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ADHDとうつについての備忘録 04 -気づくとマッチョな考えから逃れられなくなった-

今回、便宜上マッチョ(マッチョイズム)という言葉を使うけれど、定義されている意味全てを含むわけじゃないことだけ記しておきます。他にピッタリくる言葉が見つからないので。

一応マッチョイズムの意味を検索してみた。

男らしさや男性的な逞しさを重んじる思想のこと。職場においては「弱みを見せない」「仕事が最優先」「競争をいとわず、勝つことにこだわる」といった要素が男性らしさの規範と考えられている。

元々、自分は上記のような考え方とは真逆の考えで生きていたと思う。
「自分の好きなことやりたいようにやればいーじゃん。競争なんてばかみたい。弱い部分もさらけ出して生きていこうよ、全人類仲良しハッピー!」

競争とか格差の例をあげると、高学歴な人をたてる言葉や、年上の人をたてる文化、ネットで見るFランという自虐混じりの言葉。そんなものは30代になるまで、みんなお世辞だったり半ば冗談で言っているんだと、本気で思っていました。

でも、裏に微かなマジさを感じて恐ろしかった。どうにも理解できない概念だったけど、今は「そういう文化を持つ民族がいるらしい」といったような距離感では理解できています。

…いや、ここまで文章を書いてふと思った。
多分、「その行動の意味を咀嚼しないまま、形だけ取り繕ってるように見えて気色悪い」と感じていたんだと思う。

社会で揉まれているうちに、
「自分の責務をしっかりこなし、弱音を吐かず、だが戦略的に弱みを見せ、先々を見据え想定し、効率的に仕事をこなし、素晴らしい余暇を過ごし、一日一日を大切にし、一分一秒を全力で過ごし、身の回りの人々に幸せを与え、己の理想に向かって、後悔の無い人生を歩まなければならない。」

というマッチョな思考から逃げられなくなってしまった。ここから外れたことで失敗し、間違いを指摘されることが多かったのだと思う。

でも、改めて文章にして読むとめちゃくちゃに気持ち悪いし、こんなの無理と思う。でもそこまで開き直れないので、自分が弱いだけなのかな…とも感じる。

「善い人生」を歩むには上記のようなマッチョな思考と行動をとり続けなければならない。

でも自分にとって、「善い人生とは何か」を具体的にイメージすることができない。
行き先を決めていないのに、正しい歩き方や正しい姿勢を矯正されるのは変な感じがする。

ここまで、余りにとりとめのない文章になってしまった。
ChatGPTに投げると、整理されてキレイな文章になって返ってきたが、感じているニュアンスが明らかに異なるのでこのまま投稿することにする。

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