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九段下の駅を降りて鳥居をくぐると

爆風スランプの「大きな玉ねぎの下で」という曲の歌詞にあるように(年齢がバレる)、「九段下の駅を降りて坂道を」のぼっていくと、左手には日本武道館、右手には靖国神社の大鳥居がある。

靖国神社には一時期、毎年、家族で初詣に行っていた。仕事で近くを訪れたときには、なるべくお参りをするようにしている。そんな風に何度か訪れているなかでも特別な記憶として残っているのが、毎年4月の頭に開催されている「夜桜能」だ。日本で行われる最大級の薪能だそう。

最初に観に行ったのは5年前。目的はミーハーで、野村萬斎さんの舞台を生で観たかったから。あの渋みのある声を直接聞きたかったからだ。

子どもたちが小さい頃、NHK教育テレビの「にほんごであそぼ」を観て、「ややこしや」をよく一緒に真似していた。出演していた野村萬斎さんは、そのときからずっと気になっていた。

それが、NHKのプロフェッショナルで特集されたのを観て、ぜひ直接観たいと思ったのだ。

夜桜能のチケット発売日に、開始時間前に待機をして予約したので、ほぼ真正面の一番前の席を取ることができた。

当日は、九段下の駅を降りて、ゆるやかな坂道をのぼっていった。すでに暗いのに、人がやけに多く感じた。昼間にしか行ったことがないからかもしれないが。

開場する時間が大幅に遅れ、待っている人の列に並んだまま結構な時間待たされた。とはいえ、気持ちは盛り上がる一方だ。能の舞台はそれまで見たことがなく、狂言の舞台は学校で市民会館に見に行ったものだけ。どういう芸能かよくわかっていないくせに、たくさん人がいるだけでなんとなくお祭りっぽい気分になってくる。

20分くらい遅れただろうか。やっとのことで開場すると、一目散にトイレを済ませた。そしてそそくさと自分の席に座り、じっと始まるのを待った。4月とはいえ夜は冷える。ときおり小雨もぱらついていた。透明のカッパを着て席に座っていたが、とにかく寒い。そうやって待っているとやっと火入れ式が始まった。あまりにも寒いので、あの火にあたりたいなあと思った。

そのあたりまでは覚えているのだが、そのあとが不思議なほど記憶に残っていない。舞囃子は始まるとすぐうとうと寝てしまった……。狂言が始まってからは目のまえで動いているのが信じられないと思いながら、萬斎さんの声がとても響いて聞こえたなあという体感がある。そして、あまりの寒さに、狂言が終わったあと、能はあきらめて見ずに帰ることにした。

ちょうどその日観た舞台のダイジェストが公開されていたのでリンクを。


あらためて見て見ると、舞台の上に桜の花びらが散っているのが風流でなんとも味わい深い。

それから数年は、仕事が嘘のように忙しい時期が続き、大学院にも通っていたので、すっかり能や狂言を観に行くことはなくなっていたが、昨年からまたあるご縁をきっかけに、月に一度は能舞台や狂言の舞台を観に行くようになった。

今年は2月に野村万作さん、萬斎さん、 裕基さんの親子三代の狂言を観に行った。この頃はまだ、今みたいな事態になるとは思っていなかった頃だ。


3月にも萬斎さんが登場する公演を申し込んでいたのだが、新型ウイルス禍で来年に延期になった。久しぶりに行こうとチケットをとって楽しみにしていた4月の夜桜能も中止になった。

残念だけれども、次に舞台を観に行けるときを楽しみに、それまでは日本の歴史や芸能の歴史についてより深く知っておこうと思う。


靖国神社といえば、毎年8月になると参拝うんぬんでニュースに上るが、「靖国神社の由緒」を読むと純粋に背筋を伸ばさずにはいられない。

靖國神社に祀られている246万6千余柱の神霊は、「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の神霊」であるという一点において共通しています。


能はもともと、死者を供養するための芸能だ。しかも特に非業の死を遂げた方の霊を鎮魂するためのものだ。だからこそ毎年靖国神社で奉納として薪能が行われている。

この国の人びとが歩んできた戦いの歴史や戦争が残した傷跡、そして能が果たしてきた役割や世界観。そういうことを、大きな視野で学びながらまた、来年、再来年に、桜の中で、幽玄な能や狂言の舞台をじっくり味わえる日を楽しみにしている。

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