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「オルレアンの少女ージャンヌ・ダルクー」を観劇して

お世話になっております。
予定が詰まっている日々を過ごしていると、書き留めておきたいことも流れがちになってしまいますが、大事なことは時間を作って残しておきたいと感じている今日この頃です。

さて、先日、夏川椎菜さん初舞台・初主演作品「オルレアンの少女ージャンヌ・ダルクー」を観劇してきました。
扱っているテーマが簡単に語っていいものではなく、かつ複数のテーマが複雑に混ざっているため、文章をおこすのに慎重にならざるを得ません。
ですが、舞台で夏川さんがおっしゃっていた、
「観劇した皆さんが何か感じ取ってもらえれば」との言葉のもと、
自分の受け取った感想を記しておきます。

基本情報

原作は15世紀、英仏の百年戦争で活躍したジャンヌ・ダルクの史実に少しだけ改変を加えた、フリードリヒ・フォン・シラー作の戯曲。
「争い」とは何か、「男女」とは何か、「自由」とは何か。
1人の少女 ジャンヌの生き様を描いた、歴史学者としてのシラーの願いを込めた作品。

本編

私は東京初日、大阪アフタートーク回、千秋楽の3回観劇しました。
やっぱり舞台は2回以上見てナンボだな!

過去の自分、良いこと言った。

東京の狭い空間での緊張感漂う公演、
アフタートークでのコロナ禍前の雰囲気が戻りつつある公演、
千秋楽での中央から全体を見渡した涙と笑顔溢れる公演。
舞台はなまもの。生きているんだと。

歴史に関する学が浅いせいで、ストーリーについていくのに必死で、集中して見ていても取りこぼしてしまう箇所があったり、言葉の理解に遅れてしまうことがあったので、
3回通して見ることで、やっとストーリー全体をきちんと把握することができた気がします(なおストーリーの理解については、脳内検討の余地ありです)。
千秋楽には手先・足先・視線の先に気を配る様子まで意識し、俯瞰するように観劇できました。

夏川さんもさることながら、周囲を固めている役者陣にも目が惹かれていまして。
これが舞台のいいところでもあるんですが、今まで観劇した舞台の中で1,2を争うくらい役者ごとの演技の違いを大いに楽しめた。
夏川さん以外の皆さんは兼ね役があり、その魅せ方の違いが本当に素敵で、
姿勢ひとつとってもガラッと変わっていて。
特に宮地大介さん演じるティボーとブルゴーニュ公の姿勢と歩き方の違い、そして愛原実花さん演じるイザボーとアニエスの声色の違いに魅入っていました。

溝口琢矢さんの素とのギャップにもやられてしまった。
印象に残っているのは、本編ではありませんが「舞台の楽しみ方」について語られていたところ。
観劇した後に「あれはよかった、あれは自分と合わない」などと解釈を話したりできるのが舞台の良さで、もしよければ他の舞台も見てくださいねと謙虚な姿勢が響きました。

舞台というエンターテイメントに関する見解が自分と解釈一致過ぎる!!!
これだけで推せてしまうよ!!!

衣装も特徴的で、脱ぎ着することで心情の変化を示していたところに気付いてニヤッとしたり、
15世紀にもかかわらず革ジャンなどの現代的な衣装に込められた意味は何かと考えている時間が楽しかった(なお結論は出ていない)。

音楽がステージ横で見られるのも特徴的でしたね。
演奏者と掛け合うメタ的なネタや、演奏者が客席を煽ったりと、重苦しい題材の中に少しの遊び心。
あれで張り詰めている空気を和らげてくれてた気がします。

いやー、夏川さん、本当にいいメンバー、いい舞台に恵まれたんですね。
苦しくも楽しそうな表情が見られたのが全てかもしれません。

「自由」に込められた思想

本編で何度も使われていた、「自由」という言葉。
私の「自由」という言葉に対するイメージは、「自由には責任が伴う」ということ。
自由を主張するのであれば、何が起きても自己責任ですよ、というのが私の持論なのですが、時代は15世紀。現代と同じようにははかれません。
ジャンヌ・ダルクが生きたこの時代は自由という言葉の裏には宗教が深く絡みついてくると思いますが、歴史を好んで履修してこなかった自分にとっては今までピンときませんでした。

いや、正直今も無宗教な自分にとってはあまり身近なものに考えられなくて。
物語の途中で何度も出てくるマリア様のお告げは、どうしてもスピリチュアルな、ジャンヌが生み出した幻想とさえ思ってしまう。

