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「やればできる」は本当か?

子どもの頃は、今から考えると驚くほど、よく病院通いをしていた。
体が弱いというわけでは決してない。
病院に行く理由が、定期的に発生するのだ。

まずは突き指と捻挫。
ほんとにしょっちゅうだったので、慣れっこになってしまった。最初は親についてきてもらっていたけれど、小学校2年生くらいからはいつも1人で病院に行っていた。

そして半年に1回の発熱。
夏休み明け、春休み明けなど、季節の変わり目によく熱を出していた。
風邪なのか疲れなのかわからないけど、もはや年中行事みたいになっていた。「あ、また熱が出た。病院行かないと」と。

一番困ったのが、湿疹だ。
当時はアトピーという言葉がまだ使われていなかった。小学校1年で湿疹がで始め、皮膚科に行った。もらった薬を塗るのだけれど治らない。それらしき病名を言われるのだが、薬をぬってもよくならない。原因もわからない。

すると違う病院を紹介される。
新しい病院でも同じことが繰り返される。ときによくなったり、ひどくなったりするが、湿疹はずっと治らないままだった。

果ては大学病院をあちこち回ることになった。
大学病院の受診は1日がかりだ。学校を休んで、母と朝から病院に行く。何時間も待たされて、やっとの診療が終わると、また薬をもらい会計をするためにたくさん待たされる。全部が終わる頃にはへろへろだ。病院の食堂でお昼を食べて、帰ってくる。まあ、それはそれで、母と2人だけの特別な時間だったけど。

湿疹が出たのは、腕の内側と太股の内側、そしてふくらはぎ全体。
とにかくかゆいので引っ掻いてしまい、さらにひどくなることもしょっちゅうだった。いつも湿疹が見えないように長袖、ハイソックス。ひどいときはガーゼや包帯を巻いていた。

膿んでぐじゅぐじゅしていることも多かった。
ぐじゅぐじゅがひどいときは、両手両足を包帯でぐるぐる巻きにされ、ミイラみたいになっていたこともあった。

そんなふうに、小学校1年生から中学校の途中くらいまで、原因不明の湿疹はずっと治らないままだった。

あるとき突然ものすごく効く薬に出会った。
それがステロイドの塗り薬だった。
あっけないほど簡単に湿疹がおさまっていった。

今までの、膨大な病院通いやかゆみとの戦いはなんだったのか、と拍子抜けするほどだった。その頃にはアトピー性皮膚炎とその治療法が一般的になってきていたのだろう。

高校生になってもまだ少し湿疹は残っていたが、ひどくなれば薬をぬればいいので、まったく気にならなくなっていた。


さて。病院と湿疹の話が長くなったが、ここからが本題(笑)の、「やればできる」は本当か?の話。

私はそんな湿疹生活を送っていた小学生のとき、習い事で習字、そろばん、スイミングをやっていた。

だが、湿疹がひどくなったことで、スイミングをやめなくてはいけなくなった。クロールで25メートル泳げるか泳げないかくらいのときだった。学校の体育の授業も、水泳のときは見学をしなければいけなかった。

泳ぐのは好きだったので、見学は苦痛だった。
そうやって2年くらい我慢していたら、湿疹が少しよくなって、プールに入っていいと病院で許可をもらえた。

プールに入れるようになった4年生の夏休みは、小学校対抗の水泳大会に出るための練習会に毎日通い、めちゃめちゃ練習した。先生や先輩に言われたことを繰り返し、フォームを整え、できなかった飛び込みも、褒められるほどにできるようになった。泳げる距離も伸びて、100mくらいまで泳げるようになった。

そして大会当日を迎えた。
私は平泳ぎ25mの選手として出場した。

ど緊張で、スタート台に立った。
プールの水面が青くキラキラしている。
「パーン」という鉄砲の音とともに、スタート台を蹴る。
うまくいった。
がむしゃらに泳いだ。
いつもよりプールの水が冷たい。
ひとかきであまり進んでいない気がする。
25mってこんなに長かったっけ。
はやく手を、はやく足を動かして。
あと少し、あと少し。
手が壁にふれる。
やりきった。

そのとき、今まででベストのタイムを出すことができた。
順位はその組の中で3位くらいと凡庸だったけど、なんともうれしかった。今でもピカピカの記憶の1つだ。

おそらく、プールに当たり前に入れて、スイミングに当たり前に通えていたら、もっといい成績を出していただろう。

でも、あれほど懸命には、練習をしなかったかもしれない。だんだんとできるようになるうれしさや楽しさを、味わえていなかったかもしれない。このときほどには、大会に出たことがうれしくなかったかもしれない。こんな風に書くほど、鮮明に覚えていることもなかったかもしれない。

このときがひとつの、「やればできる」の原体験となった。
「もっともっと、泳げるようになりたい」という純粋な欲求だけが、自分を動かしていた。


やってもできないこと、そんなことはたくさんある。
いろんなことに手を出してみたものの、途中でやめたこと、あきらめたこともたくさんある。

だけど、今日ふと、このときのことを思い出し、書いてみて、改めて思う。

ほんとうに何かをやりたいのなら、やればいい。
やればやっただけ、その何かをできるようになる。

それが例え人と比べて、ほんのわずかな、ささいなことであったとしても、やる前の自分と比べたら、できるようになっている。

「やりたいけど、むずかしい」と思うことは、年をとっても必ずある。「他の人からどう見えるか」とか、「下手だと思われたらはずかしい」とか、「今更そんなことやってもしょうがなくない?」とか、そういう自分の中の声も、たくさん聞こえてくる。

それでも。

やればできるのだ。

純粋にがんばったときの自分、その少女の姿に励まされながら、「うん、たしかにむずかしい。だけど、やればできるよ。やった分だけ」という気持ちで、取り組んでいきたいと思っている。



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大前みどり
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