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舐め腐っていた志望校選び

 私の出身高校「東京都立駒場こまば高校」を志望した経緯がいかにナメていたかという話をする。

 中学1年の時の三者面談で、担任の先生から「吹奏楽やってて勉強できて部活や行事が盛んな学校だったら都立駒場高校がいいぞ」と言われた。ちなみに吹奏楽部は駒場高校にはない。

 それを聞いた私は、「じゃあ駒場にしよう」と思った。

「じゃあとか言うなよ」と、私が親なら絶対に言う。周囲からも絶対にそう言われることが分かっていたので、「じゃあ」を頭の中に留めて「第一志望は駒場にした」と、私はその日から言うようになった。

「調べもの」に対して壊滅的にやる気が無かった私は「駒場以外の都立高校を調べるのがめんどくさい」というのが本音だったのだが、恥ずかしいので当然それは隠し、「吹奏楽やってて勉強できて部活や行事が盛んな学校だから駒場がいいんだ」と、さも自分が調べたかのように公言するようになった。自分では全く調べていないので「駒場に吹奏楽部がない」という事実にはこの時点で気づいていない。大恥である。

 その後親から「実際に駒場高校を見に行ってみよう」と提案され、中1の冬の土曜日にアポを取って駒場高校を見学させてもらうことになった。

 駒場の先生はニコニコと感じ良く父と私を歓迎してくれ、同校自慢の施設達を案内してくれた。途中、部活動に勤しむ健康的な生徒たちとすれ違い、なんだか爽やかな学校だと思った。
 さて、先ほどの「同校自慢の施設達」というのは主にスポーツ関連の充実した練習環境を指す。運動部に入る気など更々無い私には、陸上トラックも屋内プールも広大なグラウンドも全く不要だった。実際入学したら「着替えてからめっちゃ移動するから体育は始まる前からダルい」という引っぱたかれそうな感想しか抱かなくなるこれらの施設とそれらを誇らしげに見せる先生に向かって「えーすごいですねー」と言い続けて私の学校見学は終わった。
 この見学でやっと私は駒場高校にあるのは吹奏楽部ではなくオーケストラ部であることに気づき、静かに恥じ入っていた。

 実際にこの目で見たのだから、「第一志望は駒場」の動機はもう十分だ。大変安易に決意を固めている私に親は「他の都立高校も見てみよう」と言ってきた。至極真っ当である。

 そして父がある日言った。「なんか日比谷ひびや?とかいう頭よさげな都立高校が説明会やるらしいよ」私は内心めんどくさかったが、まあもう一つくらい見てやるかとも思い、「ふーん、行くか」と答えた。

 東京都立日比谷高校とは、偏差値が余裕で70を超える都立トップのエリート校だ。「あの日比谷高校」を「なんか頭よさげな都立高校」とは、当時の我々は完全に高校受験を舐めているのである。

 そして日比谷高校の説明会にも行くことになったのだが、そこで私は大変くだらない事態に見舞われ、くだらない勘違いをしたのだ。

 のこのこと私達が赴いたのは、日比谷高校の1月の入試説明会だった。

「あの日比谷高校」が、「1月に行う」、「入試説明会」だ。

 誰に向けた催しなのか。当然、入試を目前に控えた中学3年生とその親である。
 当時私は中1であり、父と私は適当なジーパンで校内をほっつき歩いていた。しかし周りを見回せば優秀な受験生達がきっちりと制服を着て、入試対策の最終段階として「今年の日比谷高校の入試の傾向について」、耳をかっぽじって聞きに来ているわけである。

 それを何も知らない我々は、「なんかさ、この学校……怖いね……」と、場違いも勘違いも甚だしく怯えていた。今この空間がピリピリしている原因は日比谷生ではなく、日比谷を志す受験生がひしめいているからである。周囲にいるのは、我々二人を除けば全員蹴落とすべきライバルなのである。そりゃあピリピリもビリビリもバチバチもするに決まっているのである。
 勘違いしてここに来たとはいえ、周りが全員違う制服を着ているのだからこれが普段の日比谷高校の校風ではないことくらい考えれば分かるのではないか。馬鹿である。

 ちなみに父にLINEで「『馬鹿である』はさすがに言い過ぎかな?」と、チキン精神を発揮して馬鹿呼ばわりをさせていただくお伺いを立てた。父は当時のことについて「『バカだな~』と思ったし、『俺たちロッカーだな』と思った」と自信満々に返してきた。
 父も「バカだな~」と思っており、さらには「ロッカー」という漠然とした概念を用いて、当時の行いをなんなら若干誇っていたのである。それなら問題ない。せっかく許可を頂いたのでもう一度言おう。馬鹿である。

 日比谷は怖かったが、駒場は全然怖くなかった。当たり前である。日比谷を唯一見た状況は前述したようなピリピリバチバチの入試説明会であり、駒場では天気のいい土曜日に先生が親切に施設を案内してくれ、「1年生のうちから高校見学に来るのは偉いですねー」とニコニコと褒めてくれたのである。校風なんか比べられるわけがないのである。「実験をするときは、比べたい項目以外の条件を揃えましょう」と、小学校の理科で習わなかったのだろうか。

 日比谷は怖かった。駒場は怖くなかった。もう検証の前提が全く揃っていないのだが、私の頭にはこの二項が刻まれた。
 とにかく駒場は怖くない。日比谷は怖い。これはきっと、いやほぼ確実に、他の都立も怖いかもしれない。

 よし、やっぱり駒場だ!

