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2.5日の人体実験
金曜の夜から今日の日曜の夜まで、PCの前で、串刺しにされたように座っていた。
金曜は輪読会のような形で、ある臨床哲学の事例を共有する会。
昨日は朝から哲学プラクティス連絡会で4つのセッションに参加したり発表を聴いたり。夜もワークショップがあったけど、疲れすぎてたので途中で退室させてもらった。
今日は哲学プラクティス学会。名前が紛らわしいけど別の母体だそう。ほとんどが発表を聞いている時間。夜は梶谷真司先生の哲学対話。
長時間Zoomの画面を見て、PCから聞こえる音声に耳を傾けているのは、こんなにも大変なんだなあと、自分の身体で人体実験をしたような2.5日だった。
いろんなことをインプットしたので頭の中で様々なことが渦巻いている。たとえば、哲学対話の暴力性、危険性みたいなものについて。今まで自分で言葉にしきれない部分で、たくさんの「言葉」を受け取った。ただそれは、自分が使っている言葉ではないので、何かまだ少し遠いところにある。
ふりかえる体力はもうしぼっても出てこないので明日以降に持ち越して、オンラインの場づくりをする上での心構え的なものだけ残しておきたい。
なんというんだろうか、リアルな場でないからこそ、その人がそこにいるということをわかっていますということを、積極的に伝えていく必要があるのだなあということを思った。
そう思ったのは、「あ、これはちょっと静かに暴力的だ」と思うようなシーンがあったからなのだけれど。これも、あとでしっかりふりかえろう。
ささいなことだけれど、頷くこと、名前を呼ぶことなどはとても大切なことだ。「みなさん」とまとめてしまうのではなく、1人ひとりが「個」であることを忘れないこと。
哲学をするんでも、対話をするんでも、似たようななにかをするんでも、その「する」以前に、人と人が「かかわる」という前提を置き去りにしてはダメだと、今の私は思っている。
でも、哲学をするには、もっと大事な前提があるのだろうか?どうだろうか。
なんだか今日はごっつい夢を見そうだ。
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