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うちの猫の愛が重い

私の家族には猫が2匹いる。

英語の「Core = 中心部・核」から「常に家族の笑顔の中心にいますように」と願いを込めた、コアくん
ハワイ語の「Ulu = 成長する」から「元気にすくすく育ちますように(先代が病気で幼くして亡くなったので)」と願いを込めた、ウルちゃん

2匹ともちょこちょこ心配させることはあったけれども、コア11歳、ウル8歳と、何事もなくゆっくりとおじいちゃん・おばあちゃんへと向かっている。とても嬉しく、ありがたいことだ。

若い頃のコアにはコスプレとかもしてもらっていたり。Twitterでプチバズりしちゃったので、知っている方もいるかもしれない。(元ネタが分かる方、オトモダチになれそう)

そんな可愛らしい我が家の愛猫たちだが、時々思うことがある。
――――愛が、重い。

誤解しないでほしいのだが、それを嫌だと思っているわけではない。むしろ嬉しいしデレデレしちゃうけれども、それでも、やはり「重い」とは思う。

Case1. ウル

特にウルの愛は凄まじく重いのだが、彼女の塩対応だった時期を知っているからか余計にそう感じられてしまう。

休日の朝は私の布団に乗っかり、足元からのっしのっしと登ってきては、私の顔を覗き込みながら「ニャァアアーー!!」と鳴く。正直アラームとしてはきつい。けれどもうそこから二度寝はさせてくれないので、諦めてラブラブタイムに入るのだ。

この時のナデナデがもう、本当に、エンドレス。

手の甲に頭を突っ込んでくることが好きなウルには、手の甲を前にかざしてあげたり、おしりをぽんぽんしたり、ナデナデ掻き掻きしたり。
少しでも手を止めると、じぃ~~っと顔を見つめてくる。電気をつけていない朝方の部屋なので、黒目もまんまる大きく、その闇にひたすら見つめられ続けられるとほんの少しだけ恐怖を覚える。
この朝方のラブラブタイムは、起きてから約40分ほど継続される。これでも私から打ち切る場合が多いので、放っておけば1時間以上になるかもしれない(試す気はさらさらない)。

もちろん朝以外も凄いよ、彼女は。
もともとおしゃべり好きなんだろうが、一旦甘えたモードに入ると、部屋の中のどこにいようが何をしようが、ずっとみゃんみゃん鳴きながらついてくる。もしくは自分が腰を据えて(?)甘えたい場所に誘導しようとする。
やっぱり手の甲が好きなので目の前にかざすのだが、テンションが上がり過ぎると物凄い勢いになるので、私はわりと日常的に突き指をしている。

Case2. コア

彼は、ウルに比べるとそこまで重い子ではない(言い方がアレ)。

けれど、密かな「甘えたいな~」ムーブが凄い。

長年一緒にいるから分かるのかもしれないが、とにかく甘えたいときのアピールが凄い。太ましいカラダをゆったり近付けてきては、足元でじっ……としている。たまに顔を見上げてくるときもある。

あまり活発ではなく大人しい部類に入る子だからか、主張がとても静的だ。静的だからこそ、私たちが感じるその「念」のようなものがとても重苦しく感じるときがある。
「おお、甘えたいか、そうか……」と胡坐をかくと、その穴にすっぽりと収まっては「ふすんっ」と一発溜息を吐いて、ぐるぐると喉を鳴らし始める。この時、片腕を枕にしてあげることがポイントだ。

この子も甘えたタイムは長い。私から打ち切らなければずっとぐるぐる鳴いているし、そのまま寝てしまうことがほとんど。愛猫の平穏のためならば……と、痺れる足をいつもマッサージで誤魔化している私は、ちょっと褒められてもいいと思う。


何が言いたかったのかというと、愛が重かろうが何だろうが、愛をもらえるだけで幸せだし私たちはそれに応える義務があるということだ。
そして、我が家の猫たちは「重い」と感じるほど私たち家族を愛してくれているということだ。

これ以上の自慢があるだろうか。ただ可愛いだけではない、愛を与え、最大限の愛を返してもらえるこの絆こそが、私の自慢だ。

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