20年前に親からパクった「もものかんづめ」
noteでエッセイっぽいものを書き始めて、伝勇伝よりも前に影響を受けている文章があったことを思い出した。さくらももこのエッセイだ。
親が持っていた「もものかんづめ」を小3くらいで読んではまり、それ以来図書館でさくらももこのエッセイを借りて読むようになった。子供向けではない堅めの文体ながら、子供でも十分笑える馬鹿馬鹿しさや情けなさを描いており、「頭の良さそうなシュールな笑い」に憧れた最初のきっかけだったと思う。(後に陣内智則、バカリズム、ラーメンズが続く)
それ以来の絵日記や作文でそのシュールさを頑張って出そうとしていたが、語彙力が全く追いつかなくてやきもきしていた覚えがある。
小5くらいの家庭科の授業では、「もものかんづめ専用ブックカバー」をミシンで縫って作った。もものかんづめ(ハードカバー)の寸法ぴったりに作られており、一度もものかんづめに装着すると取り外すことが困難だった。ブックカバーとして適切なゆとりを持たせるという発想は皆無だった。
もものかんづめが親の持ち物であることは都合よく忘れ、当然のように自室の本棚に置いていた。ギッチギチのブックカバーは外したが、20年ほど経った今でも親からパクったまま持っている。
最後に読んだのは10年くらい前かもしれない。どれくらい前かもはっきりとは覚えていない。
久々に、新鮮な気持ちで読み返したら色々と感想が出てくると思う。恒例のふせんまみれになってホンカツに連行される可能性も高い。noteに感想を書くかもしれないし、感想があり過ぎて面倒くさくて書けないかもしれない。
でも取り敢えず、本文と関係ない思い出がこんなにあるから書いておく。
そして一生親からパクッていようと思う。