
今見直されるべき「ゆとり教育」
こんにちは、ラマです。
今日は1980年代に始まって2010年代には方針転換をした「ゆとり教育」について、私見を述べてみようと思います。
「ゆとり教育」の概要
「ゆとり教育」はそれまでの「詰め込み教育」への批判から、1980年代をはじめに学習指導要領の改訂が段階的に行われ、授業時間の削減、「総合的な学習の時間」の追加、学習内容の見直しなどを軸に行われてきた政策です。
従来の「詰め込み教育」が知識量偏重型の教育だったのに対して「ゆとり教育」では思考力を鍛える学習に重きを置いた「経験重視型」の学習として、子どもたちに学校内外での経験を積むことを重視した施策でした。
なぜ「ゆとり教育」はなくなったのか
大きい理由としては「OECD生徒の学習到達度調査 (PISA)」 などの国際学力テストで順位を落としたことが原因です。当時はマスコミで「円周率が3になる」などと大きく取り上げられ(実際はそんなことなかったのですが)、社会を巻き込んだ騒動が起きました。
そこで当時の小泉政権のもとで学習指導要領の見直しが要請され、安倍政権時代に発足した教育再生会議(内閣府設置会議)において、初めてゆとり教育の授業時間が問題視されました。
そうして2008年には、今までの内容を縮小させていた流れとは逆に、内容を増加させた学習指導要領案が告示され、2011年から2013年に完全施行されました。これがいわゆる「脱ゆとり教育」です。そしてこの流れは現在へと引き継がれているわけです。
「ゆとり教育」と現代
当時の政府やマスコミはPISAの結果に一喜一憂し、マスコミは「円周率が3」というセンセーショナルな報道をしてきました。
「なぜそうなるのか」を考えるための教育という「ゆとり教育の理念」がうまく伝わらなかったのが「ゆとり教育」が衰退した原因です。
今は数年で技術が変容し、新しい社会の形が次々と生まれてくる時代です。「ゆとり教育」の理念である「思考力を鍛える」ことがないと、時代の波に追いついていけません。
AI(人工知能)が発達し、知識量だけであれば人間はAIに勝てません。必要な情報はAIにまかせ、あとは「知識や情報をどう組み立てて新しいものを作るか」が人間の新たな価値だと私は思っています。
そういった意味で「ゆとり教育」は現代の情勢と親和性が高いと私は考えます。
「働き方改革」と「ゆとり教育」
これも親和性が高いと私は考えます。
10月30日付の高知新聞PLUSにこんな記事がありました。
「小学校教諭7割強が辞退 採用試験合格者280人中204人 高知県教委」
高知県教育委員会は29日、2025年度採用の小学校教諭(採用予定130人程度)について、合格通知を出した280人中、既に7割超の204人が辞退したと明らかにした。新たに13人に追加合格を出し、12月には2次募集(40人程度)を行う。長岡幹泰・県教育長は教諭の確保に向けて「高知大の教育学部生に、仕事の魅力を発信する場を設けたい」とした。(以下略)
7割超が辞退、かなりショッキングな数字です。教員のなり手不足はかなり深刻なようです。教員の働き方がいわゆるブラックなことが世間に周知されて、現場では先生が足りないことが日常茶飯事となっています。
これを解決する策の一つが「ゆとり教育」の復活だと私は考えます。
「ゆとり教育」では標準時数(児童生徒が一年間に受けなければならない授業時数)が今と比べ1割減になっていました。その分学校外での体験を増やし様々な経験を積む、というのが理念です。
では授業時数が減ることで学校の先生にどんなメリットがあるか。それは言わずもがなですが、時間に余裕が生まれることです。時間に余裕があると子ども一人一人に向き合う時間がとれるようになります。
それでも定時に帰るのは難しいのかもしれませんが、少なくとも今よりは早く帰ることができるようになるはずです。
「時間の余裕=心の余裕」となって、私のように心を病む教員も減るし、家庭と仕事の両立だって今以上にできるようになります。とにかく自分の時間を確保することができるようになるはずです。
いわゆる「ブラック化」がなくなれば、もともとやりがいのある仕事ですから、教員を目指す人も増えてくると思います。
私が文部科学省に言いたいこと
私は小手先の教員調整額の増額より、学習指導要領の抜本的な見直しが必要だと考えています。
子どもも先生もゆとりがないのが、今の学習指導要領です。それが世間に伝わって教員のなり手が不足しているので、現場の先生の負担は一層大きいものになっています。
「働き方改革」はどの学校も大なり小なり取り組んでいます。ただ、根本の仕事量を減らすのは文部科学省の仕事です。
PISAの結果に一喜一憂するのではなくて、この国をどうするかという大きな視点で学習指導要領を作ってほしいと私は願っています。
おわりに
今、未来がどのように進んでいくかというのは非常に混沌としていて、先が見通せない状況です。そんな時に「ゆとり教育」の教育の理念である「自分の学びを自己決定する力」「生涯学び続けるモチベーション」をつけるということは非常に重要で、そこにもう一度立ち返ってみてほしい、と私は考えます。
私は学力が高いことを否定しているわけではありません。ただ、学力と生産性は必ずしも結び付かないと考えています。今、年功序列をはじめとする日本型の社会構造は崩れ始めてきています。そんな現代そして未来を生きる子どもたちにはぜひ「イノベーションを起こす力」を身に着けてほしいと思っています。
そのカギとして「ゆとり教育」の理念は良いと考えます。ただ時代が早すぎたのかもしれないなと思いつつ、今回はここまでにしたいと思います。
それでは!