哲学対話「本音と建前」の開催レポート
毎月第4土曜日にオンライン哲学対話を実施しています。8月27日(土)に開催した際の様子をレポートします。
哲学対話の概要
哲学対話とは「普段はあらためて考えない疑問」、「すぐには答えが見つからなそうな疑問」について、みんなで語りあって思考を深めていく場です。過去のテーマはこれまで「対話」、「時間」、「夢」、「言葉」、「弱さ」、「笑い」、「つながり」、「学ぶ」、「遊び」、「信じる」、「読む」、「書く」、「聴く」、「楽しさ」、「無駄」、「不安」、「記憶」、「努力」、「考える」、「協調」、「変化」、「労働」、「プレゼント」、「味わう」、「ハマる」、「共感」、「旅」、「役に立つ」、「自尊感情」、「ほめる」など。
31回目となる今回のテーマは「本音と建前」で、参加者は12名でした。
チェックイン
音声確認の意味も含め、①ニックネーム、②今の気分、を一人ずつ話していただきました。テーマに関することを軽く話していただくことも多いのですが、今回も人数がいつもより多かったので簡単なチェックインで始めました。
前半(フリートーク)
前半は、「本音と建前」というテーマに関して思うことを出し合いました。以前は最初に問いを立てる時間をとっていましたが、最近はテーマについて思うことを自由に話してから問いを立て、後半にその問いについて話すというやり方で進めています。今回は、下記のような観点が出されました。
・そもそも本音ってあるのか?
人が発することは、ほとんど建前でできていて、本音のまんまということはないのではないか。その建前が本音に近いか遠いかという階層のようになっているのでは。そうすると本当の本音ってあるのか?と思う。
・教育業界では子どもの進路を決めるときなどに本音を話さないと始まらない。彼らが本音を話しやすくなるよう、ガードを外してもらうために、信頼してもらうことが大事。
・本音を話せるかどうかは、どういう関係かが関わってくる。子どもの頃は本音と建前がわからなかったけど、大きくなって「何を言っても受け入れられる関係だ」と思うと本音が言えるようになる。そう考えると、建前を言えるということはある種の成長なんじゃないか。
・相手が本音を話しているというのはどうやったらわかるのか?これまでどういうときに本音だと思ったか?手がかりってなんなんだろう?
⇒相手がスラスラ話しているときって本音じゃない感じ。考えながら話していると本音の可能性が高いのでは。
・確固とした本音みたいなものが1つあるのか?自分の感覚では、本音は1つじゃない。自分のなかに同時にいろいろあってモザイクのようになっている。どんな意見を言っても、何かしらの本音が混ざる。
・人間は多面的な存在で、そのどこが出てくるのか?ということじゃないか。だから「本音」と「建前」と2つに分けることが出来るとは思わない。
・数秘術では、1の数を持つ人はシンプルで、自分で「好き」と言えたら本音という感じ。9の数を持つ人は多角的にものを見るので「両方あるよね」となりやすいと言われている。
・本音というのは自分の中でわきあがる感情に近く、相手のことを思ってそれを伝えられないときは建前になる。
・本音と建前という区分はあると思う。ただ、そのどれを出すのか?本人が本音とわかっていない、感じていないときもあるし、どれだけ言っても結局は本音に近い建前をやりとりしているのではないか。
・その場合、それが相手の本音に限りなく近いというのは、どうやって感じ取っているのか?
⇒感性、感情に触れているかというのは1つの目安になる
・本音は1人称なので自分でわかる。シンプル。建前は2~3人称で、相手がいる。状況や立場によって建前は変わってくる。相手が本音で言っているのか見分けるのが難しい。
・まったく知らない人は、その人が本音で話しているかどうかわからない。よく知っている人の場合は、そこに乗っている熱量でわかる気がする。
自分は普段あまり本音を言えていないと思うので他の人はどうだろうということを聞いてみたい。
・自分が思うことはどれも本音で、多面体そのもの。建前を分けられない。例えば上司からゴルフに誘われたとして、家でゆっくりしたいという本音もあれば、せっかくだから行ってみたい、でもゴルフはそんなに好きじゃない、けどやってみたい気持ちもある、上司とうまくいくだろうか?、自分にはないところを学べるかも、など軸がいっぱいある。グラデーションではなく、モザイクに近い。
⇒本音ってあふれてくるようなものの気がするので、この例でいうとゆっくりしたいという最初のが本音であとは思考が入ってきているのでは?
・建前はシチュエーションによって変わるけれども、道徳性という観点でその建前の良い悪いが出てくる。建前にしぼっていえば、他人に対してどうアプローチするかという問題じゃないか。
ここでいったん休憩をはさみました。
問い決め
前半のフリートークのなかで出された問いかけや多くの人が言及していた論点のなかから、後半深めていく問いを決めました。
1.本音はあるのか?
2.相手が本音を話しているかどうか、どうやってわかるのか?
3.本音は1つなのか?グラデーションで(階層的に)存在するのか?多面的に存在するのか?
