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スタジオでの個人練習
6月から始動するOBオケに備えてスタジオで練習します。
どの曲に乗れるかなどはまだ未定ですが、ブラームスに乗れたらいいなと思ってます。
シューベルトの未完成もとても素敵な曲。
いずれもクラシックの交響曲、名曲中の名曲です。
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at スタジオ246(四条大宮)
ブラームスの2番が作曲されたのは、数十年をかけて苦悩の末に完成した1番のすぐ翌年(1877年)です。
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これ以降は、私の単なるボヤきです。
歴史的な考察などありませんのでご容赦ください~
そのころの日本といえば、まだ明治維新を終えたばかりの混乱期。
岩倉使節団が、欧米の状況を偵察に2年半の歳月をかけて帰ってきたころです。
使節団が現地でどのような西洋音楽に接しどのような感想を得たのか、残念ながらしかるべき文献には明確には記されておりません。
全権大使として公式訪問をしているのですから、それぞれの現地では相応の饗応があったことは間違いありません。
実際、大阪大学の情報庫に保管されている書物(中村 洪介氏の著書)にはそのことが記されてます。
ただ、そこには宴会の席では音楽が奏されたとあるだけで、素晴らしかった、西洋音楽の魅力に触れたなどのいわゆる「感想」はなく、ただ音楽があったとしか記されてないそうです。
せっかく多大な経費を投じて欧米の視察をしたのに、岩倉具視の使節団、こと音楽の情報収集においては残念な結果ですね。
こんなことですから、明治維新どころか戦後においてもクラシック音楽が歪な形でしか普及されなかった遠因があるように思います。
岩倉使節団を責めるつもりなど毛頭ありませんが、もう少しアンテナを張ってくれていれば… と思うのは、クラシック音楽好きの私だけではないと感じるのです。
最後まで拝読いただき、ありがとうございます
m(_ _)m
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ちょっと今日はまた毒を吐いてしまいました~
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