映画「岬のマヨイガ」――じっくり描かれた少女たちの一歩
こんばんは、飛び亀です。
もう2週間前なのですが、また新しい映画を見に行きました。
ポンポさんに続けて3ヶ月程度で2本も見に行くのは、僕にとっては珍しいことです。
今回見に行ったのは「岬のマヨイガ」です。
芦田愛菜さん主演のやつ。
個人的には好きな感じだったので、またレビューもどきをしてみます。
テーマは不幸と幸せ、災害、そして遠野の妖怪
「何も悪いことしてないのに、どうして私だけ?」
頻発する災害、不安定な家庭環境、不意に遭遇する事故……
世の中は理不尽なことで満ち満ちていて、幸せなんてすぐ失われる。
この映画は、そんな理不尽な不幸にあった2人の少女が出会い、温かな支えを得て、そして互いを支え合って一歩踏み出すお話です。
舞台は震災数か月後の港町。
物語上では明言こそされませんが、東日本大震災後の東北の町です。
事情があって家を出た17歳の少女・ユイと、事故で両親を失ったショックで声が出なくなった8歳の女の子・ひより。ひょんなことから出会った二人は、これまた唐突に現れたおばあちゃん・キワさんに突然引き取られ、岬にある人里から少しだけ離れた家で暮らすことになります。その家は、民話に語られる怪異「マヨイガ」の憑いた家だったのです。
マヨイガは、作中では「訪れたものをもてなし、幸福をもたらす家」とされています。しかし、当然ながらはじめはキワさんや不審な家に疑いの目を向けていたユイ。それでも、二人やマヨイガとの交流の中で、少しずつ心を許していくのでした。
ユイとひよりはマヨイガの中だけでなく、町の人との交流、そしてキワさんとの繋がりで出会った「ふしぎっと」(妖怪)たちとの関わりを経て、少しずつ少しずつ心に温かさを取り戻していきます。
しかし、町にはある怪異が差し迫っていたのでした。
それはある種の厄災として、再び町に、そして二人に襲いかかることになるのです。
のんのんびより+もっけ
スタッフは少なからずのんのんびよりです。
そのため、お話のテーマと相まって、ところどころのんのんびよりです。
のんのんびよりのしんみり系の話の雰囲気。
特に中盤、ユイが涙するシーンがあるのですが、紛うことなき劇場版のんのんびより演出です。話の展開的に、あの雰囲気の涙で良かったのか?
また、少女たちの成長や町の社会と妖怪が関わってくる点、「もっけ」と重なる部分も大きいでしょう。お話の鍵となる怪異「アガメ」との対決を除けば、妖怪たちが彼女たちに及ぼす影響は、もっけほど大きくないのですが。
「居場所」感と繋がりの幸福
それでは、あんまり露骨にネタバレない程度の感想。
でも一度観た人向けなので、どうぞ観てきてください!
ユイもひよりも、それぞれの形で家庭という居場所を失った子どもたちです。二人とも「自分が悪いわけじゃないのに、どうしてこんな目に……」という思いをもって、いわゆる「復興」を歩み始めた町でたたずんでいた。そんな少女たちでした。
そんな二人をつまみ上げ、マヨイガに住まわせたキワさん。二人にとって、次第にそこが本当の家庭となり、居場所となっていきます。
この映画は、まずその居場所感と三人の繋がりの過程をゆっくり描いていきます。そんなにすぐ妖怪は出てきません。
ユイは最初は疑いの気持ちが強かったですが、キワさんやマヨイガのもてなしを受け、自身の家庭との違いを感じ取ります。これが彼女の求めていた居場所の形だったのでしょう。
ひよりは、そもそもマヨイガ以前に「ユイとの出会い」によって心に光を灯しています。両親を事故で失ったうえ、身を寄せていた親戚宅で津波に遭うという、幼いながら筆舌に尽くしがたい不幸に苛まれたひより。しかし彼女はユイの優しさに触れ、ユイを信頼していました。
またユイにとってもひよりの存在は大切で、ひよりがいるからマヨイガはユイの居場所になったと言ってもいいでしょう。
とにかく、序盤は三人の関係性の構築に時間が取られています。マヨイガが世話を焼いてはくるものの、家以外の姿をとることはありません。そこにいるのは三人と、その家。1つの家庭をじっくり描きます。
面白いのは町への買い出しのシーンです。よつばと状態。あるいは劇場版のんのんびより冒頭の……
