおける通例になっている行動様式のことで、例えば「会議が終わったら、上司より先に退出してはいけない」会社は上位下達の儀式、「仕事の進め方をすぐに他人に聞くと考えろと怒られる」会社は自主学習というメッセージを強める儀式を取り入れています。
主体性を破壊するリーダーの代表的な良くない儀式は「上司が命令したいと思っていることの範囲だけで、部下に選択させる見せかけの権限委譲」や「オープンな対話をしようと持ちかけながら本心ではリーダーの見解や行動プランを全員に賛同させたいと思っている会議」です。
こういった儀式は、「自分が上、部下が下」「自分が優秀、部下は無能」…といった思想が元になっています。
これらの思想から生まれるリーダーシップは、従業員から自由とやる気を奪う「消耗型リーダーシップ」といえます。
消耗型リーダーシップの功罪
でも、よく考えると、とんでもなく優秀なリーダーが全てを支配し、業績を上げるというスタイルも確かに存在します。
超優秀なリーダーがマイクロマネジメントし、メンバーをロボットのように動かす、ただしその指示はとんでもなく的確で、やることなすことバカあたり、、、ありますよね。
そう考えると、このスタイルは正しく機能する、と言うことになります。
しかし、このスタイルは大きなリスクをはらんでいます。
例えば、事業範囲や組織範囲が拡大し、リーダーの目の行き届かないサイズになった場合はどうでしょうか?
リーダーが強力な組織では、従業員は自然と受け身になります。考えるのはリーダーなので、メンバーはリーダーの指示を迷いを持たずに素早く行動に移す習慣が磨かれます。
だからリーダーが目の届かないところが出てきて、現場が判断しなければいけない状況でも、メンバーたちは自分で判断するということができません。自分で考えた経験がないからです。
そして、独裁タイプの天才の元では後進も育ちません。自分で考え、行動し、失敗を通じて人間は成長しますが、独裁タイプの天才のもとでは自分で考え失敗する体験は許されていないからです。
つまりリーダーの能力値を越える環境に変わった途端、このチームは機能しなくなります。
そしてもう一つ、リーダーが変わった場合はどうでしょう?
辞職、転職、異動…独裁者がいなくなり、指示をしてくれる司令塔が不在になった場合、このチームの機能は瞬時に停止します。
しかもカリスマを代替できる人は簡単には見つかりません。
つまりこういったチームはリスクや弊害も多いのです。リーダー最適がいきすぎた組織は非常に脆くもあるのです。
カリスマ独裁者のもとで労働は続かない
また、終身雇用の時代ならともかく、容易に転職できる現代でこのようなリーダーシップのもとで長く働きたい人間が何人いるでしょうか?
私ならお断りです。みなさんなら?みなさんよりも「自分らしさ」に執着を持つ若者たちはどうでしょうか??
成功しているうちは従う人間も出てくるでしょうが、業績の陰りが見えた途端に人が離れる可能性のある砂上の楼閣的リーダーシップともいえます。
みなさんが天才で、この変化の多い時代の流れを読み切って的確に指示を出し続ける司令塔であり続けられるなら、一つのスタイルとしてアリともいえますが、ほとんどの人は天才司令塔にはなれません。
「リーダーは上」「リーダーは優秀」「リーダーが命令」…などのリーダー優性思想は捨て、エンゲージメントの【5C】を軸に、自分の強みを活かしたサステナブルなリーダーシップを目指すことをお勧めします。