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縄文脳をインストールして、自由を取り戻せ!『土偶を読む』竹倉史人

0、土偶って、怖い

土偶。
現在38歳の私が一番に初めに思い浮かぶのは、「ドラえもん のび太の日本誕生」である。縄文時代の日本を舞台に、クラヤミ族とヒカリ族の戦いを描く映画なんだけれども、このクラヤミ族が妖術で操っているのが土偶なのである。土偶(映画の中ではツチダマと呼ばれている)は壊れても壊れても再生して死することを知らず、執拗にのび太たちを追い詰める。

『ドラえもん のび太の日本誕生』(1989年)なにその口、怖いんですけど。
『ドラえもん のび太の日本誕生』(1989年)これがくっついてまた追いかけてくる。ひー!

異様な顔のお面も相まって、土偶は恐ろしいものとして幼心に刻んだ同年代は少なくないと思われる。

言葉や文化が未発達な野蛮な世界で、妖術や恐ろしい黒魔術の憑代として使われていたもの・・・土偶。

が、『土偶を読む』の帯には、恐ろしさの「お」の字も感じられないポップなピンク色が使われている。
さらに、何だか素朴な栗の写真が間の抜けた行間の中に配置されていて、『130年間解かれなかった縄文神話の謎』を解き明かすというのに、まるで神秘性が感じられないのである。

いったい、この本で土偶の何が解き明かされるのだろう・・・
私は怪訝な顔でその表紙をめくったのでありました。

1、縄文人のゆるキャラ、土偶

この本を読み終わったとき、多分ほとんどの読者が感じていることがあると思う。それは
土偶、めっちゃ可愛い!!
ということである。

本当に簡単に、誤解を恐れず言えば、土偶は縄文人たちによって作られた“ゆるキャラ“なのである。
現代の地方都市の人々が、土地の名産品をモデルにキャラクターを作り、まちの興隆を望むように、縄文の人々は、身近にある木の実や海産物をかたどった土偶を作ることで生活の繁栄を願った。

筆者の論考の中心は

土偶は食用植物および貝類をかたどったフィギュアである

『土偶を読む』竹倉史人(晶文社)以下同様 P132

にある。
表紙にも図解されているし、めくってすぐのカラーページにも列挙されているので、本屋で本書を手に取って少しめくればわかること、隠す必要もない。

いやしかしちょっと待って。
130年間解かれなかった謎の回答なんだよね? 
こんな簡単に答えいっちゃっていいの?

っていうことに、この記事を書こうとして、私は気づいた。あれ、この本、こんな神秘の回答をすんごく簡単に明かしてない? めっちゃ頑張って調べたこと、もっと勿体ぶって明かした方がよくない? と。

とはいえ、そんな急に言われても「ゆるキャラ?」「フィギア?」てなもんで、写真を見たってすぐ理解できるものではない。本書で、著者の論考の流れを追っていくことで、だんだん理解が追いつき、最後にはあの怖かった遮光器土偶が里芋の精にしか見えなくなる現象にまで辿り着く、という事実はある。

とはいえ、結論大好き人間の多いこのご時世。そんな大事な回答、やすやすと先に言ったら、「へーそうだったんだ!」で肝心の本文読まない人続出しちゃうよ! と心配になる。
その心配は消えないんだけど、でも、この本の醍醐味は、土偶が本当は何だったのか、という謎解きの回答そのものではない、ということだったのである。

2、縄文脳をインストールして、自由を取り戻せ!

ちょっと話は変わるのだけど、私は最近、アフリカ文学にハマっている。これについてもまた別の記事で書きたいと思っているけど、アフリカ文学の魅力を私なりに端的にまとめると

・小難しい抽象性を廃した、具体性の魅力
・理論より感性が優勢にある人々の行動
・性より生が躍動する世界観
・多神教的な自然観

なんかがある。私はそんなアフリカ文学、ひいてはアフリカという世界に、未知の自由を感じている。

そして、本書の中で著者が立ち上げていく、縄文人たちの生活の中にも、上記と同じような魅力をそこはかとなく感じている自分がいた。

筆者は最終章で、どうして「これハマグリに似てるな」なんていう簡単なことをこの100年もの間、いう人がいなかったかについて以下のように考察している。

私はここに近代社会を牽引してきたモダニティ精神の限界とその歪さを感じ取らざるを得ない。学問の縦割り化とタコツボ化、そして感性の抑圧、女性性の排除ー。(中略)これまで男性たちによって独占的に形成されてきた「職業としての学問」では土偶の謎は解けなかった。

