私が杉並に来た理由③-鬱のときの私-
※本投稿を読む前に、「私が杉並に来た理由②」をご覧ください
心療内科の診断はいたってシンプルでした。
医者「死にたいって思う気持ちはありますか?」
私「はい。」
医者「鬱ですね。精神安定剤だしておきますね。」
約5分の問診で鬱と診断され、初めて処方される精神安定剤と睡眠導入剤。
その時の私は、何かを思うわけでもなく、なすがままでした。
恐らく、高専を休学するタイミングからやんわりと鬱状態が続いていたのでしょう。
のちに短大の先生が言っていたのは、初めて学校見学に来た時点で、生気の無い顔をしていたそうです。
私の鬱になる感覚は、夢やお金、学歴など、心を支えている様々な柱が一本ずつ折られていくようなイメージでした。
たぶん、一本目の柱は高専を休学した時に折れていたのかもしれません。
今、文章を書きながら思ったのですが、鬱になった後のことはそれなりに覚えているのに、成人式から鬱になるまでの数日間の記憶が全くありません。
起き上がることができなかったのは、栃木の実家のベットの上。
成人式以降の数日間は、短大の授業があったため、一度東京に戻っているはずです。
しかし、どのように栃木と東京を往復したのか全く覚えていないのです。
もしかすると、行きつくところまで思い詰めて、もう何も考えることも感じることもできなくなっていたのだと思います。
その日から実家での療養生活が始まりました。
進学の一件で壁ができていた両親も優しくしてくれました。
学校やバイト先への連絡、病院への付き添いなど身の回りの様々なことをしてくれました。
しかし、当時の私に優しさを感じる余裕はありません。
1週間おきに増え続ける薬。
重い抑うつ状態のあとにやってきた躁うつ。
躁うつによる爆買いと爆食い。
自分で制御することのできない癇癪。
私の精神は初診時以上に不安定になっていたのです。
ある時、私はこう思うようになります。
「もう死のう。死んだら楽になる。」
私は、自殺を図るようになるのです。