幼少期〜中学生までの私を振り返る(ポジティブ→ネガティブへ)
この投稿は上記の実験に付随するものです。
性格の変化やそれがなぜ起きたのかを客観的に考えてみるきっかけになれば嬉しいです。
0〜3歳
長女であり、両家の初孫として生まれた私。全ては記憶していませんが、おもちゃをたくさん買ってもらったり連れて行ってもらったことは記憶しています。
「かわいい」といろんなところで声を掛けられ、だんだんドヤって言った記憶もあります。だって、おじいちゃんおばあちゃんの声を掛けてくれた全員が「お人形さんみたいでかわいいねえ」と言ってくれたらそりゃ勘違いだってしますよね。
3歳になると、妹が生まれ危機を感じたのも覚えています。
ですが、ここで自己肯定感が下がることもなく高いまま進みました。
なんでもできるって思っていましたからね。初恋したのも3歳だったな。
4歳〜6歳
3歳の秋くらいかに祖父が脳梗塞で倒れ、祖父の家にお引越しすることに。父とは別々に暮らすことになり、幼稚園のない土日は父のところに遊びに一人で行きました。
年中さんあたりから近所の私立幼稚園に行き始めます。特に困ることもなく、楽しく過ごしました。友達もできたし、なんならリーダー格で引っ張っていく活発なタイプでした。帰宅後は近所の男の子やおばちゃんと仲良しで、よく遊んだ思い出があります。
年長さんになった時に、クラスのとある女子に目をつけられいじめられます。
しかも、そのいじめがなんていうか幼稚園児だからこそなのか直球なんですよ。並んでいる時にツンツンしてくる。階段を登り降りしている時に、押してくる。それなりに、高さがある位置でやって来るのが酷かったなあ。落ちなかったけど、命の危機を感じた時期でした。
「目立ちすぎると、こんな風に命の危機を感じるのか」
幼稚園児なりに感じた結果でした。
また妹もそれなりに大きくなってくる中で「お姉ちゃん」という肩書きが、嬉しい反面大きなプレッシャーにもなっていました。
何かをするにも「お姉ちゃんなんだから、我慢しなさい」「それくらい譲ってあげなさい」「お姉ちゃんだもんね」全てがプレッシャーでした。
私が願ってお姉ちゃんになったわけではないのに。みんな理想のお姉ちゃんを押し付けてくる。私だってママと寝たい。本当は譲りたくない。でも我慢しないといけないんだ。
自己肯定感がガクッと下がった時期です。
ポジティブから若干ネガティブ思考になっていました。
7歳〜12歳
小学校に上がると同時に引越しをし、祖父の家から出たものの全て再構築しないといけなくなりました。今まで積み重ねてきた近所の友好関係も、友達との繋がりも全部なくなってしまった。未知の世界に突然出ないといけなくなった私は、とても心細かったです。
新しい家の近所ですでに構築された友達関係の中に入れず、母に「一緒に遊んでもいい?」と代わりに声を掛けてもらったくらい。
入学する時には、引っ込み思案になり目立たないようにしました。
なのに、なぜか入学して一週間で初めてクレパスを使った授業で盗まれます。
担任の先生が一生懸命に探してくれたものの見つからず、小学校の怖さにびびった覚えがあります。友達と喧嘩して泣いたのも、一年生の頃でした。
そういうことが積み重なってか「誰にも嫌われたくない、反感を買うと階段で突き落とされたり、何かものがなくなる」と何処かで思っていました。
いつもニコニコしているおとなしい女の子、それが私でした。誰にも嫌な顔をせず、言いたいことも言えない。八方美人と言われれば、その通りだったのかも知れません。でもあれは生き抜くための方法だったんだよなあ。
今思えば、そう思う。
13歳〜15歳
ここでも変わらず目立たないようにします。
友達に誘われて入った女子バレー部は、思った以上に体育会系で女子の陰湿な部分が詰まっていました。1年の中でもレギュラーチームと補欠チームで仲が悪く、誰がどっちグループの仲間になるのかで悪口の言い合いでした。
こんなでチームワークなんて言えるのかって思うほどひどく、嫌になって辞めました。
そのあといろんな部活を見て、入ったのは美術部。
ここでは自分を出せたのでとっても楽しかったです。トイレの絵を書いたり、夏休みには先輩たちと怖い話をしたり、面白かった。
後輩もできて可愛がったっけ。
中学2年でクラス内ストーカーに遭い、友達に追っ払ってもらったこともあったなあ。自分の容姿にそんなに自信はなかったものの、自分でいうのはなんですがそれなりにモテました。)
男子からもちょっかいというか、いじめを受けて男性が怖いと思ったのもこの頃でした。
同じクラスの女子ともバチバチになった時もあったし。
正直めんどくさかったんですよ。人の悪口に興味ないし、たまたま席替えで隣になっただけなのに、ヤキモチ妬かれて睨まれるのも。中3の時だったので、もういいやと思って本音でぶつかったけど、同じ班の男子には悪かったな。
給食の時間、ものすごく居心地悪かったと思う。
あと関係ないかも知れないけれど、初潮を迎えてから生理の度に悲観的になって泣いていました。PMSだったのだと今では分かりますが、当時はなぜか分からないけれど悲しいと思っていたな。
まとめ
こうやって振り返ると、環境的な部分と自分の命を守る行動を取った結果がネガティヴなんですよね。元々私はネガティヴを悪いことだとは、捉えていません。リスクマネジメントだと思っています。
また学校生活が当時の生活の中で一番大きかった分、ここで失敗したらおしまいだとも思っていました。いじめられてチック症のような症状や涙が止まらなくなっても、通い続けたのはそれもあります。あとは、負けたくなかったから。
実はあんまり小中の同級生には会いたくありません。仲良かった人以外には会いたくなくて、成人式も出なかったしメルアドも何も教えなかった。今も悔いはないです。
次回は、ポジティブになった高校生からのことをまとめます。
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