P331

そっか、これか。と思った。
縄文時代もアフリカと同じ(っていうのは強引だけど)世界、つまり、近代社会を支配する価値観や精神とは反対側に位置するものなのだ。
抽象的で、論理的、何でもかんでも二元論の性やエロスに還元されて、鋼のような体と精神が賛美される一神教の世界の反対に位置するもの。

近代社会に飽きたのか、疲れ果てたのか。
どちらにせよ、縄文人たちが作った土偶の「全体性」(P331)が、私に未知の自由を感じさせてくれたという事実。

縄文脳をインストールして、縄文人たちが体現した全体性をめいいっぱい感じること、そして、私たちの目の前にある社会がどんなものか見つめ直すこと。

それが、本書を読む最大の醍醐味なのだと思う。

3、江戸の好事家、貝塚、池上

その他、雑雑と感じた面白みを。

●江戸時代、縄文遺跡は掘り放題だった?

亀ヶ岡は津軽半島の南西部に位置し、一見のどかな田園風景が広がるごく普通の農村だが、かつては「瓶ヶ岡」と表記され、江戸時代には好事家たちの間ではちょっとした評判の場所であった。というのも、このあたり一帯は、地面を掘ると不思議な「瓶」が山のように出てきたからである。

P276

この「瓶」というのは今でいう縄文土器のこと、さらに「人型」(土偶)も出てくるとのことで、江戸時代、お伊勢参りのように、土器の発掘が一部の人たちの間で流行ってたなんて想像すると、とても面白い。

彼らは出てくる土器や土偶を何だと思ってたんだろう? 案外、筆者と同じ考察をしていたかもしれない。

●会いに行ける、貝塚

深い藪を抜けると、文字通りそこは「貝塚山」であった。
標高25メートルほどの丘の中腹には、無数の白い貝殻が散乱していた。(中略)内陸の丘の上に数千年前の貝殻が散らばっているーー初めて見るその不思議な光景に、われわれは鳥肌の立つような思いであった。これらの貝殻はすべて、縄文人がその手で拾い上げ、身を剥いてここに置いたものなのだ。

P113

縄文、遺跡、なんていうと、もうプロがすべて発掘し尽くして、囲いがしてあったり、博物館や資料館に収蔵されているもの。私たちが触れられるのは、そうした公式の、誰かの手を介したものしかない、と思っていた。

がしかし、本書を読んでいると、そんなにガチガチに調べ尽くされ、手も触れられないようなものでもないようだということに気づく。
上の記述にある椎塚貝塚は、場所を明確に特定した資料もなく、だからもちろん、誰かが管理しているわけでもない。「遺跡」とは違う、生の、本物の、「跡」を感じにいくことができるらしい。

これは、読んでるこっちも興奮したし、行ってみたいなと思ったのでした。

●ワトソン・池上の存在

考古学を専門としない(文化人類学が専門の方らしい)学者さんが、これだけの研究を行い、さらにこれまでと全く違う学説を世に発表するには相当な苦労があったらしい。「おわりに」にはたくさんの人々の名前が出てくる。

アカデミックな世界のつまらなさ、というか風通しの悪さみたなものには色々思うことがたくさんあるけど、とりあえず今はそれは横に置いておいて、この協力者の中でも一際異彩を放つ人物に注目したい。

とりわけ池上は常に私に帯同した。この4年間、春夏秋冬、津々浦々、山の頂から海の底まで行動をともにしてくれた。各所で拾ったものを最初に食べるのは彼の役割であった。また研究アシスタントとして、運転、記録、撮影、画像編集、博物館や自治体との渉外など、多岐にわたってプロジェクトに協力してくれた。

「おわりに」P346

二人の関係性は、本書を通じてそこかしこに散りばめられている。それはまるでシャーロックホームズと、ワトソンとの関係のようで、最終章を読み終わるまでに、われわれは哀れなワトソン池上を愛してしまっている。


この記事で紹介しているのはこの本です↓
「土偶を読む――130年間解かれなかった縄文神話の謎」竹倉史人(晶文社)

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