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はじめに 飛びたい ~ 航空留学と投稿のキッカケ


自己紹介・航空留学

投稿をはじめるに当たり、自己紹介を少しだけしようと思います。

筆者は90年代に20代前半で航空留学にて自家用操縦士の免許を取得しました。幼少期から漠然と空を飛びたいと思っていましたが、自衛隊は当時の要件外でNG。
就職後にお金を貯めて日本国内の飛行専門学校に入学を申請し、許可されました。しかし入学金を収めるも、現場の教官から「あなたの年齢では就職させられないから辞退してくれ」と電話が来ました。
今であれば抗議しますが、当時はまだ若くショックで絶望し、言われるまま辞退しました。
当時の慣習で、当然のように入学金は返って来ませんでした。

どうしても諦めきれず、アメリカのフライトスクールを探し航空留学という形で「自家用操縦士免許(固定翼)」を取得しました。
時代はバブル真っ最中で格安ツアー会社などが多く出来ていました。
航空券もかなり手頃になっていたので、筆者のような若者たち、退職後に夢を叶えにやって来た人、ビジネスで成功している女性など様々でした。
そういう方たちとの出会いはとても有意義でした。
とはいえ当時のレートはまだ、1ドル=150円台でした。

最初の免許は「Private Pilot Single Engine Land」で、これは陸上単発機の操縦が可となる免許です。
計器飛行をするには更に計器飛行証明が必要です。

その後も双発、計器飛行の訓練を続けましたが、仕事の都合等で渡米もままならなくなりました。年に1~2回、グアムやハワイで完熟飛行するのが精一杯でした。
そして悪夢の「911」が起こり、外国人に対する操縦訓練も厳しくなりました。以後、仕事、年齢、資金、諸々の環境下で渡米も旅行を兼ねた完熟飛行も難しくなり今日を迎えています。

投稿のキッカケ

年月はかなり経ちましたが、空を見上げる日々はずっと変わりません。
航空機事故のニュースには心が痛み、時には怒りを感じます。
これまで自身の経験等を発信する事はなく、今後も無いと思っていました。
しかし、2024年1月2日に羽田空港で起こったJAL機と海保機の事故が筆者にキッカケを与えました。

報道の滅茶苦茶ぶり、知識不足の人々による偏った発信等々があまりにも酷く感じます。
マスコミ等には「元旅客機機長」などの肩書を持つ「航空評論家」が出ていらっしゃいます。ですが今回の事故はあまりにも不可解であり、「航空評論家」等の専門家も非常に慎重になっていると感じます。
また、航空機や管制などの知識のない記者等々が憶測で記事等を配信していると窺えるものばかりです。
それらの憶測や作られたストーリーに基づく記事などをSNS等で発信されている方々も多数見受けます。
発信そのものは大いに結構であると筆者も思います。
ですが航空に関する知識もなく、各種記事や動画の受け売りを各々の解釈で発信するのは賛成出来ません。
再生回数、いいね、Viewを稼ぎたい気持ちは理解出来ます。
ですが命を失った方々、大きな怪我を負われた方々に対して、それはあんまりではないかと思えてなりません。

筆者の様な、「たかが自家用パイロット風情」の意見やコメントなど誰も気にしないのは承知しています。ですが筆者の様な「自家用パイロット風情」や航空従事者等々にとっては明確な事はいくつもあります。

それらを少しづつ投稿して行きます。
筆者の知識もそれほど多くはありません。
少し古い部分もあるかもしれません。
知識不足、変更点等は出来るだけ調べて補完して行きます。

それらが航空機や管制の事を出来るだけ多くの皆様に少しでも理解していただき、原因究明の一助となれば嬉しく思います。
再発防止を多くの皆様が一緒に考え、声を挙げてくだされば幸いです。

追々、昔の思い出や写真なども投稿するかもしれません。
長くなりましたが、初投稿の挨拶に代えさせていただきます。

※ 記事全文、画像のコピー、転載等はご遠慮ください。
(引用画像、著作権フリーを除く画像は筆者の撮影、作成によるものです)

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