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哲学対話「ユーモア」の開催レポート

毎月第4土曜日の定例のオンライン哲学対話に加えて、11月からは進行役をお迎えして平日にも開催することになりました。12月15日(木)に開催した際の様子を、進行役のもとさんがレポートしてくれました。

哲学対話の概要

哲学対話とは「普段はあらためて考えない疑問」、「すぐには答えが見つからなそうな疑問」について、みんなで語りあって思考を深めていく場です。過去のテーマはこれまで「対話」、「時間」、「夢」、「言葉」、「弱さ」、「笑い」、「つながり」、「学ぶ」、「遊び」、「信じる」、「読む」、「書く」、「聴く」、「楽しさ」、「無駄」、「不安」、「記憶」、「努力」、「考える」、「協調」、「変化」、「労働」、「プレゼント」、「味わう」、「ハマる」、「共感」、「旅」、「役に立つ」、「自尊感情」、「ほめる」、「本音と建前」、「違和感」、「配慮と遠慮」、「成長」、「鈍感」など。
36回目となる今回のテーマは「ユーモア」で、参加者は13名でした。

※以下、当日出た意見を、個人が特定されない範囲で紹介します。個人の具体的な体験などは省略した他、進行役の解釈・編集が入っていますのでご了承ください。

◉チェックイン

音声確認の意味も含め、①ニックネーム、②今の気分、を一人ずつ話していただきました。 前夜のふたご座流星群やワールドカップの影響で、「眠い!」という方が多くいらっしゃいました(笑)。 眠気を吹き飛ばすような、刺激的で面白い対話ができれば、と思いました。

◉前半(フリートーク)

前半の30分ほどは、「ユーモア」というテーマに関して思うことを自由に話していただきました。以下の観点が出されました(順不同です)。
 
・賢くないとユーモアじゃない、という気がする。ユーモアと 賢さとは結びつくのでは?
⇒ ユーモアを披露する動機として、「賢く見られたい」「知的に見られたい」という欲求があるのかもしれない。

・芸人のお笑いは、自分を捨てて笑いを取りに行っている。 それに対して、ユーモアは自分を崩しきらない感じ。
⇒ 芸人のお笑いも、プロとしてやっているのであって、本当に自分を捨てているのかどうかは疑問だ。

・ユーモアを楽しむには余裕が必要。

・笑いとユーモアは重なる部分もあるが、別の集合体だと思う。

・エスプリとユーモアは何が違うのだろう?

・特に意図していないユーモア、いわば無意識のユーモアもあるのではないか?ユーモアが成立するためには、共通の認識が要る。文化や地域性を含めて、相手の立場を理解していることが必要。
⇒『男はつらいよ』の寅さんが面白いのは、私たちが寅さんのキャラクターや生き方を知っているから。 背景を知っていることが重要。
⇒日本に生まれ育っているので、英語のユーモアを解説されても、何がユーモアなのか分からなかった、という経験がある。

・ユーモアにはどういう効果があるのだろう?
⇒ 笑いを誘う、感動、心が暖かくなる、などがあるのでは。
⇒ ユーモアを織り交ぜることで、ぎすぎすせずに紳士的な行動ができる、という効果もある。

・最近は「人を傷つけない笑い」 が良い笑いとされがちだが、ブラックユーモアという言葉もあるように、棘や毒があるユーモアも存在する。そういう棘や毒にも魅力がある。

・差別的だと、ユーモアではないのだろうか?
⇒ 発信した人が「どういう目的で、何を期待したのか」によるのではないか。 一方で、受け取る人の感性の問題もあり、 受け取る側次第でユーモアかどうかは変わってくる。
⇒ ユーモアと差別の関係性には関心を持っている。 差別との関係で考える時は、ユーモアを受け取る側が特に重要だという気がする。
 

◉問い決め

前半のやり取りを踏まえて、後半に深めていく問いを出し合いました。
以下の問いが出されました。

  • ユーモアは知識か感情か?

  • ユーモアが効果を発揮するための必要条件とは

  • 「ユーモア」は社会で創られ、拡散されるものではないか。

  • ユーモアの限界って何?

  • 受け手は何をユーモアと判断するのか?(ユーモアを構成しているものは?)

