コロナ禍での入院2度目―5日目―
みなさん、こんにちは!こんばんは!おはよう!
痛みの国からやって来て、痛みに呪われているfluetist_umakoです。
この1ヵ月の私
1ヶ月近く、以前書いた地獄のような日々は尚も続いている私です。
兄姉家族が集まらないことも相まってか、年末年始はないに等しかったです。
同時に私の痛みも改善の糸口が全く見えませんでした。
お恥ずかしい話ですが、痛みによる発作で失禁してしまいました。
それほど痛いのです。
そんな矢先のある日
身体は痛いけれどこのままではいけないと、2021年1月11日から再びnoteで綴らせていただこうと思っていました。
しばらく記事を書いていなかったので、腕ならしにといつも記事を書く頃の20時に事件は起きました!!
いつも通り20時の薬を飲んだ後、急に悪寒がして身体がガタガタと揺れ始めました。
1時間毎に熱は跳ね上がるように上がっていき39.3℃まで上がりましたが、その時にはもう深夜。
両親は何も知らずに床についた後でしたし、2人しかいない夜勤さんをお借りするわけにはいきません。
もちろん両親には連絡しました。
両親からいつもの病院の救急外来に電話してもらいました。
しかし、このコロナ禍一番の大ウェーブという時に、病院からは待機を言われました。
その後...
翌日には37度台後半から38度まで落ち着いてきました。
そしてその翌日も...
ついに、3日後の11日に病院側から
「umakoさんを連れて来て下さい」
と言ってもらえたので、14時30分出発で両親に病院に連れて行ってもらいました!!
病院到着から入院まで
私は朦朧としていたこともあったり、救急でコロナの疑いがあるわけですから隔離されていたので時間の経過が分かりませんでした。
CPRが-だとわかってからは別の場所でしたが、しばらくは私一人だったと思います。
もちろん「救命救急センター」にはドクターヘリも含め何人か運ばれててんやわんやでしたが。
結局15時30分に病院に着いて、PCR検査して血液培養用の血をごっそり取られ、CT撮ったりと、入院が決まったので病棟の準備や何やかんやで病棟に上がれたのが20時00分をとうに過ぎていました。
私も大変だったけど、ただただ待っていた両親も大変だったと思います。
今回は(今回も!?)コロナではなかったので、両親とは病棟の入口まで一緒に居られました。
入院から5日間経って。
やっと熱は落ち着いてきました。
ただ、前回の入院同様、点滴が取れない!
毎日が点滴針との戦いです。
手も足も青あざだらけ(泣)。
今右手の針のあとを数えるだけでざっと12ヶ所ありました(笑)!!
点滴を取る先生も迷走してしまっています(笑)。
今回は前回居たドクターX?はローテーションで他科のようですが、今回の研修医Xさんはがんばってくれています。
終わりに
今回もいろんな人にお世話になっています。
熱発した日の夜勤さん、11日に送り出してくれたスタッフ、両親、各科の先生方、看護師さん、技士さん...。
感謝感謝です。
さぁ今回も抗生物質の副作用でさながらハンガーストライキのごとく食べられません。
今日両親が差し入れてくれた苺を食~べよう!!