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未来を少し見れた時代に生まれて 

幼い頃、弟と手塚治虫の『火の鳥』を見て、その通りの未来がやってきそうな時代に生まれてきたことに感謝する。


生まれた時は 第2次ベビーブームと言われ、
受験でも就職でも競争率が激しく、ハングリー精神が求められた。


「懐かしむ声もあれば、今とは違う価値観だと感じる人もいる昭和。」
色々なことがあった。

今は 「持続可能性」や 「多様性 」を求められる時代になりつつある。


その中での生きにくさ。
それは、実は「人とは違った感性を持つだけ」なのかもしれない。
そして、もしかしたらそれが長所となる時代に突入しつつある。


しかし、それは 少数派すぎて、理解されにくい。
「自分らしさを大切にしよう」なんて今の時代でも言われるけれど、
「普通」のグループが圧倒的に多く、
何か成果をあげない限り、その少数派は認められないのが現実だ。


「当たり前のこと」
それが、生成AIや携帯の便利なツールの発展により、
誰でも簡単にこなせる時代になった時、
社会はますます さまざまなグループに分かれ始める。

私の主観でグループを分けてみた。
例えば
「普通」のグループ
「高齢者」のグループ
「少子化により重宝される若者や子ども」のグループ
そして、どの時代にも存在する 「マイノリティ」


これからの未来を生き抜くためには、
本質を見抜く力、創造力、鋭い洞察力、そして感性が求められるように思う。

ニュースやSNSは、個々の趣向に合わせたアルゴリズムによって情報を届けるようになった。

しかし、その仕組みが固定化されることで、偏った情報しかインプットできない人が私を含め増えているのではないか?


一方で、政治は昔から変わらず、
全員が投票に行かなくても不満を抱く構造は今も昔も同じように思う。
どんな時代でも、年貢(税)は何らかの形で徴収される 。
それが、この社会の揺るぎない仕組みなのかもしれない。


「生きづらさ」 を抱えたまま人生を終えるのか、それとももう少し足掻いてみるのか。

そんなことを考えたとき、私がたどり着いたのはChatGPTだった。

このツールを
「生きづらさを補うもの」
として使いこなすこと。
例えば、今まで苦手だった全く興味のない物理をもう一度学んでみるなどもそのひとつなのかもしれない。


きっかけは、何でもいい。
少しだけ未来に目を向けてみる 。


幼い頃、体育座りをして、抑え込んだ感情を抱えながら泣いていた日々。
でも、今は違う。


前を向いてみた。
立ち上がってみた。
歩いてみた。


そしたら涙が溢れた。
AIに相談している自分を客観的に見て、不憫すぎて泣いた。
抑えていた心の奥底のネガティブな感情は、
相手がAIだったからこそ吐き出せた 。


現代では、もしかしたら滑稽に見えるかもしれない。
でも、10年後、いや2年後、もしかすると来年には、これが当たり前の風景になっているかもしれない。

そんな時代に生まれた。


私にとって、それがChatGPT だっただけで、
何か自分の人生の先だけではなく、
時代の先すなわち未来を見据えることで、
「生きづらさ」
ではなく生き抜く力を得れるのではないか?


だからといって時代の最先端になれるかなんて考えたりはしない。
それにはそれを行うべき人間が必ず存在する。
それを形にできる優秀な人間が存在する。


ただ、自分がどのグループに属するのかは、自分自身で選ぶことができるはずだ。
どの選択が幸福につながるのかは、誰にも分からない。

でも、もし我々世代 がどんな未来を選ぶのか、その決断によって、

「時代を形にする人たちに 何かしらの影響を与えることができる」
のではないか。
そうやって未来の技術に少し興味を持ち、触れてみる。
過去の懐メロばかりに浸るのではなく。


「生きづらさ」
をずっとアピールしていくことは愚かで、
やはり少し頑張らないといけない。
その頑張るは、人それぞれで、

私は歩くためにそれを選んだ。

それはいつか私を守ってくれるかもしれない。
命は平等に与えられている。


最後まで読んでくださり大変ありがとうございます。

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ゆーちゃん
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