私の高専生活前編〜高専入学から3年目まで〜
早速、高専生活についてです。前編、後編の二つのセクションでお送りさせていただきます!
高専に入学するまでの話
自己紹介でも言った通り、高専に進学を決めるまですごく悩みました。
私が高専を知ってから、入学するまでの話をしようと思います。
中学3年生の夏
中学校三年生の夏、陸上部を引退した後から進路についてちょくちょく考え始めました。とは言っても、今まで公立の小学校→中学校と進んできた私にとってはどういうふうに進路を決めていくのか全くわからないまま、周りがやっていたようなこと(オープンキャンパスとか)しかやっておりませんでした。初めて人生のハンドルを握る、そんな感じでしょうか。とりあえず、オープンキャンパスはいくつか行きました。陸上部が強い私立高校一つ、家から一番近い公立高校を一つ、親の勧めで近所の高専を二つと言った感じなので、なんだかんだ充実していたなあという感じです。この時は、「陸上部が強くて、勉強もまあまあ頑張れるところがいいなあ」みたいなふわっとした気持ちで進路を考えていたと思います。オープンキャンパスはどれも楽しく、ある程度勉強も陸上も頑張れるところだったらどこでもよかったような感じです。
中学3年生の秋
秋、11月ぐらいだったでしょうか。なんと、大変ありがたいことに県内でも強豪と言われる高校の陸上部から個別に勧誘を受け、わざわざ学校まで来ていただき、説明を受ける機会をいただきました。ちなみに、私の中学校は短距離の専門の指導者がいないチームでかつ部員もあまりやる気のない環境にいたこともあり、指導者がいて、やる気のある人がいる環境に強い憧れを感じました。また、当時の陸上の日本選手権でトップ戦線で活躍されている選手がその高校出身の方だったこともあり、当時の私にはすごく魅力的な環境でした。今まで「第一志望が〜」とかあまり考えていませんでしたが、学校での勉強内容的にも違うかなと思っていたところだったのでそこまで意識していない学校でした。想定外のことにまた進路を考え直さなくてはいけなくなりました。
中学3年生の冬( 進路決定まで)
私のいた中学校では11月の末〜くらいから進路指導の一環として、三者面談があります。今となっては学年に200人くらいいたうちの学校の全員と面談をしていた中学校の先生方には感謝しかありません。こういう締め切りがないとやらないタイプなので、ギリギリまで親と口論し、進路に悩みました。この時はすごく悩みました。周りの子たちの進路希望アンケートなどを見るとほとんどの人が迷いなく希望を書いているのに、私のアンケートは消しゴムの跡だらけ。優柔不断な性格と自信のなさから一向に進路が決まりませんでした。でも、決めなくてはいけないので自分のポリシーに従って決めました。ここでいう「私のポリシー」は、"迷ったら攻める"ということです。当時は、近所で一番近い普通科の高校と近所で一番近い高専の二択でした。(先ほど紹介した陸上の強豪校は通学距離の関係で断念しました)
私にとっては、高専に行くということが攻めで、普通科の高校に行くことが守りでした。ここで、高専に行くという攻めの決断をしました。
中学3年生の冬(年明け〜受験)
先ほどのセクションで高専に行く決断をしていると思いますが、当時初めての進路に関する意思決定でよほど怖かったのか、強い不安を感じ、親に「やっぱり普通科の高校に行きたい」とか言ってました。なんとそこで大げんか。決めたことを変えるのが嫌いなようで、ブチギレられました。怖かったです。そこで完全にパニックになり、毎日不安な表情で過ごしていたと思います。今思えば、自分に自信がなかったんじゃないかと思いますが、初めてみんなと違う道を行く決断をよくできたなと思います。
怖がりな私なので、家で涙が出ることがよくありました。そこで、家族には何度も助けてもらいなんとか乗り越えることができました。
ですが、正直あまり勉強はしてなかったです。感情に完全に支配されていたなあと。ですが、推薦入試だったこともあり、結果はなんとか合格。一般だったら落ちてたと思いますが、これで私の進路活動は終わりました。その後も不安になることは多々ありましたが、腹を括って、春休みくらいからはすごく落ち着いて暮らせていたと思います。
