#6 「命は時間だ」教師になる夢、人生の師との出会い、蒲鉾屋、郵便局員とさまざまな経験をしてきた小山田大和さんが20代に伝えたい想い。「正しい価値観と熱意、そして諦めずにコツコツと」
for 20's第6回目のインタビューのお相手は合同会社小田原かなごてファーム小山田大和さんです!持続可能な農業として昨今注目を集める「営農型太陽光発電(ソーラーシェアリング)を神奈川の地で取り組まれ、現在7つ目の設備の作り込みに向けて動いているとのこと。小山田さんの周りには熱い想いをもった若者も多く集まります。
そんな小山田さんに、20代の羅針盤となるような経験談やマインドセットを聞いてきました。
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<聞き手・ライター:桝井孝一・茂野そら・金子圭介>
1. 20代前半の経歴
自分が尊敬する経営者のもとで働きたい
for20's第6回目の取材のお相手は合同会社小田原かなごてファーム小山田大和さんです!本日はどうぞよろしくお願いします!(インタビュワー・桝井)
ありがとうございます!よろしくお願いします!(小山田大和さん)
早速ですが小山田さんは20代前半の頃どのように過ごされていましたか?
大学時代に学生自治会という、いわば生徒会のような団体に所属していました。そこで自治会長になり、地域づくりに繋がるようなイベントを開催するなど、今までにないような取り組みを多く実施しました。また法学部だったこともあり、法学部を出る以上は法律系の資格を一つ取っておきたいなと思い、行政書士の資格を取得しました。ですが、大学時代はどちらかというと勉強と学生生活、サークルも含めた課外活動を両立する人間でありたいと考えていて、大学祭をはじめとした様々な活動の企画・運営を通して得た経験が、今の活動の原点にもなっています。
私も法学部に所属していました。在学中に行政書士の資格を取得されたのはすごいですね。
本当は学校の先生になりたくて、教員免許も取得したのですが、僕らの時代は先生が足りすぎていて、なりたくても難しい時代でした。また、先生になるにしても民間企業に就職する経験は必要かと思い、鈴廣というかまぼこ屋さんに就職しました。その鈴廣の副社長の方が、僕の人生の師になっています。
どういった経緯で鈴廣さんに入社されたんですか?
大学祭の企画を行っていた際、通例として大学祭ではゲストとして芸能人を呼び盛り上がることが多かったのですが、せっかくなら青少年にとって学びのあるゲストの方に来ていただきたいと思い、ご縁があって鈴廣を訪ねました。当時の僕は、ぼんやりと大人に対する不信感を抱えていたのですが、そこでお会いした経営者の方の人となりに触れ、感銘を受けたことがきっかけです。かまぼこ屋さんに入りたいというより、自分が尊敬する経営者の下で働きたいと思い入社を決めました。
何がやりたいかではなく、誰のもとでやりたいかですね。入社後はどのようなことに取り組まれていたんですか?
主に新規出店や新規ブランドの立ち上げに従事していました。製造や販売、飲食店など様々な部門があるので、入社後は一通り研修を通じて学びました。当時男性の新入社員は入社後2年間は工場で勤務するのですが、僕だけ唯一新規ブランドの立ち上げに関する企画室に配属されました。また半年後に室長になり、ブランディングやマーケティングについて多くのことを学びました。
入社後半年で室長に就任するのは、会社からの期待の表れですね。当時苦労されたことなどありますか?
若い人はなかなかかまぼこって食べないですよね。当時もおせち料理やうどんにちょこっと乗っているくらいでした。このまま行くとかまぼこの需要が減ることが懸念されていたので、かまぼこの原料である魚のすり身を多くの人に食べてもらうシチュエーションを作るブランドを作ることが求められました。そうした中、若い人たちが集まる代官山での出店を決めました。
代官山ですか!ファッションをはじめ、トレンドが集まる街ですね。どういったお店だったんですか?
外食と内食の間に中食という産業があるんですけど、簡単にいうとデパ地下などにあるお惣菜屋さんです。家であんまりご飯を作らないけど、外食も気が引ける。だから、作られたものを持って帰って家で食べる中食の市場が当時とても伸びていたので、そこに参入できるお魚料理を考えていました。小田急百貨店や伊勢丹、高島屋などに行き、プレゼンを行うことも多かったです。
確かに、お惣菜って気軽に購入できるので良いですよね。一番印象的だった商品は何だったんですか?
