あっち。こっち。
––帰って来たら、お線香上げなさい––
爺ちゃんが亡くなって二年になる。年中畑仕事をしていた肌は真っ黒に焼けていて、大酒飲みだった事をよく覚えている。風邪一つ引かない剛健な人だった。
「いつまでも、ヒョロいなぁ、ケイタは。ちゃんと食ってるか?」と笑いながら言っていた事がある。好き嫌いせず、健啖家で肉も野菜も魚も、煮物の汁まで飲み干してしまう。塩分取りすぎだってよく母さんに怒られていた。よく笑い、よく食べて、よく働く爺ちゃん。そんな人が亡くなった。
癌だった。正確には癌が原因だった。冬の頃だった。腫瘍は小さく手術をすれば助かると言われ病院に入院した。すぐ帰って来ると、いつもの笑顔を見せていた。手術は無事終わったが、日に日に爺ちゃんは弱っていった。食欲がなくなり、みるみる痩せて、太く逞しかった腕はまるで枯れ枝のように細くなり、どんどん呆けてしまった。外ばかりただ眺める時間が長くなっていった。
「よぅ、ケイタ。飯ちゃんと食ってるか?」
僕は怖くなってお見舞いに行けなくなった。今思えば、あの時無理してでも会いに行っていれば、僕は、爺ちゃんの死に目に立ち会う事ができたのかもしれない。
おりんの音が響く。仏壇の前には精霊馬《しょうろううま》が飾られ、外からは蝉の声が響き、子孫を残そうとその命を燃やす。全国的に猛暑だと、居間のテレビが謳う。
「あ、兄貴帰って来たんだ」と、台所からアイスを齧りながら妹が入って来た。Tシャツにサルエル、ラフな格好で座布団に腰掛ける。
「盆くらいはな」と腰を下ろした。
「あっそ」
「ユキ、仕事はどうだ?」
「つまんない。公務員の方が将来安泰だと思って町役場に入ったけど、暇すぎ。クーラーがんがんで寒いし」
「そうか」
「兄貴はさ…」と言いかけ、まあいいやと、テレビを見ながらアイスを齧る。
ユキとは歳が四つ違う。東京の大学に入り、卒業してこっちで職についた。僕は逆で地元の大学に入り、今は都内で物流関係の会社で働いている。関西に大きな倉庫を幾つも抱えている為、年何回も出張に駆り出される。
「お母さんは?」
「スーパーに買いもの」
「兄貴帰って来たから、今日は寿司に焼肉だな」
「最高じゃん」
淡々と、淡々と情報共有。
「彼氏欲しい」「いないの?」「いない、彼女は?」「いない」「海行きたい」「行けば?」「彼氏と」「ドンマイ」「ウザ。東京どお?」「忙しないよ」「生きるのに必死な感じ」「そう」「蝉かっつーの」
あっ…と、「墓参り連れて行くんだった」と言い、鍵取って来ると、妹は奥へ消えた。溜息を吐き寝転ぶ。畳の匂いが鼻を擽《くすぐ》る。壁には額に入れられた写真が飾られ、日に焼けて褪せていた。東京の夜景。家族写真。父の撮った写真。
––ケイタ。御盆には必ず帰って来い。美味いもん、たんと拵《こしら》えとくからな––
四駆の軽自動車が田んぼを両側に見つつ颯爽と駆け抜ける。顔が映るほど磨かれた車体。車内は綺麗に整頓され、スピーカーからは女性歌手が働く女の歌を力強く歌い上げていた。青々とした稲が風に揺らめき、遠くの山々は白く煙《けぶ》っている。
「東京の写真、好きなんだよね」と唐突に妹が言った。「というか、憧れ。ビル街や工場の夜景。東京駅のレトロ建築。歌舞伎町のネオン。渋谷原宿を闊歩する若者。浅草雷門。スカイツリー。だから私、東京の大学に行ったの。憧れだったから。戻るつもりなんて一つもなかったよ」若かったなぁ…とそこで話を切った。ユキ。僕はあっちに憧れなんてものもう何一つ抱いてないよ。焦がれていたら、僕は満員電車に乗ったりしない。
暫くして墓地へ着いた。車から出ると日差しで目が眩む。「手ぶらで行かないでよ」と、妹から桶と柄杓を受け取る。はいはいと、水場で水を組み、花束を抱えた妹を追う。新旧織り混じり合い、様々な墓の間を縫う様に進む。途中雑草が茂り廃れた墓を横目にしながら進むと、ウチの墓があった。綺麗に掃除されている。花立には既に幾つもの菊や百合が飾られ、線香の香りが辺りを包んでいた。
「沢山飲んで。腹一杯なぁ」汲んできた水を墓石にかけてやる。
「フフッ」と妹は笑い、爺ちゃんみたいと付け加えた。
「ハハ、確かにそうだ」
墓石のその側面にはうちの御先祖の名前が代々刻まれている。一番新しいのは爺ちゃんの名前、そしてその隣に刻まれている古い名前。
––ケイタ。親より先にあっちに行かなくてもいいじゃねぇか––
僕が六歳の頃。父が亡くなった。肺炎だった。病室で静かに泣き続ける爺ちゃんは今でも脳裏に焼き付いている。あれ以来最期まで涙は見せなかったそうだ。呆けて僕を父と重ねてしまっても。線香をあげ、手を合わせる。
ただいま。僕は相変わらず元気にやってるよ。爺ちゃんみたいに逞しくなったよ。盆の間はこっちにいるからね。沢山呑んで話ししよ。爺ちゃん、父さん。おかえりなさい。
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