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こころいきで着る服 / 私服の制服化 / どこまでも歩いてゆける靴



書いてみたかった
他愛もないファッションのはなし。
よくnoteで製品レビューとか検索してるので、
じぶんも書いてみました。



 ある晩、冷たい風がやってきて、夏を吹きはらってしまった。どんなに閉じこもっていた心でも、気持ちのよいお外に干してみたくなるような、とうとい秋が、とつぜん、厳しすぎる猛暑と入れ替わった。

 わたしは一年のほとんどを、四、五枚のバスクシャツで暮らしている。タンスの下のほうに眠っていた、紺と白のボーダーを着て、カーキのスカートを履き、いつか奮発した si si si のデニムジャケットをはおって、わあ、また洋服を着るのがたのしい季節がやってきた、と思った。暑さのためでも、寒さのためでもなく、ただ装いをたのしめる日。

 猛暑のあいだずっと、2着ある Thousand miles のアッパッパを、かわるがわるに着ていた。あまりに暑すぎて、あのサラサラした速乾で、まとわりつかない生地以外、着る気にならなかった。アッパッパといえば、幸田文の「きもの」のなかで、関東大震災で被災したときに、おばあさんが着ていたイメージだ。アッパッパというのは、追い詰められて、もう開きなおるしかない、というときに、恥など忘れて、堂々と着るべき服だと、「おばあさん」に刷り込まれている。ほんとうに、ここ何年も、災害みたいな夏なのだもの。

 こころいき、で着るような服がある。きょう街を歩いていたときに、すれ違ったおばさまは、リバティの生地の、シャツワンピースを着ていた。それはおばさまには、すこし若いかんじだったかもしれない。ほんのすこし、微妙に、そぐわない、少女の匂いがする服だった。でもかの女は、その隙間を、こころいきで補っていた。隙間を埋めて、あり余るくらいのこころいきで、おばさまはファッションを愉しんでらした。あんなに暑い夏が終わったのだもの、いまこそ好きな服を着て、なにが悪いっていうんですか。

 わたしは男の子の母になり、こころいきのファッションを捨てて、Lala begin に載っているような、実用的で、無駄のない装いに乗り換えてしまった。服は装備だ、とおもうようになった。洗えること、へたらないこと、何年も使えること。いつだって同じような服を着ているけど、ひとつひとつわたしの肌に馴染む、相棒のような服だ。そういった装いをするのも、こころもちがよい。

 ときどきは、突拍子もない服が着たくなる。モードの服、とかいうわけじゃなく、赤だとかマゼンダだとか、なにかを発散させるような、主張の強い色を着たくなる。去年の冬は、Health knit  の裏起毛の赤いスウェットばかり着ていた。赤を着ていると、元気が出るような気がした。家族にいわせると、人混みのなかでも見つけやすいから、ありがたいそうだ。きょう、肌寒くって、その服をひっぱり出してきた。まえのシーズンに、胸のところを漂白してしまったから、不器用な刺繍で、赤い枝と花をあしらってある。そのときは大得意だったけれど、さて着てみると、これで人前に出られるかは定かでなかった。もう一着買おうか、でも一年しか保たないならもったいない、と悩んでいるところ。赤い色は、すぐ褪せてしまう。

 ずっと思いえがいている服がある。何年もまえからずっと、インドのブロックプリントのワンピースが欲しかった。ネパール人の友だちがときどき身にまとう、伝統衣装がすてきだからかもしれないし、うちの母が元バックパッカーで、ちいさい頃、インドやネパールで買ってきた品々を眺めていたからかもしれない。

 モールに行くたびに、Freaks store で、Freada の服を眺めている。買ったことはいちどもない。あるとき、これはまさにわたしぴったりの服だ、というくらい気に入ったのを見つけた。ブロックプリントのスカーフを組みあわせたような、変則的な形をした、白黒のワンピースだった。鏡のまえで宛ててみて、「よく似合うじゃない」と母に絶賛された。わたしも似合うとおもった。でも値段が値段なので、その場で気軽に買うわけにもいかなかった。わたしはいっしょにショッピングに行っても、ぜんぜん楽しくない人間だと思う。こだわりが強すぎて、めったに服を買わないし、買うときはさんざん迷って、買っても気にいらなくて、すぐ人に上げてしまったりする。

