ライティング・マラソン#13

noteにはアップしてないけれど、ライティング・マラソンを月に1回、地味に継続している。何よりも継続することが重要だと思っている。

1月は3人で、「リフレクションカード®」を引きながら、10分、20分、30分と文章を書いて、読み合った。

「はりきって文章を書く」というのはちがう。
うまく書くとか、書きたいことを書くとかはちょっと脇においといて、そのとき、そこに集まった人との相互作用と、限られた時間のなかで出てくる「なにかしら」を「観察」して言葉にすること。これは、日常のなかにはなかなかない体験だ。

久しぶりに1月の文章をアップしようと思う。

■10分 「あなたにとって〇〇とは何ですか?」

韓国語を学び始めた。お正月、衝動的にTEMOというオンラインレッスンのコースに申し込んだ。きっかけは、いつも見ている韓国のオーディション番組やドラマを、少しでも聴き取りたいというものだった。それらのコンテンツに日々結構な時間を使っているのに、その内容が文字からも音からもまったくわからなくて、日本語の字幕だのみというのは、単純にくやしいし、時間ももったいないというある意味貧乏性な意味もある。

英語の習得の際の様々なノウハウを活かせるだろうと思っていたが、実際に韓国語を学び初めてみると、文字の違いにつまづいた。英語は、中学に入って学び始める前にアルファベットもローマ字も覚えている状態だったけれど、韓国語を学ぶというのは、日本語のひらがな、カタカナを全部覚えるようなところから始めなくてはならない。ひとつひとつの文字、単語を繰り返し書きながら、身体で覚えようとしているところだ。

それでも、日々1文字でもわかる文字が増えて、ひとつでも聞きとれる単語が増えることは、世界が広がる感覚がある。これは英語では味わえない感覚だし、フランス語やドイツ語などとも異なる。ああ、まったく違う言語を学ぶって、こういうおもしろさもあるのだなあと、なんだかとても新鮮な「学ぶ」体験をしている。

■20分 「周りの人とどのように関われていたら理想ですか?」

これまで新たに何かを学ぶときというのは、もちろん興味があるということは大前提だけれど、「仕事の役に立つ」「将来お金になるかもしれない」ということも、その動機になっていたように思う。今回は、仕事にはまったく関係ないけれど、純粋に趣味というか純粋な興味で取り組もうというつもりでいたが、貧乏性がむくむくしてきて、たたじゃ終わらないというか、一度の学びで二度三度おいしい学びを実現しようとする自分もいる。

Netflixには溢れるほどの韓国ドラマがある。そして、そこには韓国が抱えるジレンマが描かれている。ドラマを見ながら、韓国の社会課題を感じつつ、そこに照らして日本の社会課題についても関心や理解を深めたいと思っている。

一昨年、『82年生まれ、キム・ジヨン』の映画を見たあとに、なんとなくもやもやっとしたものが残った。そのもやもやがうまく消化できていなかったのは、自分自身が社会課題をうまく認識できていなかったからだと思う。「社会課題」と書くとなんかそれっぽく響きそうだけど、なんとなく遠い感じもするので、別の表現でいうとしたら、当事者として考えたい社会のなかの「誰かの困りごと」という感じか。

社会課題の解決に貢献したいとか、そういう活動に積極的に関わっていきたいとかよりはまだ手前の段階で、周りを見渡せば様々な課題があるのに、自分が見えていなかったり、目が素通りしたり、見て見ぬふりをしたり、そういう状態になっていることがどうなのかなと思っている。

こんなことを書いているのは、ドラマ漬けの生活を送る自分への言い訳かもしれない。まあでも、今年1年、韓国というお隣の国を通して自分の学びも世界も拡張できたらと思う。

■30分 「今、人生のどのようなステージにいると思いますか?」

何のめぐり合わせか、1月2月は「聴くを学ぶ」月間になっている。文化人類学者のエスノグラフィックインタビューの講座が5回。それから、自死・自殺相談センターの研修が全部で12回。

聴くことは、自分で大事だと思っているのに、大事だと思っているからこそ、できていないなあと思うことだ。そんなことを言ったら、書くことも、話すことも、読むことだって大してできていないのだけれど、聴くことはできていないことがくやしいなあという気持ちに、一番なる。

嘆きながらもやらずにはいられないこと、やってしまうことが天命だという。

聴くことがどこにつながるかわからないけれど、どこかに自分を運んでくれたらいいなあと思う。おそらく、聴けると、もっと書けるし、話せるし、読めるようになるのだと思う。なぜそうなのかのロジックはまたゆっくり考えるとして、たぶんそうだ。

人生のステージという言葉は、いまだによくわからない。本当にいくつかのステージに分かれているのだろうか?もちろん後から振り返れば、上手い具合にステージ化できるだろうけれど、これからのことは分からないから、今わかるのは、今からみたこれまでを、自分なりに編集したステージということだ。

今がどんなステージかわからないけれど、あれこれあれこれ阿修羅のように手を伸ばすところから、ここと決めて穴を掘っていくタイミングだなということは思う。その穴がどこにつながるのかはまだわからないけれど、そしてつながらないかもしれないけれど、穴を掘るということが、自分の人生に必要なのだという感じがとてもある。おそらく、穴を掘るという動きを繰り返していることで、自分に必要なものが身体的に身についていくのではないかという気がしている。

■「ライティング・マラソン」とは?

一定時間ごとに「書く・朗読する・朗読を聴く」を繰り返しながら、自分の中の本当に書きたいことに近づいていくという試み。書く内容は自由で、そのときに思うこと、前々から気になっていること、詩、フィクション、散文、なんでも構わない。

これをやるとどうなるか?というと、全員が同じ立場にあり、批判や否定、評価をされることもないので、書きたいことが気軽にどんどん書けるようになる。それは「自分を守っている防具のど真ん中に大穴をあけられ、不意にあるがままの自分がむき出しになった感じ」 であり、「自分を切り開く体験」だと、この方法の提唱者の詩人 ナタリー・ゴールドバーグは言う。基本的に、書くことは一人で行うものだけれど、人と一緒に走るように書くおもしろさを味わうことができるのがライティング・マラソン。

■次回参加者、1名だけ募集。

次回は2月27日(日)15:00~17:30(くらい)の予定で、あと1名参加者を募集しています。もし「ちょっとやってみたい」という方がいらっしゃいましたら、フッターの「クリエイターへのお問い合わせ」からご連絡ください。








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大前みどり
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