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〜人生は生きるに値する〜    私が教員退職を決意したわけ。


私は教員をやっています。

途中育休を挟んでいますが、20代から30代にかけて「先生」として生活してきたわけです。

私は教員の仕事は大好きなのでたくさん勉強しましたし、胸を張って「人生は面白いのだ」と伝えられる大人であろうと、自分自身が魅力的な人間であろうと努力してきました。教員生活で、学んだことがたくさんたくさんあります。誤解のないように言いますけど、ほんとに楽しい仕事ですよ、教員は!!

しかしその一方で、10年の間に自分にしみついてしまった残念な特性もあります。

その一つが、

「なるべく目立たないように」「誰からも文句言われないように…」

だと思います。

この10年間、学校の外でも中でも、本当に自分が思っていることと、教員として「こうあらねばならない」ことの整合性を保つために必死でした。

公務員は残念ながら、道端に唾を吐き捨てるようになんでもない人から文句を言われてしまうこともあるのです。

育休を長くとっていれば「いいご身分だね。働かずに給料もらえるなんて。」(実際はもらえません。)

私が小学校の教員だとわかったとたんに態度を急変させ「学校の先生って信じてないんだよね、ごめんね~」と言われたこともあります。(職業差別です。)

全然関係ない人から「漢字ノートって雑に書くだけだからやる意味ないよね。余計な仕事してる」とか。(それはあなたとお子さんの問題です。)

まぁそんなことを繰り返しているうちに、外では「学校の先生」ということを伏せるようになりました。ほんとうに面倒くさかった。

一方、校内では…前年度踏襲が基本。やってきたことはなるべく変えない。変化させない。保護者から文句言われないように、上から怒られないように、みんな平等になるように。

学校という組織自体が、おびえているのです。世間に…。

さらにはめちゃくちゃ忙しい。授業内容を消化させることに必死。一つ終わるとすぐに次の行事が待っている。その間に研修・会議…みんな学校をよくしたいからたくさん勉強します。身も心もカツカツの中、目の前の子どもたちに何とか授業が面白い学校が楽しいと思ってもらいたくて、足りない時間の中で工夫して考えて…そう、教員はとにかく忙しい。ほかのことを考えている時間もありませんでした。

心の中ではきっともっと面白いこと考えている人はいるだろうに、なんとなく動けない。言い出せない。なんだか見えないガラスの壁に囲まれているみたいです。学校は、時間も、心のゆとりも、それから組織の柔軟性も、全くないのです。


わたしもいつしか、そんな教員としての職業病とも言える病にかかっていました。

「これを言ったらなんて言われるかな。」「根回しがたくさん必要だな、やめておこう。」「こんなこと発信したら怒られるな。」「学年・学校できまったことだから仕方ない」

気づいたら、穏便に済ます方法を選択するようになっていました。自分の意見を言うよりも、うまくいく方法を選ぶ。自分でガラスの壁を自分の周りに少しずつ張って厚くして、身を守るすべを学んでいきました。俗に言う「大人になった」、ともいえるかもしれませんね。


さて、こんな私が、自分が理想としていた「面白い大人」になることはできるでしょうか。

答えは、否、です。

この10年、仕事には真摯に向き合いました。恥じることは全くありませんし、胸を張って一生懸命やってきたと言えると思います。

子どもたちにも、私の思いはすべて伝えてきました。どんなに時間がかかっても、子どもに寄り添うことを一番の核として仕事してきました。知的好奇心をもって世界を見つめることを伝え続けたし、自分もそう生きてきました。後悔することは一つもありません。一分一秒、目の前の子どもたちを大切にしてきたからです。

だけど、これをあと何十年も続けていったら?

こそこそ、びくびくしながら、自分の言いたいことも言えず、大切にしているものさえ大切にできなくなったら?自分を偽ることは、目の前の子どもたちを偽ることに他ならないのでは?

もうこれは、「面白い大人」どころか、「つまらない大人」の代表です。

空気を読むだけの、つまらない人間になっていく感じがプンプンします。

これではだめです。

変えなくてはいけません…

変わらなくてはいけません…


そして、私が選択した方法は、「退職」でした。


もちろん、学校の中にいて面白いことをやっている先生はたくさんいます。魅力的な人もたくさんいることでしょう。心から先生の仕事が好きで続けている人もいます。

逆に、「踊る大走査線」の青島くんのように、組織の中にいて変化を起こそうと努力している人もいるはずです。それを否定するつもりは、まったくありません。

でも残念ながら、私はそういうメンターや仲間に出会えなかった。志を共にできる仲間が一人もできなかったのです。職員室では楽しくやっていましたし、尊敬している先生も何人かいます。でもその人たちのようになりたいかと言われるとそうではなかった。もし、この10年の間に、「面白い大人になりたい。」「子どもたちにこの世は生きるに値すると伝えたい」という思いを共有にできる人と出会えたら、また変わっていたかもしれません。だけど何より、私自身がその思いを口に出せなかったし、出してこなかった。出会えるわけありません。だって私自身が、ほかならぬ「つまらない大人」になりかけていたからです。


もう、びくびくおびえているのはおしまいにします。

心の底から、「人生は面白いのだ」と子どもたちに伝えられるように生きることにします。

失敗するかもしれないし、つらいこともたくさんあるかもしれない。

だけど、それでいいです。

わたしが出会った子どもたちが、「あぁ、ふみの先生はやったんだ」と思ってくれたらそれでいい。

「なんだ、挑戦していいのか。」「失敗していいのか。」「みんなと違うことしていいのか。」そう思ってくれたらそれでいい。

私のことなんか忘れてくれていい。

だけど、いつか人生に行き詰まったときに、「そういえば昔、なんか変な人がいたな。あぁそうか、生きることはそれでいいのか。」と思ってくれればいい。

心の片隅のどこかで、いつまでも子どもたちを勇気づける「面白い大人」の一人であればいい。


そんな思いを胸に、新たな世界に飛び立つことにします。

教員としては、あと3か月。まだ何も知らない最後の教え子たちと一緒に、悔いを残さないように大切に過ごすつもりです。


最後に、私の大好きな絵本「とべバッタ」から引用して終わりにしたいと思います。

「しかし、バッタは、なんと いわれようと へいきだった。じぶんの ちからで とべることが、うれしくて うれしくて しかたなかったから。バッタはとんだ、たかく たかく。じぶんの はねで、じぶんの ゆきたいほうへ、かぜに のって とんでいった。」

とべバッタ 田島征三


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