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元酒飲み、「酒=楽しい」と思い込んでいた理由に思い当たる。

酒が美味しくて楽しかった。

楽しい時間にはいつも酒が相棒のようにいた。

しかし、ふと疑問に思う。「いつからそうだったのか?」遡って思い起こせば、、、大人になってからだ。

では、それまではどうだったのか?


未成年時代の楽しみ

酒が飲めなかった未成年の頃、私はどうやって過ごしていたのだろうか? その頃の活動を今取り入れれば、酒から離れやすくなるのでは?

記憶を遡ると、そこにあったのは充実した毎日だ。 スポーツに打ち込み、絵画や音楽を嗜み、漫画を読んで心をワクワクさせていた。

しかし、改めて振り返るば、私は狭い世界の中で許された範囲の中の充実を楽しんでいただけのように思う。

  • 旅行には行かない家庭だった。

  • 食事のメニューは親の選んだ健康的なものだった。

  • 服も基本は制服で、私服も親が選んだものをそのまま着ていた。

  • 楽しんでいた漫画や読書、絵画、音楽、個人技のスポーツは、自分の内面を充実させるものであり、人との繋がりを楽しむものではなかった。


大人になり、酒が相棒になった理由

大人になり、自分でお金を稼ぐようになると、世界が広がった。

  • 行きたい場所へ行く。

  • 食べたいものを食べる。

  • 欲しいものを買う。

  • 恋をして、着飾る。

  • 人と語り合う。

自分が何を好きなのかが、少しずつ見えてきて、遅咲きの自我が芽生えた。

そして、そこにたまたま酒があった。

楽しいことができるようになったタイミングと、酒の存在が重なったことで、「楽しい時間には酒がある」という固定観念ができてしまったのではないか?


酒がなくても楽しめる世界を知る

もし未成年の頃に、自分が本当に行きたい場所へ旅行し、充実感や快楽を得ていたなら——。

もし酒がなくても、誰かと本音で語り合う経験をしていたなら——。

「酒のない旅行は味気ない」「酒がなければ本音は語りにくい」などとは考えなかったかもしれない。

思えば、私は未成年の頃、いわゆる「いい子ちゃん」だったが、それは親が用意した狭い世界で、親の想像の範囲内で生きていたとも言える。

その結果、広い世界を知るのが遅くなり、そして自我が開花するのが遅咲きだったことが、酒との切り離せない関係につながったのではないか——その仮説は、かなり正解に近い気がするのだ。


これからの楽しみ方、そして我が子への願い

もし酒なしで、酒ありの頃よりも快楽を得ることができれば、自然と酒から離れられるのかもしれない。だから、私は今、スポーツや読書、旅行、酒に代美味しい飲み物や、新しいワクワクした事業計画に意識を向け、酒なしでの充実した楽しい時間を積極的に作ろうとしている。

そして、我が子には「酒を飲む前の未成年のうちに、広い世界と自我を知る経験」をさせてみたいと思う。

酒がないからこそできる、最高の楽しみを味わわせることで、大人になっても「酒がないと楽しめない」とは思わないように。「酒がなくとも楽しいという記憶」を持っていてもらえるように。

そんな風に、今は考えている。

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