かまぼこって英語でフィッシュケーキっていうんですよ。およそかまぼことは思い付かないですよね。北欧などではフィッシュケーキは一般的で、ケーキは平らって意味なんです。その違和感がいいなと思い、フィッシュ&ケーキデリという名前の商品を作りました。平らになっているので、パテとしてハンバーガーに入れて食べたりなど。これは自分の中で今でも思い入れがありますね。あとは、魚肉ソーセージ作り替えて、肉のソーセージのようなプリプリ感が出る商品を作りました。
2. 20代後半のご経歴
郵政民営化が始まった激動の時代
代官山で出店されてから、20代後半はどのように過ごされていましたか?
オペレーションの見直しやブランドとしてのニーズを高め、売り上げの確保などに取り組んでいたのですが、このままだといつまでも先生になれないなと思ったんですよね。
そうですよね、そもそも会社員を長く続けるつもりはないと仰っていましたもんね。
そうなんです。なので、そこを一つの区切りとして鈴廣を辞め、先生になるための動きとして塾の先生や高校の非常勤講師を始めました。その頃、郵便局に行った際に願書が山積みになっていて、たまたま手に取って記念受験的に受験しようと思ったら受かったんですね。ただ常勤の先生になるのは難しいことや、その頃結婚していたこともあり、家庭の安定のために非常勤講師ではなく郵便局員になりました。
会社員から塾講師、非常勤講師の後に郵便局員。まさに激動ですね。
そういう意味では、20代の前半も後半も含めて確固たる信念や揺るぎない思いがあったわけではなく、今の自分から見ると人生絶賛迷走中といった感じでしたね(笑)本当に教員になりたかったら、どこまで行っても教員になろうと思うのですが、妻のことや生活のことを考えるとそれを選ばなかった。それは今と当時の覚悟の違いだと思っています。20代の頃はあれもこれもできるとなんとなく思っていました。でも、逃げ道を見出しているうちは結局何もできない。逃げ道がなくなった時に真価が問われるというのは、僕の人生の中ですごく哲学的に思っています。
教育はすごい広い意味で言えば教師じゃなくてもできますもんね。教育が好きで、教師という選択肢は選ばない形が今のお仕事につながっているのかもしれませんね。
そう思います。先生になると学校教育しかできないけど、今の僕の立場は学校教育だけではなく、社会教育や生涯教育など、様々な教育形態ができるので、広い意味で教育に携われるという意味では今の立場の方が良かったのかなと思いますね。
郵便局に入社されてからはどんなことに取り組まれていたんですか?
入社当時の2007年は郵政民営化の年だったので、入社後すぐに公務員ではなくなり、会社員になりました。郵便・貯金・保険が郵政3事業と呼ばれ、それぞれで社員の役割が分かれており、入社後は保険を取り扱っていたものの、民営化の影響で貯金やハガキ・切手も売るなど、全ての仕事を行うようになりました。まさに激動の時代でしたね。また、営業マンとしては成績が良かったため、収入も上がりました。ただその時、今の自分から見ると調子に乗っていたというか、脇が甘かったなと思うことはありますね。特に2010年、2011年は営業成績が良く、「営業最高優績者」として郵便局全体から2年連続表彰されました。元々やりたかった仕事ではないけれど、保険の営業マンとして数字が取れてくると、自分の成績が上がればいい、収入が上がればいいという考えになってきてしまったんですよね。でも、それは本来の自分とは考え方が変わってしまっていて、自分の中で葛藤する日々でした。
バリバリの営業マンから現在のお仕事に繋がるイメージが湧きづらいのですが、何か大きなきっかけなどあったのですか?