 このような短絡的な思考の結果、私の都立高校第一志望は駒場で揺るがないこととなったのである。

 私立高校で、一瞬だけ第一志望候補になった学校が一つある。通称ICU高校、国際基督キリスト教大学高校だ。

 中学3年から行き始めた塾の三者面談で先生から、「英語が好きならICUも良いですよ」と言われたため興味を持ったのだ。この「大人の意見」を鵜呑みにして自分の頭で考えない悪い癖は、いい年をした今でも改善されていない。本当に大人としてどうかと思う。

 そのICU高校にも行ってみたのだが、一言で言えば「異国」だった。広大な敷地は森に囲まれており、ICUの制服を着た白人達とすれ違い、学校説明ビデオで生徒は英語の校歌を歌っていた。


「ICUもちょっとかっこいいなあ」と惑わされかけて数週間後、父は「駒場」とだけ大きく書かれた紙をテーブルに出して、「どっちが良いんだ?」と問い詰めてきた。
 ICUと駒場の二択で迷っているのに、一つだけ名前を目の前に出したのだ。潮永家の人間は数が数えられないのだろうか?

 唐突だが、私は小学校から中学校にかけて少女漫画誌の「りぼん」を愛読していた。

 そこで描かれる「高校生活」というのは非常に華やかでキラキラしており、目がキラキラの美少女が目がキラキラの美少年と、時には取り合ったり取り合われたりしながら素敵な恋をし、放課後は制服デートをし、文化祭や修学旅行ではドキドキの青春ドラマが繰り広げられるのである。
 私は漠然と、「日本の普通の高校というのは、こんな大人で素敵なドラマに満ちた生活が無条件に送れる場所なのだ」と夢見ていた。
「無条件に素敵な生活が送れる」とは勘違いも甚だしい。ピュアもここまでくると心配なレベルである。

 その、ファンタジーのみを根拠とした漠然とし過ぎている夢を中3になっても抱いていた私は、「より一般的な高校生活」が送れそうな駒場をその場で選択した。

 父に、「駒場」とだけ書いた紙を出して「どっちが良いんだ?」と問いかけた意図を聞いてみたのだが、これが全く記憶に無いとのことだった。
 私は、学費の桁の違いから意図的に駒場を選ばせようという策略だったと踏んでいる。絶対にそうだと思っている。そうであったとして、そんな見え見えの策略に何の疑問も抱かずにまる私も私である。

 さて、リア充キラキラ高校生活を夢見た私が駒場高校を第一志望に選択したのは、調査不足とはいえ偶然にも大正解なのだった。
「かわいい」と評判のセーラーの標準服があるにも関わらず、式典以外の日は何を着て来てもよく、ピアスも茶髪も化粧も全く禁止されないという校則のゆるさ。それに加えて渋谷に歩いて行ける立地といい、部活動や学校行事にかける熱量といい、駒場高校は立派な「リア充高校」である。

 そして、ついにめでたくリア充高校に入学した私が何をしたかと言うと。

「オタク仲間がいない」とぼやきながら教室と音楽室と自習室と家をぐるぐる回る生真面目な3年間を過ごしたのである。

 入部したオーケストラ部は充実していたし、同級生も良い人たちばかりだった。しかし、「お前はりぼんに出てくるようなキラキラリア充高校生活を夢見て駒場を志望したのではなかったのか」と、当時の自分の両肩に手を置いて問いただしたい。もう少しスカートを短くして友達と渋谷にでも繰り出したらどうなのだ。「コンタクトを目に入れるのが怖い」とか言っている場合ではないのだ。化粧にもそろそろ興味を持て、大学で困るぞ。

 そう、「リア充になろう」という意志と努力が無ければ、リア充にはなれないのである。「高校生になれば無条件にリア充生活」などとは、甚だ世の中を舐め腐っているのである。

「いかに私が適当に志望校を決めたか」という話を長々としたが、私は駒場高校に入って本当に良かったと思っている。
 駒場フィルハーモニーオーケストラ部、通称「駒フィル」に掛けた2年間は青春そのものであり、同級生のみんなは優しい人ばかりで、私が「典型的な陰キャ」であったにも関わらず分け隔てなく接してくれる人格者ばかりだった。
 適当に決めようが何だろうが、駒場で過ごした3年間は何物にも代えられない。

 それはそれとして、今後は「自分でちゃんと考えて決めた」と胸を張って言えることをもう少し増やして生きていくべきだと思う。

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