泣ける話「よいしょ、よいしょ」
この話は私の知り合いの和尚さんから聞いた話です。
話の途中から涙が止まらなくなって困った覚えがあります。
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「よいしょ、よいしょ」
N男君、享年9歳。
小さな小さな生命が旅立っていったんです。
49日のご法事を終えたあと、N男君のお母さんが和尚さんに語りました。
「あんなに元気だった子が、小児がんだと告げられたとき、
どうしても信じられなくて
お医者様を激しく問いつめていました。」
「冗談を言わないでください。
N男は、この2~3年風邪ひとつ引いたことがないんですよ。
少年野球チームでも練習を休んだことはありません。
ものすごく元気です。
失礼ですが、先生の誤診ではないでしょうか。
もう一度、検査をしてください」と。
再検査の結果、たしかにN男君の小さなからだにガンが住んでいました。
それからというもの、病院のベットだけが、
N男君の生きる場所になってしまいました。
だんだんと痩せ細っていく身体。
あんなに元気だったN男くんから病気が生命力を奪い取っていきます。
ある日、N男君がこんなことを言ったんです。
「お母さん、ぼく死ぬんだよね。お願いがあるんだ。
ぼくが死にそうになったら、
ぼくの手を握りしめていてね。ずーっとだよ。
ぼくの息が止まって、
お医者様がぼくの死んだって
お母さんに知らせてくれるまで、
ぼくの手を握っていてね。
お願いだよ。お母さん!」
私、返事に困りました。
和尚さんは、もうこの時点で、
涙をこらえるのが精一杯だったそうです。
N男が続けて言いました。
「死ぬって苦しいのかなあ。お母さん。
ぼくね、もし苦しかったら、
“ヨイショ、ヨイショ”って声を出して頑張ろうと思うんだ。
お母さんも一緒に
“ヨイショ、ヨイショ”って言ってくれる?」
母親はやっぱり答えられません。
私、廊下に飛び出して泣きました。
和尚さんは涙をいっぱいにためて
「・・・・・・・・・ウーム」とうめきます。
お母さんが続けます。
とうとうその日が来ました。
またN男が問いかけてきたんです。
「お母さん、ぼく一人で死ぬのかなあ、
毎日お婆ちゃんがお仏壇にお参りしているから、
仏さまが一緒にいてくれるかもしれないね。」
私、とっさに言いました。
「そうよ、一人じゃないわよ、きっと沢山の仏さまがお迎えに来てくださって、
N男の手を引いたりおんぶしたりして、
一緒にいてくださるに決まっているわよ!」
「そうだね、ぼく・・・お母さん、手を握ってて・・・・」
それから、ちょっと息遣いが荒くなりました―――――
――その時です。
口が動いているので耳に近づけてみると―――
“ヨイショ、ヨイショ”と言っているではありませんか。
私もN男に手を握り締めて、耳もとで言いました。
“ヨイショ、ヨイショ” って。
かけつけた主人やおばあちゃんたちも、みんな声を合わせて。
“ヨイショ、ヨイショ”
の大合唱!
やがてN男の息が止まりました・・・・。
「N男は、仏さまと一緒に旅立ったんですね和尚さん!」・・・
もうその時には、母親も和尚さんも大泣きしていたそうです。
和尚さんはその時、顔をまっ赤にして和尚
「その通りじゃ―――――――その通りじゃ―――」
と言い続けたそうです。
老いと死は人間にとって理不尽そのもの。
しかし、現世に理不尽である部分が残されていなければ、
人間は決して謙虚にもならないし、
哲学的になることもない。
―和尚さんは、だれかの、こんな言葉を思い出した、と語っていました。―
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