そんな2011年に東日本大震災が起きました。そうした時に、人生の師から電話がかかってきて久しぶりに会うことになり、原発の話や再生可能エネルギーの話などする中で、原発が必須ではなく様々な形でエネルギーを生み出す取り組みを行うことを、経済人の立場からしっかりと発信する会を作りたいとお話を受けました。そこで事務局をやってほしいと依頼があり、見込まれていると感じたのが非常に嬉しく、郵便局を勤めながら事務局を行うことになりました。そこから原発について勉強を行うようになり、原発を稼働させる前に自分たちができる取り組みはたくさんあると感じるようになりました。例えば工場に屋根があるなら、屋根に太陽光をつけてその電気を使うなど。反対運動を行うのではなくて、そういった取り組みを経済人が行うべきだという新しい考えが自分の中で染み渡りました。
様々なご縁や出来事によって、地域とのつながりが増えていったんですね。
元々大学時代から、自治体も含めた地域とのつながりや、地域活性化に興味はありましたが、地域活性化が仕事にできるなど思っておらず、仕事の余暇として地域の活動に取り組むくらいでした。でも、人生の師や妻のサポートもあり、2014年に郵便局を辞め一般社団法人の事務局長になりました。もちろん、自分がちゃんとやれなかったら郵便局に戻らず、路頭に迷うという覚悟のもと、踏み込んで行きました。
3.大切にしている価値観や考え方
「命は時間だ」
小山田さんが大切にしている考え方だったり、価値観はありますか?
「命は時間だ」という、人生の師が教えてくれた言葉です。人生を80年として、時間に換算すると70万800時間なんですが、物質的に言えば70万800時間を1秒1分1ヶ月すり減らしていくのが人生なんですよね。だから、つまらない授業などで「この1時間早く終わらないかな」と考えるのは、自分の人生が1時間早く終わらないかなと考えるのと同じだと言われた時に衝撃を受けました。
確かに、身近なことでも早く終わらないかなと考えてしまうことはありますね。
だけど、人間なんでつまらないものはつまらないですよね。だから、その1時間がもしつまらないなら、どうやって面白くしようかを考えるのが大事だと教えてもらいました。自分の命は限られているので、今できることを一生懸命やる、その積み重ねだなと思っています。
なるほど、僕も時間の使い方を今一度見直してみます。考え方の部分では大切にしていることはありますか?
「正しい考え方を持つ」ことです。郵便局の営業マン時代に、営業の数字さえ取れれば何やってもいいんだと思ってしまった自分がいたのですが、やはり調子がいい時ほど脇が甘くなるんですよね。なので、自分なりに正しく生きる、どんな状況においても自分がブレないことを意識しています。人間は正しい考えを持っているけど、正しくない考えも持っている生き物。なので、正しい考えを持つ努力する必要があると思っています。あとは、営業は事前準備が8割という考え方は今の仕事にもつながっていますね。
4.困難な壁にあたったときの対処法
内省する機会が必要
壁にあたったときに小山田さんはどのようにそれを乗り越えられてきましたか?
「反省する」ことですね。人間なんで、自分が良くなかったと認めたくない時もあると思うんです。ただ、一人でお風呂に入っている時などに、客観的に見てあれはやっぱり間違っていたなと内省する機会がないといけないなと思います。
5.もし今20代に戻れるなら
今の20代の人には、好きなことをやってほしい
小山田さんがもし今「20代に戻れる」なら何をしたいですか?
あまり戻りたいとは思いません。今の20代の人には、自分の時代のように出る杭は打たれるような思いはしてほしくないと思います。何かあったら守るので、好きなことをしてほしいと考えていますね。
6.今の20代のメリット
無限の可能性がある
小山田さんが思う「今の20代のメリット」ってなんだと思いますか?
「無限の可能性があること」だと思います。歳を重ねるごとに、しがらみが多くなっていくものですが、10代、20代のうちはしがらみがない分どんなことでも挑戦してもらいたいなと思います。失敗したって助けてくれる人もたくさんいるし、どんどん失敗して経験していってほしいと思います。
7.今の20代のデメリット
粘り強く、コツコツと
小山田さんが思う「今の20代のデメリット」ってなんだと思いますか?
