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かつてコミュニケーションは個人が担うものではなかった
個々人がたいしてコミュニケーションしなくてもなんとなくうまく社会がまわっていくのが、社会のコミュニケーション成功保証機能。このコミュニケーション成功保証機能が弱体化したから、個人にコミュニケーション能力が求められるようになった。
これは「コミュニケーションの個人化」と言ってもいい。コミュニケーションは個人間で行われるのが当たり前ではないか、と思われるかもしれないが、かつてコミュニケーションは、むしろ社会や共同体が主たる担い手であり、個々人はいうなればそれらのエージェントだったのだと思う。
エージェントは、社会や共同体の言葉をただオウム返しにして繰り返していれば良い。それは「常識」「道徳」「慣習」などと呼ばれたりしたのだ。
しかしエージェントを支えていた社会のコミュニケーション保証機能が弱体化し、コミュニケーションが個人化し、個々人がその負担を背負いきれないであろうことは予め予想されていたので、テクノロジーがその負担を順次代行していっているのが現状であると言えよう。