病気との闘い⑪~麻酔科って何?~
みなさん、こんにちは!こんばんは!おはよう!
ふたつの痛みの病気にとりつかれ、痛みに呪われていると言われているflutist_umakoです。
さて、昨日は私の痛みが病気ではないか?という初めての見解を聞いた私は、恐怖と共に安堵したお話についてお話ししました。
さて前回のお話の中で「他の先生と相談しないと」と言っていたD医師は果たして誰に相談を持ちかけたのでしょうか?
そして、私の顛末は...?
確定診断(仮)の夜
D医師から私の痛みは「反射性交感神経性ジストロフィー」という疾患から起こっているのだと告げられた私。
安堵したと書きましたが、その日ひとりでアパートのベッドに横になった私はいつまで経っても眠ることができませんでした。
それは恐怖からでした。
私たちの時代にはスマートフォンなどなかったので、SNSの様なものと言ったら「Yahoo!の掲示板」でともだちを探すしかありませんでした。
その中に、作業療法士をやっていた女性が突然「重症筋無力症」に身体を蝕まれながらも、強く生きているOちゃんと私は高校生の時に既にともだちになっていました。
彼女の生きる姿勢は本当にちっぽけな私なんかとは比べ物にはならず、苦しいんだろうけどとても儚く力強いものでした。
しかしそんな彼女でさえ病気の進行には打ち勝つことができず、次第に身体の自由を奪われていく姿や経過を私は見てきました。
私の病気は違えど同じ難病なんだなとかと考えると、私はOちゃんのようにあんなに気高くいられるか心配でなりませんでした。
それから数日、D医師が他の先生に相談をしてから、という事で予約している日までは「私も気高くあろう」と思っていましたが、実のところは魂の抜けた状態だったと思います。
そして出会った新しい医師
D医師に再び会う日がやって来ました。
私たちは1階の整形外科の診察室で一度会ってから、私はD医師が案内するまま2階の端にある外来の前に行きました。
そこには、
「麻酔科」
と書かれていて、更になかから出てきた医師は今手術室から出てきたばかりという格好で、それに白衣を羽織っている格好でした。
私はもちろん、
「なんで私が麻酔科に連れてこられなきゃいけないの?これってまた私手術とかって言い出すのかなぁ」
と、D医師がB医師のように「手術したくて仕方ない整形外科医」なのかしらと疑いの眼。
しかし、D医師はその医師と少しだけ話したら、
「分からないことあったらなんでも聞きなさいね」
と、自分の外来に帰ってしまいました。
すると、その手術着on白衣の先生が診察室に私を呼びました。
それが、そのあとの闘いを共にしてくれたE医師との出会いでした。
E医師という人
今思うとE医師も、現在の主治医のA医師は同じ麻酔科医。
そして同じ運命共同体であった。
しかしこのふたりは似ているようで性格は真逆でした。
いい表現が見つからないんだけど、A医師は基本真面目だし信念を曲げない人だけど堅物ではないのに対し、E医師は基本おちゃらけているけど、きっと根は真面目で正義感のある人なんだろう。
そう、このふたりは「基本的」に真逆なのだ。
しかし根幹では似ている部分があるのだろう(きっと...)w。
E医師から受けた説明
D医師にいきなり聞いたことない「反射性交感神経性ジストロフィー」と聞いて「筋ジストロフィー」と混同していたが、E医師からの説明では、
「umakoさんはやはり反射性交感神経性ジストロフィーだね」
ということだった。
ついに本当の確定診断がついた。
私は気のせいでもなく虚言癖でもなく、この痛みは病気だったのだ。
それから先日D医師から聞いたような発現機序についての説明を詳しく受けた私は、それでもまだ分からないことがあり、この先生にだったら話せるような気がして、思いきってモヤモヤしていたことを聞いてみた。
「筋ジストロフィー...っていうことですよね?」
するとE医師は笑顔になって、
「この病気の名前を聞いた人はみんなそれを聞きたがるんだよね」
と前置きをし、
「ジストロフィーとは日本語では萎縮症といって、栄養障害とも言う。細胞や組織の物質代謝障害によって変性・萎縮したりすることなんだよ。」
「でもね、この病気は筋ジストロフィーとは違うよ。別物」
この説明を聞いてどんなに私の心は安堵に包まれたことか。
それから治療について私は聞いた。
「この病気は病気自体をなくす治療がなく対症療法。腰の骨と骨の間に針を刺し、そこに一定量の薬を入れる。腰椎麻酔の要領と同じなんだ」
私は今までの手術で腰椎麻酔を何度か経験していたので恐怖はまるでなかった。
しかし同じように腰椎麻酔を経験したことがある母は、
「考えただけでも恐ろしい」
と、これからその治療を1週間に1度受ける私の神経の図太さに驚いていた。
E医師は対症療法だと言っていたけれど、こんなことも言っていた。
「この治療をしていくうちに治ってしまう人や、注射の間隔がもっと長くてすむ人もいる」
しかし、E医師自身もこの病気を多く扱っているわけではないようであった。
何しろ私たちは痛みは、「整形外科」で治すものと考えている人がほとんどで、同じくらいの整形外科の医師がこの病気の事を知らないらしい。
だから私はD医師というこの病気を知る医師に出会えて幸せだったと思う。
もちろん、新たに知った麻酔科という科は、帯状疱疹後の痛みや、あらゆる慢性疼痛を扱う痛みを退治する専門医であるということをこの日出会ったE医師から教えてもらった。
その日私は初めての「腰部交感神経ブロック」という治療を受けたが、さすが麻酔科医。
全然痛くなかったし、不安もなかった。
そして病院を出る頃の私の足取りは、痛みが取れたわけではないが、心が羽根のように軽々しい気持ちでいっぱいだった。
終わりに
E医師との出会いで私の人生のベクトルは少し違う方向を向き出した。
...しかし、私はこの病気との闘いはこれからだった。
そして、E医師と私の闘いもこれからだった。
今日も表紙が全く関係ない、と思うでしょ?
ところが私が病気を知った2年生は親友AとNとでシンガポールに旅行に行ったのだ!!
だから関係あるってことで!!!!
こじつけ...(笑)。