スキ0の記事と陸に上がった魚
すごく・・・・・・スキが少ないです・・・・・・
久しぶりにスキ0の記事を書いてしまった・・・・・・(でも書いてるうちに1貰った。あざます!)
20時間ぐらいスキ0のままだった。俺はショックで樹海観光を敢行するのだろうか?
いや、そうではない。むしろ謎の充実感がある。謎に。
スキ0の記事を書いたと言うのにだ。
何故かと言えばもう二桁記事が3つもあるから。(書いてるうちに4つになった)
初期の頃は、「俺って才能ないのでは?」と頭を抱えていたものだが、今となっては0であっても「ふ~ん・・・」である。年収がそれなりにあるサラリーマンがFXで爆死するのと、ニートが爆死するのでは、同じ額でも全く意味が異なる。それと同じである。
ノーダメではないが、前に爆死した時よりは圧倒的に心が楽だ。多少は心に余裕がある。・・・・・・前は数時間何も手につかなかったからなぁ。
読み返してみるとスキ0なのも当然だろうと思う。我ながら実にくだらない話だ。しかも、どうせそんなに評価されないだろうな、と思いながら書いたのだからさもありなん。
評価されない記事を上げても無駄かもしれない。だって評価されないのだから。
でも実はこう言った一見無駄に見える行動こそが、人間を成長させてくれるのだと俺は信じる。
人に読ませる記事を書くには文章力が必要だが、文章力を上げるには結局は書いて上げるしかない。低い評価なんて喜んで受けよう。
まぁ、こんなこと書いてる時点で喜べているとは言い難いが・・・(笑)
継続は力なり。無理して書く必要は全くないが、無理でないのなら無理した方が良い。(でも無理して書く必要はない)
そう、生物はみんなそうして進化して来た。
植物は伸びすぎれば折れて枯れるし、魚は陸に上がれば干上がって死ぬ。
でも「こんくらいならいけるのでは?」というラインを攻めると、行けなかったり行けたりする。
そうして自分という存在を高めて来たのだ。
突然だが、俺はダーウィンが唱えた適者生存説は間違いだと思う。
・・・・・いや、半分は正しい。でも正確には、もう少しファクターが足りない。
で、そのファクターとは何か?
それは、その個体の勇気だ。
最初に陸に上がった魚には勇敢さがあった。
その魚の他にも『陸に上がる才能』を持った奴らは沢山いた筈だ。
でもそいつらには「こんくらいならいけるのでは?」感が無かった。常識や安定に甘んじて停滞していた。
「いやいや、魚に陸は無理でしょ(笑)」
そう言いながら水中を馬鹿面を晒しながらスイスイ泳いでいた。自分たちが絶滅するとも知らずに。
だが、強い客観性が無ければならない。自分の分際を知っていないといけないのだ。矛盾するようではあるが。
最初に陸に上がったと思われる魚の他にも、最も前から陸に上がった魚達はいた。実は。
でもそいつらは干上がった。
「俺ならこのまま陸に適応できる!」
そう言ってカッピカピに干上がってしまった。馬鹿面を晒して。
結局陸上に適応できたのは、「自分ならいける!・・・・・・でもちょっとだけだ!」という絶妙なバランス感覚があった系統である。
行くべき時は行くべきだし、引くべき時は引くべきだ。
つまり進化=FXという訳だ。パチンコでもいい。
考えるとギャンブラーはみんな進化したがっているという事が言える訳である。(そうかぁ?)
だからギャンブル中毒者にギャンブルをやめさせるには、別の進化軸を用意させてあげるといいだろう。(なんのこっちゃ)
・・・・・・まぁ、結論としては、『自信や勇気を持って生きよう。でもある程度の謙虚さは持とうね』っていう普通の話である。
さて、記事の締めに自らを少し顧みたい。
もちろん俺は客観性が現生人類の中で最も高い。
そんな俺だが、今noteの頂点を取ることに対し「こんくらいならいけるのでは?」と思っている。
先ほど言ったように、行き過ぎた目標設定は身を滅ぼす。
でも宇宙一の才能を忌めている俺にはちょうどいい目標だと思う。
これからも頑張っていきたい。