オーケストラ部① 地獄の楽器決め
2022年、バイオリニストである中学の同級生と卒業ぶりに会うことになった。
自分の音楽遍歴を掘り起こして話のネタにでもしようと、高校のオーケストラ部の演奏会DVDを11年ぶりに見た。
それは、演奏会のメインディッシュである交響曲、ジャジャジャジャーンで有名なあの「運命」の第4楽章のこと。
信じられないほど美しい音色が、私の耳を通り過ぎた。
妖精が通り過ぎて、キラキラした粉を振り撒いているような音だった。
それはよっちゃんのフルートだった。
上手いとかいうレベルじゃない。上手過ぎてもはや浮いている。あまり音質が良いとは言えないはずのDVDの録音で、ハリとツヤと伸びをありありと感じる音色だった。
凄すぎてつい笑ってしまうと同時に、思った。
私がよっちゃんの席にいなくて良かった。
一生かかっても、自分のフルートからこの音が出るとは思えない。
小学5年生の年末からフルートを吹き始め、中学の吹奏楽部で3年間フルートを吹いていた私は、高校のオーケストラ部でも当然のようにフルートを吹くつもりでいた。
同じくフルートを吹くつもりでオーケストラ部に入部した1年生が、私の他に5人いた。
フルート1年の枠は2人。
全国共通なのかは分からないが、中学の吹奏楽部においてもフルートは人気だった。
体験入部ではフルートの周りに人だかりが出来ていたし、何より自分自身が中1の楽器決めで、小学校からやっていたアドバンテージを利用してオーディションで何人か蹴落とし、フルートの座を獲得していたのだ。
私はこの瞬間まで、フルートの人気ぶりを都合よく忘れていた。
1年生の楽器決めは難航した。
無論、6人のフルート希望者が原因である。6人全員「フルートをやれないなら入部した意味がない」と主張した後はだんまりだった。後から聞いたら、フルートは去年も揉めに揉めて泣き出した人までいたらしい。
全ての楽器の担当が決まるまで、部員は全員帰れない。フルート希望者の空気も地獄だが、それに付き合わされる他の部員にとっても地獄である。暗に「やりたくない」と言われている、枠の空いている楽器の先輩は多分もっと地獄である。
その時空いていた枠は、ホルン2人、クラリネット1人、ファゴット1人だった。
嫌だったが仮にその中のどれかに移るとして、とにかく難易度的にヤバそうだと警戒していたのはホルンだった。「管楽器の中でも特に難しい」と聞く。
中学時代に友達に借りた金管楽器のマウスピースで音が出た試しがないし、どんな原理であの筒から音が出るのか全く意味不明だ。そして木管と金管の口の形は全く違う。フルートをやっていた人がホルンを始めるだなんて、聞いたことがない。
私がそんなことを考えている間にも、地獄の空気はひたすら続く。
メンバーの決定した楽器で「来てくれてありがとー!」「はい、よろしくお願いします!」と、和気あいあいと挨拶をし合う場面はとっくに終わり、フルート希望者から発せられる淀んだ沈黙が教室を支配してから優に2時間は経過していた。
フルート希望者6人分の「ぜってえ動かねえからな」の意志と、その他の部員と先生約80人分の「いい加減終われよ」の気持ちが無音の教室いっぱいに充満し、本当に地獄としか形容しようのない時間が流れていた。
この最悪の空気に、ついに私の意志は折れた。80人から「いい加減終われよ」と思われる側でいることに耐えられなくなったのだ。もう仕方ない。ホルン、クラリネット、ファゴット、どれにするか。
「フルートを続けたい」という意志を手放した私は、唐突に思った。
「ホルン、フルートと違い過ぎてもはや面白いんじゃね?」
「てかフルートからいきなりホルン始めるとかカッコよくね?」
音が出る原理も謎だが、高音でピロピロやってたフルートと比べて、ホルンがどこらへんの音域のどんな動きをするのか、考えてみれば全く想像がつかなかった。この何もかもが未知の楽器を経験すれば、全く新しい音楽との関わり方ができるかもしれない。
ついに私は手を挙げ、「ホルンに行きます」と言った。
フルート希望者の机から移動すると、ホルンの2年生2人から感謝と共に迎えられた。
「初心者でも絶対大丈夫だよ。私たち2人とも高校からの初心者だったし」と言われたので、その言葉を信じることにした。しばらくしてフルート希望からもう1人ホルンに移ってきて、この代はホルンの4人全員が高校からの初心者ということになった。
そしてなんとか全員の楽器が決まり、この代での練習がスタートする。