マヨイガという不思議な家に住みながら、ショッピングモールでごく普通の買い物をする三人の姿に驚き、とても良いシーンだなぁと思いました。
また他にも良いなぁと思うのは、描かれるのが三人の繋がりだけではない点です。
マヨイガでの暮らしに慣れてきたユイは、町でバイトを始めます。同じく、ひよりも町の小学校に通い始めることになります。そこから、二人と町の人たちとの交流も本格化します。
ユイは原チャリを手に入れ、ひよりは友達を家に(マヨイガに)呼ぶことにもなるのです。ついでに猫ももらいます。このあたりほんとに、妖怪を押し出しすぎず、家庭から社会に心を広げていくさまを描いていて素敵です。
ひよりは、物語の鍵となる笛と踊りを見学した際、トラウマを呼び起こして逃げ出してしまいます。ユイも「アガメ」の影響を受け、バイトの途中で逃げ出してしまう場面があります。彼女たちは、自身の背負っているもののために、社会との繋がりを絶たれる危機に瀕するのです。
それでも、家族(キワさんとマヨイガと、ユイとひよりお互い)に思いを吐露し、家族の温かさに触れて、再び立ち上がる。
本当に彼女たちの「一歩」をじっくり描いていて、中盤、終盤までは引き込まれました。
※「居場所」感と繋がりの幸福
急に豆知識的、科学的な話なんですが、「幸福感」には脳内ホルモンの関係で4種類あると言われています。欲を解消したときなどの本能的幸せ(エンドルフィン)、健康でポジティブな気分的幸せ(セロトニン)、「繋がり」の幸せ(オキシトシン)、「成功」の幸せ(ドーパミン)です。現代の人々が求めているのは「繋がり」の幸せだと言われることがあります。この映画は、まさにそれをテーマど真ん中に置いたものでしょう。
怪異に背負わせたテーマ、そして尺不足
少女たちの成長を描きつつも、物語は終盤にかけて怪異「アガメ」の脅威にさらされる町の話に移っていきます。人々の悲しみを喰って成長していくアガメ。その矛先は、大きな「不幸」を背負った二人の少女にも向いていきます。
ここからどんどんネタバレも酷くなりますが、もちろん最終的にはアガメを打ち倒すことになります。
アガメという存在は、二人の少女、そして震災直後の人々の悲しみ、負の感情を一身に引き受けて立つ怪異です。アガメは人々に負の感情を蘇らせ、さらに人々の繋がりを失わせる力をもっています。これを打ち倒すことは、先述してきた作品のテーマを象徴する行為であると言えます。
先程、「ユイの涙するシーンがのんのんびより」と書きました。アガメの手によってユイは再び辛い過去に直面するのですが、それをものすごくシリアスに描くことはせず、あくまで日常の中に収めたのです。この演出の意図はハッキリとはわからないのですが、アガメという怪異が少女たちの一歩を踏み出すための象徴でしかないからなのだと思います。
そういう意味で、アガメの演出自体は「敵!」「ラスボス!」感満載で、噛み合わないところがあります。それこそデジモン的な、良くてサマーウォーズ的な感じを最終盤に持ってきたのはどうしてもズレて見えるというか。
彼女たちの「最後の大きな一歩」についても尺は足りないように感じたのですが、直後にこのアガメとの決着を見せられると、ますます唐突で描写不足感は否めない。
最後までじっくりと、日常と些細な怪異の中で少女たちの成長譚を観たかったというか。雰囲気を切り替えるなら切り替えるで、もう少し丁寧に切り替えてほしかったというか。
あとせっかく描いてきた町の人たちとの交流。
これが最終盤にあんまり生かされなかったのも残念。
そういうわけで、この映画のもったいなかった点はシンプルに「尺不足」とまとめられると思います。最後の唐突な展開にしろ、町の人との話にしろ、もう少しでも尺があれば描けたと思うのです。とはいえ、中盤までのゆっくりした展開こそがこの作品の良さです。終盤を重視するよりも、中盤までを描き切ることに舵を切ったということでしょう。それはそれですごい。
結論、僕は1クールアニメ化がベストだと思っています。
絶対面白い。
序盤もっとゆっくり二人の話を描いて、キワさんや町の人との話、妖怪との絡みも描いて、それで11話12話だけデジモンになるの。
絶対面白い。
いやほんと、これっきりはもったいない。
フジテレビ噛んでるみたいだし、ぜひぜひテレビアニメ化を。