としまえんが幕を下ろしても、きっと、ずっと
8月31日をもって、としまえんが閉園する。94年の歴史に幕を下ろすことになる。facebookで遊びおさめに行った人の投稿をいくつか目にしたが、一抹のさみしさがこみ上げてきた。このままもう永遠に、あの空間に行くことはないのだな……と。
としまえんは、子どもの頃、家から一番近くにあった遊園地だ。東京ディズニーランドがオープンするまでは一番の夢の国だったし、ディズニーランドがオープンしてからも、最も身近な遊園地であることに変わりはなかった。元日はディズニーランド、2日はとしまえんというのが、お正月の定番だった。
家族で「木馬の会」の年間パスポートを購入していた時期もある。その頃は遊園地というよりも、プールにしょっちゅう行っていた。夏休みの半分はとしまえんのプールで遊んでいたこともある。プールの後は花火という楽しみもあった。
そんな風にあまりにも何度も行っていたので(何百回も行っているので)、としまえんのことを思いかえしてみてもいついつの個別の記憶というよりは、あんなこともあったなあ、こんなこともあったなあという、断片の記憶がほわほわと浮かんでくる感じになる。
ゲームコーナーで1日ひたすらずっとゲームしてたときもあったっけ。妹が小さいときにプールで迷子になりかけたこともあったっけ。駅の近くのとんかつやさんでとんかつを食べたっけ、というように。
ただそんな、家族で行った記憶よりも、もっとスペシャルな記憶がある。
11月の小学校の開校記念日だ。その日が何よりも特別だったのは、普通の何でもない平日に学校が休みになり、出かけられるというところにある。そして、開校記念日はお約束のように毎年としまえんに行っていた。
学校と家と近所での習い事くらいの小さな世界で生きている小学生にとって、大手を振って学校を休み、子どもたちだけで遊園地に出かけることは、何より特別なイベントだった。
電車に乗って2駅。そこからバスで20分。小学生でも心配なく行ける距離だ。だからとしまえんのそこかしこに、同じ小学校の子たちがいて、もはや遠足で来ているかのような光景になる。そして友達同士でいくとしまえんは、何をしていても楽しかった。
「アフリカ館」で乗り物から降りて歩いていたら、陰から人が出てきて怒られて、超絶びっくりしたこと。
「ミステリーゾーン」は怖くないのに、歩いて回るお化け屋敷は案外こわかったこと。
上の部分でバチバチっと電気が走る「オートスクーター」でぶつかって鼻血を出したこと。
「エルドラド」の真ん中の部分に乗っていると案外早く回るので酔いやすいこと。
いろんなことが思い出されるが、やっぱり一番の思い出は何回も連続で同じ乗り物に乗ったということだ。
としまえんでは、当時「シャトルループ」、「コークスクリュー」、「サイクロン」という3つのジェットコースターが、目玉の乗り物だった。休日だともちろん並ぶ時間は1時間以上。だが開校記念日の平日は空いている。10分くらい待てばすぐに乗る順番が回ってきた。
そこで私たちはひたすら繰り返し乗るということに挑んだ。乗って降りたらまた走っていって列に並び、降りたらまた並び。そんな風にしていくつかの乗り物に続けて何度も乗るということをやっていた。だいたい3回くらい乗ると飽きて次の乗り物に行くのだが、サイクロンに7回連続で乗ったときは、さすがに気持ち悪くて顔が青ざめてしまった。
冷静に考えると、続けて乗ることに何の意味があるの?と思うのだが、おそらく休日だったらできないことを、平日だったらできるということに、興奮していたのだと思う。もしくは完全に後付けだが、カイヨワの遊びの分類でいう「イリンクス」(目眩やスリルを伴う遊び)にハマっていたか。
中学で部活が忙しくなってぱったりいかなくなってしまったが、結婚をして、子どもが生まれて少し経って、地元に引っ越してきてから、としまえんはまた身近な遊園地になった。
お正月にはスケートをしに、夏はプールに。ほとんどはだんなさんが子どもたちを連れていくことが多かった。私は一緒に行っても、涼しいところで本を読んでいたりするので、いる意味がないと言われて(笑)
最後に行ったのは、たしかお正月のスケートだ。たどたどしい私の滑りをスイスイ滑れる子どもたちに笑われたという苦い記憶で終わっている。あれが最後のとしまえんか……と思うとさみしいけれど、子どもたちと記憶が共有できたのでよかったかもしれない。
閉園後は、公園やハリー・ポッターのテーマパークができるのだそう。としまえんという形はなくなっても、非日常のワクワクした感覚は忘れないだろうし、園内マップもまだ頭に入っている。きっと、ずっと、記憶のなかの「楽しい」の領域に残っていくことだろう。