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UVERworldと出会って人生が変わった私の物語。

私がUVERとであったのは高校1年生の頃かな。いや、知ったのはBLEACHのOPだったD-tecnolifeからなので中3か。

はじめての高校受験(なんて言っても、漫画読み漁ってた受験期でしたが)と多感な時。

私にはあの歌詞が声が曲が全てに心をうたれた。

癒えない痛み悲しみでキズついた君よ
消えない過去も背負いあってこう
生きることを投げ出さないで

あの時期のちょっと前の私は同じ学年の男子にからかわれ、いじられ、男性不審になって。同じクラスの男子にはクラス内ストーカーをされ。
色々ぐっちゃぐちゃだった。

上辺だけの友達なんていらない。

これも後々ゼロの答でビビッと来たよね。

上辺の友情や愛情なら 僕はもういらない

そう思ってた時にこの言葉が響いた。

私の15歳から今30歳までずっと支えてくれる存在。それがUVERworld。

それまで好きなったアーティストは流行りのみんなが聴いてるランキングにのる曲ばかり。
それが悪いとは言わないけど、涙するような曲ではなかった。

YURAYURAを聴いたときかな、気づいたら涙していたんだよね。

人生初のちゃんとしたライブ

私の人生初のライブは渋谷にあるC.C.Lemonホールという名前だったホールでの「BUGRIGHTツアー」
まだ全曲聴いてない状態でいったから知らない曲にドギマギしたけど、それ以上に最高に燃えた!!
熱くてあの心の高鳴る感じははじめての感覚だった。

MCでTAKUYA♾が「みんなの顔見えるぞ!ちゃんと覚えてるからな」って言ってたのが胸熱すぎて。
絶対また行くぞ!となったんだよね。

高校2年の夏にファンクラブに入会

あれはたしか、シャカビーチの手前の6月。
Yahooブログで仲良くなったウバ友(当時はcrewなんて言い方なくて、ウバ友でした)と「やっぱりファンクラブ入った方がいいよね!」とメールで話して入った。

無料ブログ流行ったよね。
ほぼUVERの友達はヤフブロかpeps!でつくったファンサイトでした。

お付き合いした人もUVER好きな人ばかりで、一緒にライブ行ったりしたよね。夏の逗子とか行ったわ。青春だわ。

UVERがどんどん夢叶えてくのに感化される

高校3年の時は学祭もいったり遠征もして、結構ライブにもいったなあ。懐かしい。
彼らがどんどん大きなステージやどんどん格好いい楽曲作っていくから、「私も小さい時からの夢を叶えるぞ」と突っ走った結果今の最高の仕事たちに出会っています。

花屋になるぞ!と5歳で決めた夢、国家資格を持つフラワーアーティストになり店はまだですがオンラインでレッスンや製作をしてます。

店を持たずとも仕事ができるこの環境に今はすごく感謝している。

たぶんね、UVERに出会ってなかったら人見知りもなおってないしこの性格にもなってない。笑

本当に尽きないんですよね。UVERの話になると。曲と共に、ライブ共にその時のことぶわって思い出して。

はじめての東京ドームの時も

No.1で初東京ドーム公演をした時もね、あの時は相方と一緒にあんな話してあれ食べたなあって覚えてるのよ。
未だにDVDみても震えちゃう。

確実にUVERworldに背中押されてる

どの曲が1番好き?って聴かれたら困るよね。
だって、全部いい曲だし。
推せるよね、どれも。

初期の曲も今の曲も全部。

間違いなく一生推していくと思う。

ほんと意味わかんないところも好き。
この間の21周年にはファンとマリオカート配信するし、TAKUYA♾はリビングにファンを住まわせたこともあるし。
昔はライブの後とかファンが同じところでご飯食べてるのみつけたら「一緒に食べよ」みたいにやってたし。

ああいうところが本当良いところなんだよね。


これ、気づいたけど15年間とUVERへの思いを1つの記事で終わらせられるわけないわ。

UVERCafeのことや昔やってたUVER家のTVとか、タケシのクリスマスでの催しとか
もはや知っている人少ないんじゃないかな。

公開ラジオの収録のために朝早くおきて並んだり、武道館の時は9時から並んでグッズ買うの16時半とかザラだったもんなあ。

こんなにハマったのもUVERが初めてだった。
今後もこんなにハマるのはないと思う。
どんなに好きになったとしても、ね。

ちなみにトップ画像は私が高校時代に美術で描いた油絵です。

続きます(笑)

そして随時書き足していく予定です。



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吉田奈央@花と心理学と占いの魔女
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