でも昨今なにかと話題の「宗教」。
古くからの大きな宗教と新興宗教はひとつにくくってしまうのも違うとは思いますが、信仰することで大きく救われる人がいるのもまた事実なんだなと。

ジャンヌは信じたからたくさんの人の上に立ち、戦況をひっくり返すくらいの統率力を発揮しただろうし、信じること、それもまた自由。

外から見ると信仰するのは生活に制限をかけているようで苦しそうですが、
実際に信仰している人にとってはそうでもないことなのかもしれませんね。
自分の主義・主張を貫いたその先にあるものが自由なのかと。

書いていてもまとまっていないのが自分でもわかるので、
このテーマはまだまだ深掘って考えないといけなさそうですね…

夏川椎菜さんが演じたジャンヌ像

先述の通り、学生時代に歴史を深く学んでこなかった私は、ジャンヌ・ダルクという人物のイメージは、気高く勇敢な強い女性というものでした。
したがって、普段は自分のことをクソザコナメクジと卑下してネタにしてしまうような夏川さんのイメージと似ても似つかず、
観劇前は「正直、役が大きすぎて表現しきれないのではないか」と勝手ながら思ってしまいました。

しかし、観劇後は思わず「なるほど」と唸ってしまった。
演出:深作健太さんがジャンヌ・ダルクに夏川さんをあてがった理由が、自分の中で腑に落ちました。

ジャンヌ・ダルクのイメージである強い女性像。これは表面的であり、あくまで一部にすぎなかったんです。
夏川さん演じるジャンヌ・ダルクは強い女性でありながら、その姿を周りにほとんど見せず、使命に押し潰されそうになりながら必死に生きていた。
そのプレッシャーからの不安定さ、年相応の一面がマリア様との誓いを破ってしまった事件から垣間見えました。

ジャンヌ・ダルクの(勝手に自分が持っていた)パブリックイメージを壊してくれたのが夏川さんの少女としての演技で、ただの強い女性だと思っていた私に気付きを与えてくれました。
記号化されたジャンヌ・ダルクから一人の人間としてのジャンヌ・ダルクへ。
深みと広がりを持つことができ、ジャンヌ・ダルクをもっと知りたくなりました。

ジャンヌを演じ切った夏川椎菜さんの成長

このブログを読みに来るような人は、きっと筆者の日々のツイートを見て知ってくれてる人が多いと思いますが、
やれ〇〇さんやら、△△さんやら、ハンドルネームに(群)を付けてるのに他の推しのことばっかりで、あまり夏川さんの名前が出てなかったと思います(ここで他の人の名前を出すとブレるので自重)。

大正解。
ここを読みに来るような物好きな人だから敢えて誤解を恐れず言います。最近の夏川さんの活動に満足してしまっていました。
アーティスト活動で成長したツアーを完遂させて、地上波のラジオで新たなファンも獲得して。
この先の"夏川椎菜"の行く活動に限界を感じていたのが正直なところなんです。
私はどうやら人が目に見えるように成長していく姿を応援するのが好きだと最近気づきまして。
徐々に成長速度は鈍化し、ゆるやかな停滞はどうも刺激が少なすぎる。
もちろん、あとは楽しそうにわちゃわちゃ活動してくれるだけで良い、眺めてるだけで幸せ、ってパターもありますが、
夏川さんのナニクソ精神に魅了されてきた私は、より刺激のある方へと流れていっていました。

いやー、ごめんなさい。
夏川さんみくびってました。

まだこんなにも自分が知らない一面があったとは。
鬼気迫る表情、叫ぶ時の声の張り方、立ちや動きの演技。
え?え??見たことない夏川さんめちゃくちゃ出てくるんだけど???
MAKEOVERの時そんな旗の掲げ方出来てなかったじゃん???
夏川CZで毎週疲弊した様子を聞いていましたが、体当たりでぶつかって、スポンジのように吸収して悩みながら咀嚼して表現したんだなと伝わってきました。

やっぱ夏川椎菜すげえ、すげえや。

深作さんが役者 夏川椎菜としての今後10年を示す作品にできれば、みたいなニュアンスのことを話していましたが、まさにそれを感じた表現でした。

この先の夏川椎菜を見てみたい。

もう一度謝ります。夏川さん申し訳ございませんでした。
推しを信じきれなかった私の負けです。
こんなへっぽこなヒヨコですが、これからも応援させていただいてもよろしいでしょうか?

きっと夏川さんなら寛大な御心で赦してくださると信じて、結びとさせていただきます。


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