嫌い、と言えるということ
私は昔から「嫌い」と言うことが苦手です。
嫌いだとしてしまう、認めてしまうことで
全ての可能性が潰えてしまう気がして
モッタイナイと思っていたからです。
あとは、変な軋轢を生まないためでもありました。
ただ、最近は
嫌いだと言えるということは
大切なことだなあと思うようになりました。
自分の嫌いが分かるということは
自分の好きが分かるということです。
自分の好きが分かるということは
自分の人生を彩り豊かにしてくれます。
嫌いを知ることで、自分を知れるのです。
嫌い、と言うことが怖いあなたへ。
嫌い、と言うことが嫌な過去の私へ。
好きなことは何ですか?
好きなことを答えられますか?
光を見るということは
闇を知るということです。
片方のみを知るということは
本来はできません。
知った気になっているだけなのです。
嫌い、だと言っていいんですよ。
嫌い、だと認めてもいいんですよ。
恐れを手放してください。
嫌いを認識すると、何が見えますか?
きっと、光が見えることに気づくでしょう。
この世界には
沢山のモノ、コト、ヒトがあります。
私達の一生という限られた時間の中では
出逢えるモノ、コト、ヒトは限られています。
ということは
好きにも、嫌いにもなれないことが
たっくさんあるのです。
今、目のまえにあること
これまでに経験してきたことは
この世界のほんの一部なのです。
1つのことに執着しなくていいのです。
嫌いになっても、好きなものは見つかるし
好きになっても、嫌いなことは見つかります。
世界を大きく捉えましょう。
自分の可能性を大きく見ましょう。
大丈夫。
嫌っても、好きになれるものは見つかるし
嫌われても、好きになってくれる人は現れます。