「型」はあくまでも誘導灯。自分に寄せていけばいい。
昨日は堀江のLILASICさんで開催された、モダンカリグラフィーのワークショップ「文字を綴るワークショップ」へ参加してまいりました。
講師は「Boudoir」のBinさん。
Binさんとは数年前に着付け教室で出会い、ワークショップをされていることを知ったものの、コロナやら私用やらで、これまでなかなか都合が合わず。やっと初参加が叶いました。
今回は、12ヶ月のカレンダーとその表紙を綴ろう、というもの。
私を含め参加した方々はほとんどが初心者。基本から練習し始めたものの、それだけで所要時間のうち、3分の1が消費されてしまいました。
でもこれが本当に、基本だけでも楽しい。
オブリークホルダー(ペン軸)の持ち方、ニブ(ペン先)の開き具合、ペンを上へ流すときは軽やかに、下へ流すときは力を入れて……等々、基礎の基礎から学ぶことができました。
けれど、何より心に残ったのが
「"自分"に寄せていきましょう」
という、Binさんの言葉。
モダンカリグラフィーは文字を美しく整え、ある程度の型が定まっている手法。当然、美しく書くために一定のルールがあります。
けれどBinさんは、自分の動きやクセに沿うように、無理に苦しまないように、自分に馴染むよう書き方を変化させようと教えてくださいました。
例えば、紙。
練習用の紙には文字傾斜が引かれていたのですが、その角度は52度と、紙がまっすぐのままだと少々書きづらい。であれば、その傾斜が自分から見てまっすぐになるまで紙を傾けさせると、無理に手首や指をねじることなく書くことができますよね。急な斜めの線を、ただまっすぐ下ろすだけでよくなりますから。
さらに、自分が持つペン軸や指の角度に合わせて紙を傾けさせると、もっと楽に書けるようになります。
「あ、自分に合わせていいんだ」と、視野が開けた瞬間でした。
書道の教師資格を取得している私にとって、「型」は必ず守るべきものという先入観がありました。苦しさや不便さを感じるならば、それは己の修練が足りないのだと。
そもそも、日本ではそういう考え方が根付いているような気がします。
こうでなければならない、ああでなければならない。美しさ、強さ、気迫といったものは、長年研究され、余分なものを削ぎ落とし、洗練された「型」にこそ宿るものなのだと。
間違ってはいないのでしょう。無駄のない動きに魅せられる素晴らしいものが、世の中にはたくさんあります。私もそういったものが大好きなのです。
けれど、肩の力を抜いたものが「悪」になるわけではない。
型やルールは決して、動きを縛るためのものではなく、あくまでも一定のレベルに到達するための誘導灯。
その誘導灯をどう扱うかは自分次第なのです。素直に辿ってみたっていいし、少しばかり避けて通ったっていい。何なら誘導灯を担いで歩いてみたっていい。誘導灯そのものの色を変えてみるのもいいかもしれない。
そうして試行錯誤してきた道のりこそが、自分らしい「洗練さ」を纏う結果になるのでしょう。
今回のワークショップからは、予想だにしない学びを得られました。
もちろん、モダンカリグラフィー自体も存分に楽しめました。ペン軸とペン先・インクは持ち帰ることができたので、時間内にできなかったカレンダーは年末までに完成させたいですね。
イタリアのヴェネツィアで買ったガラスペンも、ただのインテリア雑貨となったまま実力を発揮できていなかったので、この機会に活躍の場をたくさん設けようと思います。
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