いいお母さんをやめてよかったこと。
お弁当は作りますか?
お母さんが作った、お弁当は最高ですよね。
お弁当には、お母さんの愛情がいっぱい。
私は、子育ては終わっていますので、
お昼ごはんの心配をするってことからは、解放されています。
子どもが中学生の時、引っ越しをしました。
転校した学校は、給食ではなくてお弁当を持参する学校でした。
弁当を持ってこれない子たちは、コンビニで菓子パンを買ったり、
おむすび買ったり、
希望者によっては、業者の弁当が昼に届くシステムだったようです。
だったという表現なのは、
ほとんど学校には足を運ぶことがなかったから。
参観日も運動会も行くことがなかったです。
三者懇談には、さすがに足を運びましたが、なんだか空気感が。
なんか、アウェー感、半端ないな。
というのが、その中学校の廊下を歩いている感想でした。
担任の先生ともあまり接触がなくて、
いいイメージを持たれていない感触でした。
中学卒業してから、少したって、子供たちと思い出話をしている中で、
先生たちには、ネグレスト(育児放棄)ではないかと思われていたらしく、
なんども、家の様子を聞かれていたそうです。
娘は、違うというと、言えば言うほど、
信じてもらえてなかったと思い出しながら、話してくれました。
ああ、だからか、と妙に納得してしまった。
歩くたびに先生たちの視線が、妙に気になったのを思い出しました。
お弁当をつくらない母親。
運動会や授業参観にも来ない母親。
イメージ悪いですよね。
お弁当は、作ろうとしてました。
当時は、体調が悪くて、職場で倒れて、そのまま手術。
退院後も、体調不良で、家のことをしようとしても
体が思うように動かない状態でした。
それでも、少し調子がいい時、台所に立って、
お弁当を張り切って作った翌日は、寝込んでしまって、
逆に家族を心配させる始末。
子どもたちから、お願いだから、お弁当作らないで。
と言われて、それからは、お昼代を出すようになりました。
いいお母さんとみられることよりも、子供たちが、
安心して学校に行けるほうを選択しました。
お母さんは、大丈夫だから。
と思われるように、自分自身の体調管理を第一に生活してきました。
なので、
今は、すっかり良くなり、元気に、家事をしたり、仕事しています。
倒れた分、休み方も少しずつ、上手になったし、家事の手の抜き方も
家族に頼ることも覚えました。
いいお母さんを目指さなかったので、早く元気になれた気がしてます。
あの時、お弁当を作らなくてよかった。
先生たちの中で、お弁当を作っているかどうかを愛情表現とみるのは、
理解できます。
それができないときもあるんです。
先生たちは先生たちで子供たちのことを見てくれていたんだと思います。
ありがたいです。
まあ、よくよく聞いたら、欲しいものがあって、
私が渡したお昼代を節約していたそうです。
「帰り、みんなでマック寄りたくて、お昼抜いてたよ」
ああ、たぶん、それが、私の風評被害の原因かもしれないと思いました。
まあ、卒業してしまえば、時間がたてばいい思い出です。
出来るお母さんでなくても、なんだかんだで楽しく暮らしています。