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砕かれる (短編小説)
これを二年前に書いたとき、
「今回のは素晴らしいよ!」
と牧師が初めて褒めてくれました。
「心砕かれるための学校」について、
その学校の先輩である彼と
話し合ったことがあった
からかもしれません。
その学校に入ったつもりでいて、
わたしはまだまだ塊のままです。
わたしもあんなふうに、
柔和に、キリストを映せるように
なりたいのですけれど。
そのことを思い出して、
未熟な文章を整え、
すこし書き直してみることにしました。
「これは頭脳だけの宗教じゃないんだ。
じぶんの身をもってキリストの十字架の
痛みを感じながら、エゴを砕かれていく、
じつにマゾヒスティックな
宗教なんだからな」
という作中の恐ろしい台詞に、
書いた本人がいまさら驚いています。
けれど言い方は酷くても、
遠からずなんじゃないかしら、
と思わなくもありません。
さあ、どうでしょうか。
*
今の気持ちを表してみろと言われたら、パウロは迷うことなく黒の絵の具を取り出してきて、ポロックのように画布に殴りつけるだろう。
黒の絵の具、それから深い深い青の絵の具。赤を飛び散った血のように。血があちこちに飛び散って、バケツをひっくり返したように流れでたのだ。
まるで壊れたビデオテープのように、くりかえし繰り返し脳裏に再生される。救いようのない震えに、立っていることもできないくらい。
救急車も医者も手術も、助けはすべて手遅れだった。そう、神も。どれだけ必死に祈っただろう。神は聞いてくださらなかった。
十代のころから説教檀に立ち、いままで酒を飲んだことも、妻以外の女性に触れたことも、タバコを吸ったことも、道を外れたことは一切したことがない、そんなパウロの祈りを、神は聞いてくださらなかった。
妻のエリーはすべての血を流し、苦悶を終えたのち、まるで天使に触れられたかのような、安らかな確信に満ちた顔をしていた。血にまみれた下半身の惨状を、置き忘れていったみたいな、ひかりかがやく、いとおしいエリー。
エリーはすべての苦しみを、彼に残していったのだ。そうに違いない。
神が良い方だなんて、どの口が言ったのだろう。いままで疑いもせずに信じてきた教えも、虚しくこころが閉じてしまったかのように、なにも響かない。
いままで当たり前のように共に暮らし、説教し、宣べ伝えてきた神のことでさえ、いまのパウロは疑っていた。
浮かんでくるのは、ただ手遅れの子宮外妊娠で死んだ、血まみれの妻の姿だけ。水草も生えない絶望の沼におぼれて、今のパウロには光も届かなかった。
*
ざわざわとしていた。葬儀のためによそおわれた教会堂をながめながら、パウロは思った。エリーなら、きっともっと花を足したり、細工を施したり、その魔法の手で、最高の会場を造り上げただろうにと。
自分の葬式のために?
イベントの飾りつけや計画にかけて、エリーは常人をしのぐ才能を持っていた。結婚式でも、ベビーシャワーでも、行事あるところに、エリーあり。エリーの周りはいつも人だかりがしていて、この教会のコミュニティーに欠かすことのできないひとだった。
葬儀に集まった面々を、パウロは虚しく見回した。エリーは友達が多かった。ここアラバマ州からは勿論、隣のジョージア、フロリダにサウスカロライナ、ミシシッピなどの南部諸州に留まらず、遠くはインディアナやアリゾナからも、エリーを愛するひとたちが集まっていた。エリーの数多い従兄弟たち、ユースキャンプ時代の友達。もちろん教会のひとたちはみな揃っていた。
この突然の死の衝撃を、だれもが受け止めきれないらしい。共同体のなかで葬式を出すことはあっても、このような生々しい死は滅多にない。
パウロはただうちのめされていた。
ひとびとが席に付き始めた頃、会堂の外がすこしざわついた。ひっそりと東洋人の男が後ろの扉から入ってきた。ひとびとと軽くハグを交わしたり、ひそひそと挨拶をかわしたりしながらも、彼の視線はせわしげに会場の前方をさぐっていた。
ああ、来たか、とパウロはぼんやり考えた。つい半年前、日本に帰ったばかりの奴が、またわざわざこんな田舎くんだりまで戻ってきたのか。それを考えると、パウロはすこし可笑しいような気がした。
この教会では珍しく、エリーの葬儀はしめやかに進行した。