後半(対話)
投票で選ばれたのは「本音は1つなのか?グラデーションで(階層的に)存在するのか?多面的に存在するのか?」という問い。
この問いを入り口に対話をスタートしました。その際、できれば他の方がイメージを共有しやすいような具体例があったら出してくださいとお願いしました。
・本音は1つではないかもしれないけど、シンプルなものだと思う。思考の前にわきあがってくるもの、反応的なもの。思考は建前に近いのでは。
・グラデーションというよりも、多面体の面のそれぞれにグラデーションがある感じ。
・そうすると自分とは何かという話になってくる。自分の理解が進んでいくと、その面やグラデーションが見えてくるのでは。
・子どものときに、本音を言いなさい、自分の気持ちをいいなさいと言われても、たくさんの気持ちがあって、よくわからなかった。
・グラデーションというのは、価値観や社会的な道徳性に照らしていい悪いを判断することではないか。
・思考が本音ではないのならば、自分は反射的に思考が入ってくるので、本音がないのかもしれない。ペルソナというのは、その役割や立場の仮面をつけているうちに内面化していくものだから、結果的にそれは自分となっていく。ただ、古い仮面を自分の本音と思いがちなんじゃないか。
・仮面が建前だとすると、完全にペルソナを外したものが本音?
・そもそも完全にペルソナを外し切った純粋な元々の自分ってあるの?純粋な本音ってあるの?
⇒私は何者でもない、というとき、自分は空っぽという人と、自分は全てであるという人がいて、悟りに近いのかと思った。
・今多面的と言われているのは、表現方法やエネルギー、言語が違うだけで、本音はシンプルなものだと思う。根っこは同じでそのあらわれ方が違うんじゃないか。
・おそらく根源的な気持ち、感情がシンプルに本音なのではないか。
・たとえば、いじめを受けていた子が、自分よりもっと弱い立場の子をもっとひどい方法でいじめていたことがある。自分の本音にふれられないからそういう行動に走っていた。本音に近いものを出すのはとても難しい。
・本音の他に思考、気持ちなどが出てきたけれども、それぞれどう違うのか?
*
残り7分の時点で、チャット欄に「本音とは~である」のような文章、もしくは、ここまでの対話を受けて「もやもやしていること」、「浮かんでいる問い」を記入していただきました。これはいつもはやらないことですが、なんとなくそれぞれの本音の輪郭が出てきているような感じがしたからです。
・ 本音とは、ペルソナを外した中心にあるものと思っていましたが、そこは、行動とかには現れないものなので、実際に他人が感じられないものを本音と呼んでいいのかがわからなくなりました。となると信じられるペルソナを本音と呼んで、それが多角的に存在しているという解釈で良いのかとも思い始めています。
・本音とは思考の前に湧き上がってくる「私は〇〇したい」っていう想い。その後に「でもなぁ…」と思考が出てくると思います。
・本音とは自分が感じた感情と考えを言葉で表現したもの
・仮面ができ上がっていない状態の自分の感情、思考が本音なら今の私にそもそもわかる筈はない。→本音はない?
・ 脳内会議している複数の感情と思考(分人思考?)の全てが、確かに自分の思考とも思えるし、全てが外部から影響を受けているとも言える。私にとって、そのどれもが本音。 発話したり行動したりする際に、状況にあわせてたまたま一つに絞られるが、それを本音と呼ぶべきか、建前と呼ぶべきか、正直言ってよく分からない。
・本音とは、そのとき目の前にいる人との相互作用で表に出てくるもの。 だから、相手に求める前に、まずは自分自身が意識して、相手に対して本音で関わることが大切なもの。
・本音に思考は混じり、切り離せないような気がしています。目覚めている状態では、常に思考が働いていて、思考を停止するのが困難に感じています。湧き上がるものと、今まで自分が生きてきて経験から感じていること、思考、混じり合っているように感じます。
・本音と建前というように二項対立で考えることはできないと考えています。多面的な自我のある一面が発話によって1つに集約されて表面化している、と考えています。また、本当の本音というものは、想定はできますが、現実に求めることは無理なのではないかとも思います。
・本音と、感情や思考との違いが分からなくなっています。
・皆建前で話していながら、およそ今の人は本音で話していると思っているのではないか(※筆者が語尾を修正しています)
2時間の対話を終えて
本音ってどういうもの?というところをシンプル派と多面体派で意見を聞き合い、充実した時間だったと思います。
放課後は、対話中に出てきた数秘術について少し情報共有をしたあと、対話のなかで話しきれなかった部分についてこまかく聴いていくやりとりがありました。2時間の哲学対話で、いつも大体10名以上が参加してくださってますが、1人の人の話をどこまで細かく聴いていくかというのは、ファシリテーターとしても悩みどころです。ましてや1参加者の立場だと、「もう少し教えてください」「それってこういうことであってますか?」など、問い返しをしていくというのは、まだまだやりにくそうです。オンラインの場では、チャット欄も活用しながら、少しずつそういう場になっていけばと思っています。
9月の開催予定
■9月17日(土)10:00~12:00
オンライン哲学対話#32:テーマ「違和感」
※満席のため受付を終了しています。10月は22日(土)に開催の予定です。