病気との闘い⑱私ではない人から見た私
みなさん、こんにちは!こんばんは!おはよう!
ふたつの痛みの病に侵され、痛みに呪われたflutist_umakoです。
本日は私だけでなく線維筋痛症や慢性疼痛を抱えた人なら、
「分かるわ~その気持ち」
と一度ならずとも何度も感じた虚無感、脱力感、やるせない思いを私の体験ででお話してみたいと思います。
不可能なことを「可能でしょ?」と言われる体験
私は不随意運動や振戦、痛み等の問題によって、自分で食事をとることができないため食事介助を受けています。
私は決して食事介助してもらっていることが当たり前のことだとふんぞり返っているつもりはありません。
しかし、私の今できる趣味のフルートを吹いている姿を見ている人の中から、
「フルートが吹けるのだから、自分で食べる事だってできるのではないか?」
といった疑念が湧いてくるようです。
そしてその疑念は次第に、
「怠けているからではないか?」
「そもそも仮病なのではないか?」
「食べられないと大げさに言っているだけではないか?」
と、「私ではない人から見た私」感じるようです。
私はそう思われていると知るたびに心が折れそうになります。
それは、
・また0からスタートで私の病気や病状について話さなくてはならないのか…。
・食事を食べるのに似た動作はできるが、自分で食べることはできないのだよと、前と大して変わらないメンツの前で説明するのか…。
・そもそも前私の話を聞いた人は私を擁護してはくれていないのだろうか…?
などと、結局私は一人なのだと知らされるからだ。
そして悲しく虚しいことに、これらのやり取りは繰り返されるのだ。
私の今までの努力の過程
自分で私の今まで通ってきた道を「努力」と書くのは少々自分自身で盛ってしまっているかなと思うけれど、他に思い当たる言葉が見つからなかったのでこのまま聞いてほしい。
食に関しては人それぞれいろんなこだわりがあると思う。
それはおでんひとつ取ってみても、
・関東、関西のダシじゃなきゃ!
から始まり、
・何もつけずにいただくのがいい人、からしがいい人、柚子胡椒がいい人
・好きな具材は最初に食べるか最後に食べるか…
などとひとそれぞれだ。
それは病気であったり障害者である私も同じこと。
しかし、食事介助をお願いする時点で私は、8割、9割方「自分の食への好み」はどこかに捨ててしまっている。
それは忙しい現場で、いちいち私の好みを言っていたら施設の機能がストップしてしまうと、心のどこかで知っているからだ。
さらに私の場合はみんなが集まるフロアではなく、ワーカーさんに居室に来てもらっているわけだからなおさら譲歩しなくてはいけないと思っている。
でもそれで私に、
「本当はスプーンやフォークを持って食べれるでしょ?じゃぁ食べてよ」
と問われたとしても、私にもできる努力とできない努力があるのだ。
そして、その努力は十何年もの昔に行っていて、食べる能力、座っている能力が落ちてきたり痛みが酷くなったから、今の私に至っている。
サボっているわけではない!
出来ないふりをしているわけではない!
痛いふりをしているわけではない!
その過程を新しい人が入ってきた時に分かるようにデータ化されていれば、私は何度もこんな虚しい思いをせずに済むのにな。。。
虚無の心にしみるA医師の発言
私の心が空っぽになってしまったのは受診に行く直前だった。
私はいつものA医師に、
「私は人生手を抜いていきているのかな?」
と聞こうかなと思っていたが、最近の症状について相談している時に、私はまたしてもA医師に救われた。
その症状とは脱毛だ。
昨年の12月、私がnoteが続けられなくなりだした時私はこんな投稿をした。
この頃から、どちらかというと多かった私の髪の毛が入浴の時、髪の毛をひとまとめにする時、スズメの巣と間違えるのではないかというほど抜けるようになった。
そして最近では、生え際が薄くなり頭皮も見えだしてきたのだ。
私は薬の副作用なのかと思いA医師に相談し、そして思い出したのだ。
以前も同じ質問をしたことが一度あり、その時に先生が飲んでいる薬を端から調べ上げたのだ。
結果は1つの薬の副作用に脱毛もあり得るというものでした。
当時は今ほどひどい症状ではなかったけれど、薬を副作用が出ないくらいに減らし、それを補う薬を処方してもらったのだった!
再び今12月の症状悪化に呼応するように抜け出した私の髪の毛の原因についてA医師はこう言いました。
「痛みが酷いことによるストレスだね」
心が弱っていた私だったので、私の痛みが気のせいでも、オーバーリアクションでも、仮病でもないことが、喜ばしいことではないのにとても嬉しかったのです。
終わりに
私の様に線維筋痛症の確定診断が出ていて、身体障害者手帳(線維筋痛症で撮ったのではありませんが)ももらえている線維筋痛症患者は悲しいことに日本ではまだまだ少ないです。
線維筋痛症が難病指定にされないためいつまで経っても社会に認知されず、心身・経済的にも苦しい思いをしている人はたくさんいるので、私なんかは恵まれている方なのでしょう。
しかし、施設という小さな社会の中の認知度は低いようです。
また、私の重症度なんかも、「私は泣くより笑っていたい!」と心がけているせいか、障害者区分も重度で判定いただいているのに、たぶん多くの人は私の受けている痛みの果たして何割くらいだと思って接してくれているのだろうな?と不思議に思うこともあります。
「もっとがんばって・・・」
私はこれ以上何をがんばればいいのだろう?すっかり迷子状態だ。
つたない記事ですが、サポートしていただくと俄然やる気が出ます!!🙂🎶 私の"やる気スイッチ"も入りますので、あなたの心に響いたらぜひよろしくお願いします。