教会の老人が亡くなったときなどは、遺族が大声でハレルヤ! と叫んだり、賛美で踊りだしたり、まるで凱旋パレードのような晴れやかな葬式で、来客の目をみはらせる教会なのに。
喪主の挨拶さえ、パウロには出来なかった。エリーの父に代わってもらった。舅は泣き腫らしたあとの目をしていた。家族の何人かが壇上に立ち、泣きながらエリーの思い出を語った。
日本から来た真木も、あちらの喪服らしい黒いスーツ姿で、エリーの思い出を語った。
「エリーはぼくたちの心に、深い爪痕を残していきました。その痛みが消えることがあるのか、ぼくにはわかりません。
けれどついほんの半年ほど前に、エリーが語ってくれた言葉を、みなさんにも伝えたいと思い、日本からやって来ました」
「ここで二十年暮らして、ついに帰国の途に着こうとしていたぼくに、エリーが言いました。どうしてこちら側にはお別れがあるのかしらね、と。
そしてまるで見てきたかのような現実味をもって、あちら側にはお別れなんてないのよ、とぼくに言いました。あちら側では大切なひとたちは、いつも一緒にいられるのだと。
それからエリーはこうも言いました。年をとればとるほど、あちら側がふれられるように近く、現実味を帯びていくのだと。
生きることはキリストであり、死ぬことは利益なのである、と」
「ぼくはそれを聞いたとき、なにかひそやかな予感を感じそうになって、慌ててそれを打ち消しました。
いまになってわかるのです。いまぼくたちがエリーの死に衝撃を受けているほどに、エリーは自らの死に驚かなかっただろうことを。
エリーとキリストは、一つであるかのように親しい間柄でした。キリストに繋がって死んだエリーは、死んでいないのです。身体は死んでも、エリーの本当に大切な部分は、神のもとで生きているのです。
そしてエリーは、いまのぼくたちとは比べ物にならないほど、幸せな状態にあるのです。
ぼくはキリストのもとに一足早く行ったエリーに、嫉妬さえ感じています」
真木は語り終わるとしずかに壇上を降りて後ろの方の席に帰った。ちいさな拍手がおこった。真木は日本人らしくいつも控えめで、こんなふうに親族に混じって発言をするなど彼らしくないことだったから、パウロは驚いた。
パウロは、この半年間に真木の身に起きたことを知っていた。この近くの大学に留学しにきてから、かれこれ二十年もアメリカに住み着いていたあの男は、母の死を契機に、ついに実家を継ぐため帰国したのだった。
真木の生家はかなりの旧家だった。家屋敷も財産も相当なものであるかわりに、古い本家としての厳しいしきたりや縛りも、クリスチャンとなった真木には耐え難いほど強かった。そこに帰って真木は大いに迫害を受け、鬱にまでなったというのが、この半年間の出来事だった。
ここまで回復しているとは思わなかった。というよりいまの真木には鬱の影どころか、アメリカにいた頃よりずっと、精神的な強靭さや控えめな意思の強さが感じられた。
呆気にとられたように、パウロはそのすべてを見ていた。
*
葬儀が終わった。いろいろなことが日常に戻らなくてはならなかったが、パウロは自分の家には帰れなくて、教会から十分ほどの場所にある、両親の広い一軒家に泊まり込んでいた。
真木もそこに滞在していた。彼が半年前まで住んでいたトレーラーハウスは、もうエリーの弟夫婦の新婚の巣になっていたから。
真木はパウロの両親のことを、父さん母さんと呼んでいた。ここは真木にとっても実家同然のところで、仕事を休んで部屋に閉じこもっているパウロの僻んだ目には、真木がリビングで久しぶりの家庭団欒を楽しんでいるふうに見えた。
べつに大して気にしちゃいないけど。
神にしか仕えてこなかったパウロは、神に臍を曲げたいときに、どう振る舞っていいのかがわからなかった。
いまさら酒を飲むのも煙草を吸うのも、可笑しな話だった。それにパウロはそういったことは罪の表れでしかなく、ほんとうの罪は神を信じないこと、不信仰であると知っていた。
そう、聖書のすべて、教えのすべては諳じられるくらいパウロのなかに詰まっていた。そしてそれが正しいことくらい、全部わかっていた。
ただ心が折れてしまって、砕けてしまって、すべていままで地面だと思っていたものが、沈みこんでしまった。
つい二三ヶ月前、パウロは日本の真木に、ビデオ通話で偉そうな説教をかましたではないか。