 そのうちにわたしのなかで、理想の服が出来上がった。それはブロックプリントのワンピースで、胸にキルティングが施されており、黒っぽい色調である。生地は厚手で、夏以外の3シーズン使えるようなもの。丈は長め、でも引き摺りはしない。そして無理だとはわかっているけれど、洗濯機で洗えるものがいい。Freada か、Saruche か、きっとどこかに売っているだろう。ちゃんとブロックプリントじゃないとだめ。キルティングのインド風ワンピースでも、安っぽいのがある。そういうのじゃない。綿がしっかり詰まっているのがいい。これがわたしのワンピース、というふうに、何年も何年も着続けられるのがいい。

 まあ、洗濯機可のブロックプリントなんて、たぶん存在しないから、夢はゆめのままにして、そういった服装は、ほんものである、ネパール人の友だちに任せることした。(彼女は洗濯できそうにない、重厚なスパンコール刺繍だって、洗濯機でふつうに洗っていた猛者なのだ)。じゃあ日本人のわたしは、浴衣の道をもう一歩進むかな、とおもって、ことしの夏は、二千円のうそつき半襦袢を買った。浴衣は、わたしが正倉院とよんでいる義実家の押し入れから、すてきに地味で青いやつを、義母が見つけだしてくれた。浴衣に半衿をかさねるのは、これも夢のひとつだった。けれどあまりに暑すぎて、ほとんど着る機会はなかった。涼しくなったとおもったら、もう単衣どころか、そろそろ袷でも着たくなる気候になりそう。わたしは半幅帯しか結べないから、きものは浴衣の季節だけに限ることにしている。
 
 そう、足もとのはなし。一足だけ持っていた、銀いろのパンプスに黴が生えて、こないだ捨ててしまった。履くと足が痛くなるし、歩けないような靴とは、結局縁がなかった。秋冬春の大半を、Blund stone のローカットブーツを履いて過ごしている。あれは便利だ。雨も泥もへっちゃらだし、歩きやすくて、頑丈。どんな服にでも合う。きっとこれが壊れても、なんとかお金を捻出して、あたらしいのを買うだろう。買えたらいいな。

 夏は、chaco のサンダルを履いていた。友だちに勧められて。足にあわせて締めあげるストラップのおかげで、靴と足とが一体になるような感覚が好きだった。三年履いたら、靴底が薄くなって、地面のコンクリートを感じるようになった。買い替えの時期だった。

 結局メルカリでみつけた、おなじ chaco の、こんどはピンクベージュを買った。なんだったかな、Adam et rope のコラボのやつ。前のは黒だったから、気分が華やぐような気がした。子どももすこし大きくなったんだし、ちょっとくらいお洒落したっていいわよね、とおもって。でも履いてみてわかった。たった一足の靴を履きまわすつもりなら、色は黒に限る。赤いバッグに、ピンクのサンダルは、どうしても合わなかった。べつにどうだっていいかもしれないけれど、着ていて、なんだか珍妙で気が引けた。

 それで誕生日に、黒いサンダルを買うことにした。いろいろ考えた。厚底で、地面が感じられないくらいクッション性があって、定番品であること。長持ちすること。ABC-MART で、ナイキのエアマックスココを試し履きして、その柔らかさに驚いた。こんなにふわふわした履き心地の靴があるのか! と感動したけれど、あとから調べてみたら、あのエアーは抜けてしまいやすいらしい。それに電車に乗ったら、一両に4人くらい、エアマックスココを履いているひとがいて、これはないか、と思った。

 それで KEEN の店に行った。わたしはローズサンダルを狙っていたのだけれど、夏も終わろうというときに、サンダルはほとんど並んでいなかった。頭をひねらせて、ムラサキスポーツに行った。やさしいお姉さんにさんざん手間をかけて、思いつくままに試してみたあげく、UNEEK の ASTORIA というのを買った。バンジーゴムのようなもので、足全体を締めつけている変な靴で、しかもレディースだから、すこしヒールが高く、クッションが効いている。これだって、みんな履いてるやつだけど。

 そのときほんとうは、freada のキルティングワンピースと、KEEN のサンダルとで、迷っていたのだ。どちらも、誕生日にしか買えないようなお値段だから。だけどわたしは、「夢のようなお洋服」よりも、「どこまでも歩いてゆける靴」を選んだ。

  靴、靴、ただの靴だけれど、須賀敦子さんの本をおもいだして、三十という節目の誕生日に、「どこまでも歩いてゆける靴」を選んだことは、ちょっとじぶんを褒めてやりたいような、誇らしい気持ちがした。この靴を履いて、まだまだ歩いていこうとおもう。

 


 


 

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