イタリア旅行最後の日のこと
大学時代は、長い夏休みと春休みを利用して、毎年9月と3月上旬の旅行代金がぐっと安い時期に、海外旅行に行っていた。
その頃は、ブランドに憧れる典型的な女子大生だったので、行き先はニューヨークやパリなどの都市ばかり。ブランドショップをめぐり、観光名所で写真を撮る。あとはたまにサイパンやプーケット、セブなどの島に行くといういわゆる「日本人観光客」の典型のような行動をとっていた。
ある年の3月、ローマ以北のイタリアの都市をめぐる10日間のツアーに参加した。そのときは姉と一緒に行ったのだが、今まで2人ともが行ったことがないところに行こうと相談して、そのイタリアツアーに申し込んだ。決め手は値段だ。直行便で、全部の宿泊がついているだけでなく、朝昼晩のほとんどすべての食事がついて、たしか十数万円だった。当時はおそらく過去最高ぐらいの円高だったとはいえ、それでも破格の旅行代金だった。
ツアーではイタリアの主要な都市を周り、各都市に1日か2日滞在した。都市間の移動は貸切バスなのでラクだった。旅行の醍醐味は自分で行き先を考えて決めることだという人もいるけれど、「日本人観光客」の私は、移動がラクで、主要な観光名所や美術館を回ってくれる方があまり考えなくて済むのでありがたかった。
ツアーに参加していたのはおそらく20人くらいだったと思う。夫婦や女性グループが多かった。その中に、私と同い年くらいの男性が一人で参加していて、さらに母親と2人で参加した高校生の男の子もいた。私たち姉妹と、その男子2名は年齢が近かったので、食事のときなどによく話をするようになった。夜食事のあとなどにロビーなどでおしゃべりすることも多かった。
印象に残っている出来事もいくつかある。
まずベネツィアの街全体がディズニーランドみたいだなと思ったこと。これが日常なのか?と信じられないほど、ファンタジーの世界にいるようだった。街中でベネチアングラスのお店を探しているときに、松尾貴史さんとすれ違い「松尾さんですか?」と思わず声をかけたら「こんにちは」と言われたこともなんだかくっきりと覚えている。
ミラノでは、自由時間に買い物しようと思っていたらシェスタにあたってしまい、ドゥオモ広場で鳩と一緒に写真を撮ったり、マクドナルドで結構な長い時間をつぶした。「この時間もったいないよね」と思いながら『地球の歩き方』を眺めていた。
食事で訪れるレストランでは必ず飲み物を聞かれた。私は当時ワインが苦手でいつもビールを頼んでいたら、店員さんに「日本人はみんなビールばかりだ!」と憎々しげに言われたことがあった(ガイドさんが通訳してくれた。日本人観光客は団体でやってきて、みんなビールばっかりがぶがぶ飲む、と評判が悪かったらしい)。
コーヒーを飲むためにカフェに入ると、ギャルソンがものすごくにこやかに話しかけてくれる。「今晩うちに食事に来ませんか?」と誘われたことも。これもガイドさんに聞いたのだが、イタリアの男性は、女性を誘わないと失礼にあたると思っているからとのこと。
同じツアーに参加しているおじさまおばさまたちは、特にベローナだったかな、とにかくみなさんワインを購入しまくっていた。日本への送料がかかっても、信じられないほどの安さだと言っていた。
食事はどのお店も本当においしくて(ツアーの食事なのに)、旅行期間中はかなり太った。唯一の例外はローマでの自由時間に入った日本料理店で、3,000円くらいするお寿司が驚くほどまずかった。同じツアーに参加していた女性が同じ店にいたのだが、憤慨していた。パリやニューヨークと比べると、イタリアの日本料理店の質は悪いのよ、と言っていたので、詳しい人だったのかな。
イタリア滞在の最終日はフィレンツェで過ごしたのだが、その日ガイドさんから「イタリアの空港でストライキがあるので、明日帰れるかわかりません。その場合、こちらで帰りの便と宿泊を手配するので、またお知らせします」と言われた。
結局翌日、予定の時間に空港に行ったものの、空港は閉鎖され、乗るはずだった飛行機は飛ばなかった。私たちツアー客はバスで空港近くのホテルに移動し、ストが終わるまでそのホテルで過ごすことになった。ストが終われば夜にでも空港に移動するという。だが、夜になってもストは解決せず、その日はそのホテルに宿泊することになった。
夜、ラウンジでピアノの生演奏を聴きながら、仲良くなった男子2人と私たち姉妹の4人で飲んでいた。ピアニストの男性は、さすがイタリアの男性で、ラウンジの私たちに声をかけてきて一緒に飲もうと言った。ピアニストはマリオという名前だという。イタリア語訛りの英語と、たどたどしい私たちの日本語英語でも、結構楽しく会話が続いた。そのトーク中、マリオが突然言った。
「日本は今日、大変なことになっているね」
イタリア滞在中、まったく日本と連絡をとっていなかったのでそう言われても、何も知らなかった。
「大変なことって?」
「テロがあったでしょ」
「テロ?テロって、何かが爆発したの?」
「日本のやくざが、電車にガスをまいたって」
マリオの口からは、そう伝えられた。
テロ?やくざ?ガス?どういうことなんだろう?と思い、当時はまだインターネットにアクセスできなかったので、ホテルの人に新聞はないか尋ねた。英語の新聞を見たけれどまだ載っていなくて、部屋に戻ってテレビで英語のニュース番組を見ると、たしかに電車内でガスがばらまかれて、何百人かの被害者がいるようなことが話されていた。
翌朝、ストが終わり、私たちは日本への飛行機に乗ることができた。日本の状況が心配になってガイドさんに訊ねると、詳しいことはまだわからないと言われた。そういう状態で日本に帰国したものだから、帰ってきて事態の大きさに衝撃を受けた。
*
地下鉄サリン事件は、なんだか外国で起こったことのように、実は少し感じていた。日本にいれば随時テレビのニュースで情報を得ていただろうけれど、私はマリオから「テロが起こった」と聞かされただけで、ほとんど詳しい情報、特に映像には触れていなかったから。そして、帰ってきてからのことは、まったく思い出せないから。
そのことになぜか少し罪悪感を感じながらここまで来てしまった。多くの作家さんたちが事件についての作品を書いているので、あの日の距離を縮めるためにも、生きている間に読んでおきたいと思っている。
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