『アナーキストの銀行家-フェルナンド・ペソア短編集』フェルナンド・ペソア

 フェルナンド・ペソア。20世紀前半のポルトガルの作家。名前を聞いたことがある人は少ないかもしれない。実際、私も知らなかった。そもそもポルトガル文学なんてあんまり聞かないよね。

 ペソアは生前は有名ではなく、死後トランクにぎっしりと詰まった大量の原稿(その数なんと2万5千以上!)が発見され、それらが出版されて名声を得た。このあたりにはディキンソンと似たものを感じる。本作は短編集だが、詩も多く書いていたらしい。

 作家としての彼の特徴は、何と言ってもエテロニモ(異名者)と呼ばれるペンネーム? 人格? を使い分けて書いていることだろう。本作に収められている短編のいくつかには、末尾に年月と名前が記されている。例えば一作目の独創的な晩餐には「アレクサンダー・サーチ/一九〇七年六月」(55)と記されているが、この名前はペソアのエテロニモの一人のものであり、そのエテロニモがこの短編を書いた、という設定になっている。エテロニモは70以上いたらしく、それぞれ職業や年齢などが細かく作りこまれているそうだ。変なひと。ということで、今日はフェルナンド・ペソアより、『アナーキストの銀行家-フェルナンド・ペソア短編集』(近藤紀子訳)。以下、それぞれの短編に関して。

 一.「独創的な晩餐」
 ベルリン美食協会の会長プロージット氏は、この世の誰もお目にかかったことがないほど独創的な晩餐を提供すると、会員たちに告げる——。彼の言う晩餐とはいったい何なのか?
:つまらん。ペソアの短編はカテゴリとしては幻想文学なのだろうか。文体や雰囲気といい、読んでいてブッツァーティっぽさを感じた。この短編自体はミステリにカテゴライズされるのかもしれない。感想は、うーん、まあ、内容はネタバレになるから触れないとして、彼は同じことをくどくどと引き延ばして書く傾向があるように思える。まあなんだろ、そのくどさというか、仰々しさが、作品にそれっぽさを与えているのかもしれないが(それっぽさって何だよ、要論証)、読んでいてちょっと鬱陶しさを感じる。ただ一方で、ものすごく簡単な文体なので、読みやすくはある。硬派というよりほんわかとした感じ。文体っていいよね。ペソアがどういう人なのか、勝手な想像だけどイメージがつく。

 二.「忘却の街道」

 自分のものだと思っている感覚は、ある集団のものであり、個性などなかった。なぜならいろんな人間だったからだ。特定の場所もなかった。なぜならいろんな場所にいたからだ。隊長のことを考えれば、自分の背後にみながいるのを感じた。自分が隊長であり、自分が先頭だからだ。だが自分は隊長ではなく、みなの中にいる……。結局自分はどこにいるのだ? 夜はどちら側だ? これは現実なのか? 現実って?

(59, 忘却の街道)

 闇夜のなか騎馬隊が行進する。そこには空や地面や雨の感覚すらなく、ただ馬の足音のみが響き、恐怖のなか自分は集団と一体化していく——。
:この作品が一番好きかも。5ページくらいの短い話だけど、うん、なんか素敵だった。闇夜を歩く騎馬隊、その一人の主人公による独白。といっても、具体的な物語というより、より抽象的なものを描いている感じ。カフカの「掟の前で」的な? というかほとんど同時代の作家なんだな。少しペソアが遅いくらい。

 (きっと一面の沼地、泥とよどんだ水なのだ、永遠にたどりつけないあの国は……その土地には、奇妙な腐敗植物が生えているにちがいない……だがそれも日があればだ……おまけにこの国はどこもかしこも真っ暗闇で、闇よりほかになにもない)。

(60, 忘却の街道)

 言葉選びのセンスがいいよね。この何かに圧倒される感じというか。はい次。

 七.「アナーキストの銀行家」
 表題にもなっている作品。私の友人は銀行家にして大実業家である。だが彼は予想外にもアナーキストであり、その実践者である。なぜ銀行家である彼が、アナーキストを実践していると言えるのだろうか? 彼は私にアナーキズムの理論を説明する。ちなみに間の三-六は「忘却の街道」と同じくかなり短い短編。飛ばす。
:この本を手に取って、タイトルから予想していた印象とはまた違った。でも面白かった。内容としては、銀行家でありながら逆説的にアナーキストである彼が、なぜそのようになったのかを概説する話。ざっくりと彼の理論を要約すると、宗教や国家という社会的虚構——そこから僕らを解放し、自然へと回帰するためにはアナーキズムの実現が必要なのだと。だが組織を作ったり革命を起こすのは、新たな専制政治を呼びこむだけで、結局のところアナーキズムを達成できない。なら個々人が自身の望みをそれぞれ叶えようとすれば、アナーキズムを達成できるじゃないか。ということで、自分はブルジョワたる銀行家、実業家になったのだ。
 だいぶ端折ったけど、こういった感じで友人のアナーキズムに関する話が延々と展開される。どう考えてもマルクスの疎外論の影響を受けているが、よくよく考えればペソアが生きた1910-20年代あたりって、けっこうマルクスが流行ったころだよね? ペソアはマルキシストというよりも、それを冷笑的な目で見ていた側のように思う。だってアナーキズムを目指した結果、資本主義の体制側になりました、っていう皮肉なオチだし。

 ペソア面白いね。あんまハマったわけではないけども。こういう系統で行くと、ブッツァーティが大好きだからなあ。彼の作品は全部読みたいレベルで好き。少なくとも邦訳は全部読みたい。
 余談だが、「アナーキストの銀行家」については、増補/改訂されたものがあるらしく、それらの原稿の訳が巻末に掲載されている。作家が自分の作品をどのように手を加えていったかを見るのは、割と面白かった。

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