  • ユーモアは単体で存在するのか? (たとえば風刺は単体で存在し、目的がはっきりしているが、ユーモアはそれ自体明確な目的や予測される結果(効果)があるのか?)

  • どのような人がユーモアがあるのか。

  • ユーモアの「構成要素」は何か

  • 行為がユーモアといえる具備する条件とは?

  • どのような場合にユーモアだと感じるようになるのか?

話し合いの結果、いくつかの問いを一緒にできるということになり、合体しました。最終的に、以下8つの問いについて投票をしました。

  1. ユーモアは知識か感情か?

  2. ユーモアが効果を発揮するための必要条件とは?

  3. 「ユーモア」は社会で創られ、拡散されるものではないか。

  4. ユーモアの限界って何?

  5. ユーモアは単体で存在するのか?

  6. どのような人がユーモアがあるのか。

  7. ユーモアの「構成要素」は何か (受け手にとって)

  8. 行為がユーモアといえる具備する条件とは?

投票の結果、選ばれたのは、2.のユーモアが効果を発揮するための必要条件とは?という問い。
ここで5分ほど休憩をはさみました。

◉後半(対話)

後半は選ばれた問いを入り口に対話をスタートしました。

・「効果を発揮する」というのが、どうもピンと来ない。 ユーモアについて使う言葉としては堅い気がする。
⇒ それほど大それたことを言っているわけではなく、 「フフッってなる」「空気が緩和する(受け手も差別された気がしない)」、そういうことが効果だと考えている。

・必要条件というのは、受け手にとっての条件に限定しない、ということで良いか? ユーモアは、発信者だけ/受信者だけで成り立つものではない。 場や相互関係が大きく関わってくると思う。
⇒ 受け手にとっての条件に限定しない。

・ユーモアには、皆が一歩引く、という姿勢が必要。 ユーモアは通常とは違うレイヤーで理解する必要があり、複層的・多層的なコミュニケーションと言える。
⇒ 複層的なコミュニケーションとしてのユーモアの具体例はあるか?

・ユーモアは道具であり、武器である。この人には真正面から直球を投げても通じないだろうな、という時には、変化球としてユーモアを使う。 人に気づきを与えるための武器としてのユーモア。
⇒ それは必要条件というよりは、効果そのものの話ではないかという気がする。
⇒ 単刀直入なコミュニケーションを好む人もいれば、ユーモアに包んだ変化球のコミュニケーションを好む人もいる。 「皆が皆、直球を投げるとは限らない」という認識を持っておくことは必要だと思う。

・やはり「効果を発揮する」という言葉にひっかかる。 「効果」とは何なのか? そこがはっきりしないので、そのために「必要な条件」は何かを考えるところまで至っていない。

・「フフッってなる」のが効果だという説明があったが、その場にいる全員がフフッとなることなんて本当にあるのだろうか?
⇒ ユーモアはそういうものだ、と自分は思っている。そうであってほしい、という願望が混じっているのかも知れないが。それは甘い考えだ、と人から言われることもある。

・ユーモアかどうかは、後の評価によって決まる。 ユーモアが生まれた瞬間に、これはユーモアだ!と思えることはあまりない。 後々、思い返してみて「あれはユーモアだった」と言える。
⇒ 後からの評価で成立するものだと考えると、ユーモアはその場にあるものなのか? その場にはクスクス(という笑い)しかないのではないか?

・ユーモアは発信者と受け手の1対1では成り立たないと思う。 その他の人、第三者が面白さを感じるかどうか、ということが受け手の意識も左右している。

・ユーモアの「効果」について。 緊張がほぐれるという効果がある。初対面の人に、警戒を解いてもらう、そして自分を理解してもらう、そのためにユーモアを言うことがある。 アイスブレーキングの手段。

・「ユーモアが効果を発揮する」と言うが、 誰にとっての効果なのだろうか? 道具として、武器として使う人にとっての効果か?
⇒ そもそも、ユーモアは目的があって「使う」ものではないと思う。ユーモアは道具ではない。 だから、効果がうんぬんというのはピンと来ない。
⇒ (問いの提案者から) 「効果」という言葉を使ってしまったために誤解を招いたかもしれないが、ユーモアを道具や武器と思ったことはない。ユーモアがユーモアだと認識されるということ、そのものが効果だと考える。

