私の大学奮闘記4年次。 vol.1
大学3年に休学してからの話をしたい。
そう。
札幌の芸術系の大学で科目等履修生をしていた。
ピンホールカメラの新しい先生の講義を受けていた。
弘前大学でさとみつさんに教わったピンホールカメラである。
それを札幌で教えてくれる先生がいたのだ。
科目等履修生のときは、ピンホールカメラと写真実技の講義を受けていた。
年齢は、3つ歳下の子達と受けていた。
この時、
(年下との接し方がわからない)
という課題に当たった。
そんな卑屈に考えずに、楽にいこう。と思ったけれど、
(年下の学年に加わるなんてプライドに触る)
当時の私は21歳でそう思っていた。その時読んでいたメディアとして、家入一真さんの就職活動の本があげられる。
そこには、インターネットからの事業や
登校拒否でも社長になれた。
結婚できた。
年下から教わることを学べとも習った。
(年下から教わることを学べば、仕事ができるようになる!)当時みていたメディアのインターネットユーザーの意見もそう読み取った!
前向きに行こう!
ということが掲載されており、私は女であるが、羨ましい!と思った!
それから、友達のめいたんについていき、めいたんは、すごくアクティブにアートやデザイン活動をする子で、同じ高校の同級生でありながら、一つ年上の学年にいたので、
いわゆる
(ついて行った)
といえよう。
社会人の先輩なのだ。
(お手本)にして何が悪い。
と言う言い分で勘弁してください。
それからは、めいたん主催の
学生イベントのユニフェス、アートカフェに参加させてもらい、後に藝術大学の和子ちゃんや後に東大の榎本くんに合わせてもらい、インターネットでも、繋がることがあり、すごく楽しませてもらった。
これを (一期一会 )という。
学生時代、休学時代は、
札幌の科目等履修生と学生イベントに参加していたのだよ!弘前の皆さん!
みんなとは!
SNSで繋がりましたね!
新しい存在として、後輩のヤマタクには、Twitterで楽しませてもらいました!
ヤマタクとの出会いは、SNSの仲間として通じ合い、実際に会うのは、
2014年の年末年始のこと。
わたしが札幌の大学を卒業して、社会人一年生で物流会社で、契約社員になって少し経ってからのことでした!
最初は、恋愛感情はなかったけど、
だんだん気になる存在となり、 SNSでネットストーカーレベルになってしまい、大変誤ったけど、今となっては、(そうゆう人だ)と思われてると思います。
そうそう!
ヤマタクと年末年始にあってから、パスタをご馳走して、テラス計画を案内したのである!
私が奢ることなんてないからね!
それからインターネットで、ヘマしてしまい、かれこれ、勉強と仕事の狭間で悩んだ関係になってしまい、どっちつかず。
年末年始に会ってから、
(毎年、年末年始は、会おうね。)
と約束したけれど、2年目も3年目も会えずに終わり、やっちゃん同様、ヤマタクが一般女性と結婚式を迎えたことを、(ニナカライからの手紙)でご連絡が来たことをなんとなく、なぁなぁと、感じる。
結婚していたら!
おめでとうね!
なんとなく、 SNSで恋愛をしていた!
いわゆるハッシュタグってやつ!
その頃の私は、欅坂46の(アンビバレント)をカラオケで歌いまくっていた!
可愛い後輩でした!
弘前大学の恋愛は、これを持って終わりを告げた。
おおくりょだけがどうなったのかは知らず仕舞い。どうなる??
弘前大学の恋愛は、多種多様で矢沢あいでは収まりきれない。
なんとなくそう思う。
どうなるんだろうね?
私の結婚相手は誰なんだ??
ま、そのうち決まるだろうとなあなあと仕事探しをしている間にも、弘前のみんなは、進んでしまい、婚期を逃していることを、多分、札幌の芸術系の大学の同期生なら、(やっぱね〜)ということで、伝わってると思う。
ま、ikka。
柴田とは、そうゆう生き物である。
柴田(あーあ、どっかに、イケメンいないかなぁ)
学校の一コマである。
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