「諦めが早いこと」ですかね。切り替えが早いとも言えるのですが。例えば人間関係もそうですが、コツコツと関係性を深めて粘り強く築いていくことが大切だと思っています。その場で結果が出ないから諦めるのではなく、諦めないタフな心は持ち合わせているといいですね。
タフな心、、学生でも部活などを通じて育めることですね。
SNSやインターネットにも抵抗がなく、当たり前のように使いこなせるし、様々なことができる世代。そういった意味では僕ら世代よりはるかに能力が高いと思うんですよね。でも僕らの世代の人が何を持っているかというと、粘り強さだと思うんです。この粘り強さも大事だと思っているので、そういった価値観に触れ合って、両方が引き合わさると強いだろうな、と思います。
8.20代に伝えたい人生設計における羅針盤
正しい価値観と熱意、そして諦めずにコツコツと
小山田さんが考える20代の人生設計(ライフデザイン)において大切なことは何だと思いますか?
やはり、正しい価値観を持って、しっかり熱意を持って諦めずにコツコツやることだと思います。少々使い古された言葉ですが、それが本当に大切だと思っています。何のためにやっているんだということを念頭におきながら、自分の持てる能力を最大限に発揮する熱意が大事だと思います。
9.20代にオススメしたいモノやこと or ご自身が影響を受けた人やモノ・コト
エネルギーを通じて社会を変えていきたい
いよいよ最後の質問なのですが、小山田さんが20代にオススメしたいモノやこと or ご自身が影響を受けた人やモノ・コトなどありますか?
人生の師の存在ですね。また、影響を受けているものも色々あるのですが、現代社会において様々なしがらみや規制がある中、それを変えていくにあたって一番象徴的なのがエネルギーだと思っています。なので、エネルギーを変えることを通じて社会を変えていくことにつながればいいなと思っています。顔の見える社会、多様性を尊重することも含めた社会を作っていきたいと考えています。
学生時代のお話から20代へのアドバイスやマインドセットなど、20代にとって勉強になる情報をいくつも教えてくれた小山田さん。
個人的には、「命は時間だ」という小山田さんの価値観に考えさせられました。仕事もプライベートも含めて、どんな時間も自分の命を削って生み出しているんだなと感じ、時間の使い方や考え方などを見直したいと思います。
番外編
現役大学生が、小山田さんに気になったことを質問してみました!(インタビュワー・茂野そら)
1.説得力のある話し方とは
経験を元に自分の言葉で
郵便局での営業時代に交渉力が身についたとのお話でしたが、話す力は具体的にどうやって鍛えましたか?
元々話すことは得意だったので色んな場数を踏んでいった結果ではあると思いますが、説得力のある話し方になっているのは、根拠となる経験や自分の哲学があるからだと思います。20年とか生きてきて経験したことって色々ありますよね。そういう経験を交えながら自分の言葉で話すと、共感してもらえてもっと聞いてみたいと思わせることができると思うのでそれは意識してます。あとは話し方のテクニックとして、上手い人の話し方を盗むのもいいですね。僕なんかは田中角栄とか小泉純一郎とかの演説を何回も聞いたりしていました。
2.やりたいことを決められない時の対処法
どれでもいいから1つやりきる
やってみたいことがたくさんあって1つに決められない時はどうすればいいですか?
20代のうちに1つに決めることはないけれど、とにかくどれでもいいから1つ極めてやりきってみること。1つ1つの仕事を大切に、雑にしないでやっていく。自分のキャパを把握してその範囲内でできるものをやりきることが大切なことだと思います。それが信頼にも繋がっていきますしね。
私はマルチタスクが苦手なので社会人になってから1つ1つの仕事をやりきっていえるのか心配ではあります…
社会人になると自分の仕事があるのに他の人に仕事を頼まれたりと、こなさないといけない仕事の量は確かに増えるので、どれくらいのスパンでやらないといけない仕事なのか把握するのが大切ですね。手帳を今すぐやること、1週間でやること、1ヶ月でやること、と区切ってそれぞれの枠の中に付箋でタスクを貼り、終わったら剥がしていく、なんて管理していくと頭の中も整理されていいと思います。でもマルチタスクが自分は苦手だからって自覚することが大事で、意識しておけば最初は大変でも自然に慣れてくると思いますよ。
社会人になってタスクの整理が実践できるように、今から始めてみたいと思います!ありがとうございました!
〈取材・文・編集・写真=桝井孝一・茂野そら・金子圭介〉
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