ブラックな職場でも、5年耐え抜けた理由
もうブラック企業じゃないか。
上司はパソコンに疎いし業務丸投げ、電話は新人に取らせる、ろくに仕事を教えない、パソコンは会社の共有物。
こんな環境でも、なぜ私が5年近く続けて来れたのか。少しだけお話ししたい。
時間の調整がついた
子どもがいる家庭なら、その忙しさは想像がつくだろう。入社当時、子どもの都合は母親である私がほぼ全て調整していた。
学校の懇談会
参観日
PTA
急なお迎え
習い事の送り迎え
子どもの急な発熱
定期的な病院の受診
etc
今の職場は、私の都合でいくらでも早退や欠勤を認めてくれた。
退勤は定刻になればタイムカードを押す。
残業は1分でもしない。同じ職場にいるパート事務員も、定刻になるとタイムカードを切って退勤していた。
子どもの発熱による急な欠勤でも、有給休暇を取らせてくれた。
労務管理の朝日さんが昔、有給休暇の体制を社長に認めさせたのだと聞く。
「従業員の有給休暇は当然の権利なのよ」
そう朝日さんは語った。
朝日さんは時々、有給休暇を使ってビュッフェに行ったり、小旅行を楽しんでした。
昼休憩がひとり
お昼休憩は1時間。
お昼ご飯を食べる休憩場所が事務所の机ではなく、別室で休憩できたのは都合が良かった。物理的に仕事机から離れることで、ダラダラと仕事をせずに済んだ。
他のパート事務員は近所に自宅があって、昼休憩は一度帰宅する。
私は1人応接室でのんびりと過ごし、ソファーで昼寝をしていた。
誰かと一緒に過ごす昼休憩は、とんでもなくストレスになる。
この環境は本当にありがたかった。
同期の同僚がいない
これはデメリットでありながら、私にとってはメリットでもあった。
辛い時に励まし合う、仕事仲間。
業務で手一杯の時に、助け合える仲間。
信頼できる仲間がいれば心強かっただろう。
しかし『会話が苦手』な私は相手がどんなに良い人でも人間関係が上手くいかなかった。
仕事の話はできても、雑談ができない。
こちらは仲良くなりたいと思っていない。目の前の仕事を、滞りなく進行したいだけ。
行き詰まった時は、ネット検索して自力で解決していた。
パワハラだと認識していない
これが精神的に耐え抜けた、最大の理由かもしれない。
私はパワハラをパワハラと認識せず、『行き過ぎた指導』だと思うことにしていた。
社長に関してはどうも「俺は社長だ、偉いんだ」という空気感が言葉の端々から感じていた。大声で怒鳴り散らすのは、弱い人間がする事。「わたしは弱い人間です」と叫んでいるのと一緒。
怒鳴り散らす社長の言葉を、右から左へ聞き流す。私の中の何かが、急速に冷めて行くのを感じた。
クズが。
私は密かに、人間観察して楽しんでいた。