鬱になるほど苦しんでいる親友に、彼は正しい教えを、みことばを突きつけたではないか。そのときの彼にまるで十字軍のような自己正義が伴ってはいなかったか、いまのパウロには自信がない。
いままでの自分の説教に、試練を与えられたいま、自分で到達できていないのだ。
偽善ほど、パウロを苦しめるものはなかった。とくに自分の偽善は。
*
「お前にどんな言葉を掛けても無駄だろうなあ。なんたって正しいことはすべてご存知だものなあ」
真木は客用寝室に勝手に入ってくると、ベッドで丸くなっているパウロに言った。皮肉である。
「お前と喧嘩する気分じゃない」
蓑虫にでもなれたらいいのに、と思いながら、パウロは毛布を深くかぶった。
「砕け散ったか?」
ちいさなドレッサー用の椅子に跨がって、真木が言った。
「見ればわかるだろ」
「それはよかった。鼻が高すぎて、雲を突き抜けているような宣教師なんて、なんの薬にもならないからな」
「俺はそんなんじゃない」
「これは頭脳だけの宗教じゃないんだ。じぶんの身をもってキリストの十字架の痛みを感じながら、エゴを砕かれていく、じつにマゾヒスティックな宗教なんだからな」
「そんな身も蓋もない言い方ないだろ」
おっと失礼、と真木が言った。
「いくら臍を曲げても、お前はいまさらキリストを捨てることなんか出来んよ。いちど聖霊を受けたら、それはけっしてお前を離れないし、お前もそこまで馬鹿じゃないから」
「お前は何しにここに来たんだよ」
さすがに腹に据えかねたパウロに、真木が平然と言う。
「いやあ、実は誘いに来たんだ。いまでもまだ日本に来る気はないかってね」
パウロとエリーは、日本に宣教に行く予定を立てていた。エリーの妊娠が発覚するまでは、渡航する日付まで決めかかっていたほどだった。
そう、あのときもっと頻繁にクリニックに行かせていれば、こんなことにならなかったのに。神に『もしも』など無いと説教しておきながら、またその罠にかかってしまった。
「こんなダメ人間、日本に呼んだってどうしようもないだろう……」
「神はこころの砕かれた人間を用いられるって、お前の本には書いてないのか?」
「いまは正直に言って、宣教するどころか、ほんとに神がいるのか教えてほしいくらいなんだぞ」
「日本人のほとんどは、神がいることさえ知らないんだ。そういう人たちのなかに、頭でっかちな宣教師がのこのこと出かけていったって、なんの意味もない。
そういうひとたちのあいだでこそ、心を砕かれて、極限まで削ぎ落とされた、キリストの苦しみを知っている人間が必要なんだろう」
「お前は俺のことを、そういうふうに見ていたのか?」
真木はいまさら言いにくいような、そんな顔をした。
「日本の仏教の家庭に生まれて、二十近くなってからクリスチャンになった俺からすれば、お前は羨ましいくらい悩みのない恵まれた環境にいたとおもう。
お前に説教の賜物があって、油注ぎがあるのは、俺もこころから認めてる。
でもこのあいだのは腹に据えかねた。こいつは苦労したことがないから、ひとの痛みがわからないんじゃないかとも思った」
なんの返事も返ってこないのを見て、真木は椅子を立つと部屋を出ていった。電気もつけぬ部屋の北向きの窓に、黒々とした森が圧迫感をもって迫っていた。
*
パウロは日本に行くことに決めた。そう長いこと、神に臍を曲げていられもしなかった。エリーの最期はフラッシュバックのように、まだ脳内にたびたび甦ったけれど。
神は、パウロを包み込むようにして、至るところにいた。
ある日、松林をぬけてくる冷たい乾燥した風のなかに、不思議なことだけれど、パウロは神を感じたのだった。めいっぱい鎧を着込んで、形を成そうとしていた硬いパウロのこころは、崩れ落ちるように神に降伏した。彼はその場に溶けるように、しゃがみ込んだ。
自分のなかには、もう何も残っていなかった。才能も賜物も妻も、ようやく与えられた胎児さえも。もう自分には、何も誇るものがなかった。自分の偽善に気づいたせいで、説教師としての自信もなくなった。
それが神の求めておられる姿だと、こころが囁いた。神はこころの砕かれたひとを求めておられる。自分で一杯になった人間は使いようがない。打ち砕かれて空っぽになったパウロに、神は喜んでおられるのだと。
「降参です」
青い空を見上げて、パウロは言った。
「お好きなように用いてください」