本科編
1年生
そんなこんなで、高専に入学。私は電気情報(今はもう名称変更されました)という、高専の中で一番就職がいいと言われている学科に入学しました。今思えばすごく適当に選んでますね。(笑)
一年生は、高専に慣れるということで必死だった記憶があります。クラスは女子が少ないと思っていましたが、なんとその年はその学科最多タイ(当時)、一番女子比率が多いクラスでした。中学校は友達と遊んだりすることが少なかった私にとってはすごく恵まれた環境にいたと思うし、こんな私と関わってくれていた当時のクラスメイトには本当に感謝しています。5年間同じクラスで良かったです。ありがとう。
部活では、中学と同様陸上競技部に入りました。正直、高専の部活はめちゃめちゃ緩いイメージでしたが当時は、県内トップクラスの人がザラにいるような、強い選手が何人もいて、その人たちから刺激を受けながらすごく楽しい毎日を過ごしました。勉強は、全くと言っていいほどうまくいかず、すごく苦労した記憶があります。同じ学科の陸上競技部の人の中だともちろん最下位、顧問に個別に呼び出されたりもしました。今となってはあのタイミングに喝を入れてくれた恩師に本当に感謝しています。当時の陸上競技部は競技も強かったですが、勉強もできる方が多く所属しており、その人たちと図書館で勉強したりしてました。今思うとこう言った経験が今の自分を作っているかもしれないですね。色々必死にやっていく中であっという間に一年目を終えました。
2年生
主に部活動で大きな転機があった一年だったと思います。一年目の冬から、当時部活で一番厳しかった先輩のメニューに食らいついていた成果が出てきました。自己ベストが大幅に伸びたんです!この頃から本格的に陸上にハマりました。やはり成長とは嬉しいもので、試合が楽しみでしょうがなかったです。高専では、夏や冬に高専大会という高専生のインターハイみたいなものがありますが、そこでは当時のチームの中で最高の順位を取ることができました。運もあったかと思いますが…
この頃からもっと強くなりたい!という気持ちで練習強度を上げていきました。しかし、これがすごく体に負担をかけてしまったみたいで、冬に腰椎分離症という疲労骨折を起こしてしまいました。努力が空回った、そんな経験でした。今となっては無理をしてはいけないという教訓になってます。部活動の色がすごく強い一年で、あっという間だったと思います。
3年生
3年生になる直前の春休みで初めてのアルバイトを経験します。近所にバイトをする場所がないくらいの田舎に住んでいたので、この時まで億劫で3年生で初のバイトを経験することになりました。近所のコンビニで働きました。ちなみに現時点で、今までで一番きついバイトです。2ヶ月くらいでやめました。元々、あまり長く続けるつもりもなかったですが、長期でやったら?というオーナーの誘いを断ってしまい申し訳ない気持ちです。
なぜそんなにキツかったかというと接客などのサービスのお仕事が人生で初の経験だったからです。お客さんからは何度も怒られたし、よくミスをして品物を買い取ってました。今となってはいい思い出ですが。毎日勤務が終わると頭が痛くて、二度とやりたくない。そんな記憶です。
学校の話ですが、この年の主役はなんと言ってもコロナ。色々なものがオンラインになりました。もちろん授業はオンライン、部活も無くなりました。全てを奪われたような感覚になっていた人も少なくなかったんじゃないかと思います。私は基本ダラダラしていましたが、ちょっと料理したり、お散歩したりなど優雅に過ごしていた印象です。実験ももはやデータを配ってレポートを書くという事務的なものになっていました。今思うと本当に意味のないことをしていたなと思います。なつかしいです。後半の方は部活もできるようになって、楽しく過ごせました。自動車学校に行ったりもしました。色々制限がある中で、社会経験を徐々に積んでいった年でした。
という感じで前半です。長くなりましたね。よかったら読んでいただけると幸いです。