・意図せずに場に生まれる自然発生的なユーモアもあれば、発信者が意図を持って道具として使うユーモアもある。

・キャッチボールに喩えるなら、ユーモアというボールを受け手がきちんとキャッチできるか? ということだと思う。 例えば10人の受け手がいるとしたら、10人全員がキャッチすることはありえない。それでも、 10人中7人ぐらいがキャッチできれば、場が和むのではないか。
⇒ キャッチボールという表現からは、ユーモアが情報であるかのようなイメージを抱く。 だが、ユーモアは情報ではないと思う。 自然発生がしっくりくる。 誰かが発信するというよりも、 人と人の間に生まれるのがユーモア。

・先ほどから「場」というワードが出てきているが、何を言おうとしているのか? それは「受け手」とは違うのものなのか?
⇒ 発信者がいて、受け手(複数の場合もある)がいる。 その両者の関係性も含めて「場」と呼んでいる。
⇒ 先ほど、ユーモアは複層的・多層的なコミュニケーションと言ったが、発信者・受け手というのが「個」の層だとすると、それとは別に「場」の層がある。
⇒ 発信者と受け手が1対1の場合でも「場」と言うのではないか?
⇒ 1対1でも複数でも「場」という言葉を使う。 今、哲学対話をしている、ココも「場」と言えるのでは。
⇒ 1対1でも、2人の間に無数の糸があって、その糸の織物が「場」なのだと思う。
⇒ 前半のフリートークで共通の認識や、文化の理解が必要という意見が出てきていた。 そういった共通認識、文化を含めて「場」と呼ぶのではないかと思う。

・ユーモアは人に紐づくもの、という感覚を持っている。 場から自然に生まれるユーモアというのがしっくりこない。 笑いの空間、笑いの場という表現ならまだ分かるが、ユーモアの空間/場というのは聞かない気がする。

◉進行役感想

ユーモアはどこから生まれるのか? をめぐって、①人が意図的に発信するもの、②自然発生するもの、と見解が分かれました。 ①②どちらのパターンもあるよね、という人もいました。①発信派は、「場」という言葉の曖昧さが引っかかっていたようです。逆に②自然発生派は、ユーモアに対して「道具」や「効果」という言葉が使われることに違和感を感じていたという印象です。両者の違いは、どういう種類の「笑い」を「ユーモア」と呼ぶのか、つまり言葉の定義・解釈の違いであるといえそうです。(広く「笑い」全般について考えるなら、意図した笑いも、自然発生の笑いもあるということは、おそらく皆さんが認めてくれるでしょう。)後半の問いに含まれている「効果を発揮する」という言葉についても、人によって解釈に違いがありました。

大きなテーマになればなるほど、同じ言葉についても、人によって定義や解釈が異なる、というずれは当たり前のように発生します。今回の参加者は、お互いの感性の違いを認め合い、質問や確認をしながら、ずれを埋めていく作業をしていました。対話を進める上で、こういう姿勢は重要なことだな、とあらためて感じました。ユーモアが成立するためには余裕や相互理解が必要、というご意見がありましたが、これはユーモアに限らず、哲学対話についても言えるのかもしれません。みなさんの余裕と相互理解しようとする姿勢のおかげで、和やかな雰囲気の中で様々な意見が出され、意義深い対話ができたと思います。

一方で、ずれを埋める作業には多くの時間がかかるということも事実です。お互いの理解が進んできて、いよいよこれから話が深まるだろう、というところで、今回は時間切れになってしまいました。進行役として上手に具体例を引き出したり、ポイントとなる論点を明確化したり、という手助けができていれば、スムーズな相互理解が進んで、もっと内容の濃い対話になっていたかも知れない、と反省しています。スキル不足・経験不足で、皆さんのご意見を受け止めるだけで精一杯になってしまっていました。今後の課題としたいと思います。

1月の開催予定

■1月18日(水)10:00~12:00 
オンライン哲学対話#38:テーマ「選択」

■1月28日(土)10:00~12:00 
オンライン哲学対話#39:テーマ「もやもや」

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大前みどり
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