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病気との闘い⑤~直面した真実。闘うか?諦めるか?~
さてさて前回は少し脱線して私の高校時代のお話をしました。
今回のお話も高校生の出来事です。
私はもう忘れかけていたB医師が再び私の前に立ちはだかる時がいよいよやって来ました。
高校2年生の夏
C医師と出会ってからそろそろ1年経った頃の高校2年生の夏休みに、
「これだけの間足を矯正してきたのに痛みが取れないのはおかしいから」
というC医師の提案で手術をすることになりました。
B医師のように初診で診たその日に手術を持ちかけるのとは異なり、C医師は手術に踏み切るまでに約1年様子見があったため、不安は拭えませんでしたが私たち家族は手術に賭けてみることにしました。
以前お話ししましたが入院するのはC医師がメインで働く国公立の医学部附属病院ではなく、週に一度C医師が訪れる温泉病院、つまりはリハビリに力を入れている病院でした。
その病院には常勤で若い整形外科の医師も1人いらっしゃいました。
手術の日~私が見たもの~
手術は以前と同じように関節内視鏡を使う計画だったこともあり、また、C医師とは1年のコミュニケーションがあったため緊張することなく身を委ねることができました。
手術と言ってもドラマのように家族が直前まで送る...感じは全くなく、病室で、
「じゃまたね」
と言ってあっさり別れ、私はベッドの上に乗せられているので天井しか見えない地味な感じでした。
手術の前はコンタクトレンズはもちろんメガネも取るので、目の悪い私にはボヤーっとしたものしか見えていませんでした。
ですから声でC医師がしゃべっているというのは分かりましたが、私はまな板の上の鯉。
手術が始まって何分経った頃でしょうか。
C医師が両親を手術室に入れるように看護師に指示している様子。
私はなんだなんだ...と思いましたが、その時C医師に、
「お前にも見る権利はある、見なさい」
と言われて、私の横たわっている側に関節内を映したテレビを近づけてきました。
私は、
「先生、全然見えないんだけど...」
と言うと、今度は看護師に病棟から私のメガネを持ってくるように指示。
ほどなくして、私のメガネと共に清潔な格好になった父が手術室に入ってきました。
メガネをかけモニターが見えるようになった私は、C医師の説明を聞きながら愕然としました。
「これはまだ膝を開いただけの状態で我々はまだ処置はしていません」
モニターには私にはどれが半月板でどれが大腿骨なのかわかりませんでしたが、ある組織は針のように毛羽立っていて、時々関節内に映り込む塊が見えました。
C医師の説明が始まりました。
「この毛羽立っているのが半月板で、時々映るのが前回手術した時の半月板のかけらですね...」
ふむふむ…半月板ってこんなに毛羽立っているんだぁ...えぇ!
前回手術したときのかけら?こんなに残るものなの?
私の頭はパンク寸前でした。
そこでまたC医師は続けました。
「普通手術したらこんな毛羽立ち...逆にどうやったらできるのか分からない」
「この半月板のかけらにしても、こんなもの普通関節内に残さないし」
「これは手術の失敗...というか医療過誤と言っても過言では...」
そこでC医師の説明は一度中断しました。
私は絶句してしまい、ことばは何も出てきません。
父も「そうですか」とC医師の説明に静かに耳を傾けていました。
しかし今思うと、父の心中は穏やかではなかったはずです。
私は自分の身体に起こっていた事を知り、B医師への怒りが込み上げてくるのと同時に、あの時両親の言うことを聞いていればと自分に対しても怒りを感じました。
最初に開いた左膝の術後にC医師が、
「これが証拠だ」
と私の中を泳いでいた半月板かけらを小さな入れ物に泳がしたのをくれました。
闘うか、闘わざるか
その後右膝の手術をした時も、膝の中の状態は同じでした。
術後のC医師の説明で、
「膝の中があの状態だったんだから痛かったと思う」
と言いました。
普段ムスっとした顔で、ムスっとしていて、言葉も少ないC医師からのねぎらいの言葉を私は初めて聞いたので、今でもはっきり覚えています。
しかし私の中ではC医師の言葉より、B医師の裏切りの続きに本当に頭に来ました。
「C医師からもらった証拠もあるんだし訴えてやりたい!!」
と本気で思っていました。
しかし同じように怒りを感じていたであろう両親はその感情を私の前に出すことは当時しませんでした。
その両親の姿を見て私は思いました。
「地元の小中学校で働いている両親の教え子の中にはB医師と一緒に働いている父親、母親がいるかもしれない」
「そうすると両親自身も働きづらくなるのかもしれない」
そう思い始めたら、怒りの沸点の100℃だった私の頭は下がってきて、結局泣き寝入りするしかないのかと思うようになり、闘うことをやめてしまいました。
このときのこの判断が正しかったのか、そんな事より第二の私になる人がいないように闘った方がよかったのか...
私は今でもその答えが分かりません。
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