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水天宮前の鈴なりの人

以前、半蔵門線の水天宮前駅近くにある会社で働いていた。住所でいうと、日本橋蛎殻町。当時のことを思い出すと、やたらと昼食の時間が浮かんでくる。

昼食はお弁当やコンビニではなく、外に食べに行くことが多かった。昼休みは1日の中で気分をリフレッシュする大事な時間。できれば美味しい方がいいし、安ければなおのことよい。とはいえあんまり並びたくはない。いつも12時よりは少し早めに会社を出るか、13時くらいに行くように時間をずらしていた。

当時よく行っていたのは、「来々軒」という町の中華屋さん。ザ・サラリーマンという感じの人たちがいつも並んでいて、中華鍋が五徳に当たる音が小気味よいリズムで聞こえてくる。

その近くにある「よね家」という鶏料理のお店にも。とりわさ丼(当時は半生)がめちゃめちゃおいしくて、ここも行列が絶えないお店だった。今は閉店してしまったようだ。

それから「フルール」という洋食屋さん。昔ながらの喫茶店のような、落ち着いた雰囲気のあるお店だ。前にも書いたが、水天宮前駅の近くのおじいちゃんとおばあちゃんでやっている「三福」の定食も何度か食べに行った。

それ以外にも、ごくたまに足を延ばして人形町の「玉ひで」の親子丼。ここは相当並ばないと座れない。何かお祝い事があってぜいたくをするときには、「今半」のランチやロイヤルパークホテルのレストランでのランチなど。職場の誰かと行くことも多かったが、一人で行くことも同じくらいあった。

小さい子どもを育てながらのフルタイムの仕事は、大変なことも多かったけれど、逆に仕事の間は子どものことをいっとき忘れて集中できる時間でもある。なかでも昼食の時間は、ほんの束の間であっても、ただの自分に戻れる貴重な時間だった。だからこそそんな昼食場所が、どれもとても記憶に残っているのかもしれない。

仕事の内容も、自分のこれまでの中でもっとも濃密だったと言える時期だ。研修、コンサル、出版、イベント、動画プロデュースなど、自分にとってはすべてが初めてだったけど、どれも、自分で考えて主体的に取り組ませてもらうことができた。お取引先の多くの企業の体質を学んだのもこの時期だ。地方への出張も多かった。今考えると、子どもが小さいときによくそんなに働けたなあと不思議になる。

でも、あの時期があったからこそその後があるわけで。それはとっても「ありがたい」ことだ。


さて。
そんな水天宮前には、その会社で働くようになるよりもだいぶ前に一度だけ訪れたことがある。

長男の妊娠中、5カ月に入った戌の日に、水天宮にお参りに行ったのだ。

戌の日というのは、1日ずつ割り振られている干支が戌にあたる日のことだ。犬は多産でありながらお産が軽いことから「安産の守り神」として親しまれていて、妊娠5ヶ月目の最初の戌の日に安産を祈願するという風習があるのだそうだ。

その日、たしか土曜日だったと思うが、だんなさんと一緒に水天宮前に向かった。地下鉄の駅について、階段を上がって地上にでるとすぐ行列が目に入った。道路脇には下町っぽい小さな店が並んでいるのだが、どこが水天宮なのかがわからない。とりあえず並んでいた人に聞いてみる。

「これって何に並んでるんですか?」

「水天宮のお参りです」

そう言われ、息をのんだ。
人の多さももちろんだけど、ここにいる女の人、全部妊婦さんなのか!と。そう思うと驚愕だった。一緒に来ている人もいるから全部が全部妊婦さんじゃないのだが、それでも「戌の日ってすごいんだね」と思うくらいの鈴なりの人だった。どこが水天宮なのかわからないまま、ひとまず列の最後に並んだ。

しばらく並んでいると徐々に列が動き、やっと水天宮の階段が見えてきた。階段を上って境内に入ると、想像していたより敷地は狭く、人が溢れかえっていた。ひと際人だかりがしているところには「子宝いぬ」の銅像があった。頭のところ、耳と耳の間や鼻先がみんなに触られ過ぎてピカピカに光っていた。

安産祈祷をしてもらうつもりで行ったのだが、このときはもう並び疲れて、本堂でお参りだけして帰ることにした。

それ以来、水天宮には詣でたことがない。数年間すぐ近く働いていたのだが、食べることばかり考えてたからか(?)、お参りには行っていない。

改めてふりかえると、当時その列に並んでいた妊婦さんのお腹のなかにいた赤ちゃんたちは、それから数か月ののちにこの世に生まれ出て、すくすくと育っていたならば昨年成人しているはず……。

そう考えると、すごいことのように思えてくる。お陰様で無事に生まれ、健康に育ちましたと、今度近くにいったなら、お礼のお参りに伺おうと思う。
戌の日にぶつからないように、調べてから。

☆今日の画像は、ArtTowerさんより。




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大前みどり
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