「明日、私は誰かのカノジョ」感想② 留奈と心音。推し事と推し活。
漫画『明日、私は誰かのカノジョ』を11巻まで読んでだらだら考えているだけの感想その2です。
①はこちら。
※以降、11巻までのネタバレあります。
『Episode, 05 洗脳』を語るに当たって断んなきゃいけないのが、私も留奈と同じく推しの概念を理解できないということです。
留奈を好きだなーと思ったシーンの一つが、10巻でバシの配信の様子を素直に面白がってるところ。私だったら序盤で結構引いてるだろうけど、自分に理解できない人達を変に勘繰ることなく受け入れられるのは良いなと思った。
真剣に推しているリスナー達からしたら、推しの彼女がその様子を見て爆笑しているというのはまあ腹立たしいと思う。伊織のアカウントがバレたり写真にバシが写り込んでたりは留奈の不注意だけど、(見つけた人の執念がまず凄すぎるけどね……)「リスナーに匂わせして優越感を得よう」なんてことでは決して無く、自分の存在が絶対にバレてはいけないという自覚はあった。むしろバシが最初の炎上を乗り越えて成功していくのに必要な支えとなっていたのだから、リスナーがバシを推し続けていられたのは留奈のおかげでもあったという……こういう皮肉、実際に山ほどあるんだろうなあ……
『洗脳』が取り上げているライブ配信は『Knockin’ on Heaven’s Door』のホストクラブと似ている。お金を使っただけ待遇が上がるところと、ツイッターにはグチャグチャな本音が吐き出され、掲示板では真偽の怪しい噂と罵声が飛び交っているところ。『洗脳』では配信者自身の視点と、リスナー(お客さん)ではない本命彼女の視点が追加され、炎上にもフォーカスしているので飽きない。
『洗脳』で一番違和感を覚えたセリフは心音の『こんなに推し事頑張ってるのに!!』。「お仕事頑張ってる」なら何の違和感もないところに推し事という呼び方の危険性がある気がする。趣味は頑張るものじゃないし義務じゃない、と言いたいところだけど、推し事=趣味がそもそも間違いなんだろう。菜々美さんは宗教と呼び、留奈は洗脳と呼んだ。「推し事」という言葉の使われ方をツイッターなんかで調べれば実態が分かるかもしれないけど、それをやり始めると永遠に書き進められないし、病みそうだからやらない(笑)。
頑張ったら報われる……いや、頑張ることで推しを支えられるのか。お客さんが商品やサービスにお金を払うからその商売が続く、というのと変わらない気がしてきた。だとするとアイドル売りしている配信者に彼女がいてそれは風俗嬢で、というのは商品価値が下がる、と……分かるような分からないような「推し事」……。
最後の『アンチじゃありません』という意見垢は心音が書きこんでいるものでいいんだよね?こんなネチネチした面倒臭さ全開のアカウントの中身が、家族に笑顔で『いってきまぁす』と言う素朴な高校生。ああ怖。
心音の印象が変わっていく様子も秀逸で、「まだ高校生だもんねぇー」とほほえましく見ていたのがだんだんねちっこくなってきて、「いや、ちょっとちょっと……」と言ってる間にツイッターでリアルに見たことある感じの粘着アンチに変身する。恐ろしいけど、多分近い人から見ればこれ超リアルなんですよね?ほんと怖。
推しと自分だけの関係性でいれば素直にパフォーマンスを楽しんでいられたものを、他人の反応なんか見るから……。でも配信ではリスナーのコメントを常に見てるし、課金したら名前を呼んでくれて……あー、なるほどやっぱりホストみたいに嫉妬心を煽りやすい仕組みになっているのか……そうか……。
あと心音お前……18歳になった途端人に言えない稼ぎ方して病んだりすんじゃねえぞ……まあ親がしっかり見ているみたいだから大丈夫か。いや、高校卒業して一人暮らししたら……いやー心配だわー!
と思ったら『推し事』ではなく『推し活』と呼んでる人が出てきた!!(11巻、留奈が復学後に一緒に講義を受ける女の子)やっぱり、推し活って呼んだ方が趣味に近いし楽しそうな感じがする!「推し活」って言ってるのが大学生で心音より年上なのには意図はあるんだろうか?
「推し活してる」って言われた方が気軽に話を聞ける気がする。「推し事してる」って言われたらちょっと構えるかもな、明日カノのせいで(笑)。