いつでもできると思ってると、いつまでもできない
ダイエットや健康増進(維持)、体づくりのため、スポーツジムに入会したことが、誰しも一度はあるのではないか。
仕事の後に会社の近くで。
駅から家への帰り道に。
近くだったら通いやすいから。
そう思って入会を決める人も多いはずだ。
うちでは今、夫と長男が地元の24時間営業のジムに入会している。自粛期間で閉まるまではそれはそれは熱心に通っていた。それぞれ職場や大学の近くでも利用できるらしい。
一方で、私は、ジム通いが続いたことがない。まったく自慢できることではないが、20代の頃のTIPNESSに始まり、入会→お布施(月会費)→退会をなんど繰り返してきたことか。
喉元過ぎればなんとやらで、毎回「今度こそ通うぞ!」と思い入会するのだが、ちょぽちょぽっと数回通ったあとは、数か月から数年の月会費を納め続け、「またダメだったか」と敗北感を感じながら退会手続きをする。
2年ちょっと前、最後に退会したTANITAのフィッツミーにいたっては、家から徒歩1分もかからない、いつもいくスーパーの建物の中にあるのに、というていたらくだった。
ここまで来ると、「なぜジム通いが続かないのか?」という当事者研究を行ったほうが、今後の自分のためにも、同じようなことに陥っている人のためにもなりそうだけれども、今日はそんな「なぜ」の探究ではなく、いわゆる「ジム通いが続かないこと」と同じような現象を発見したので、それについて書いてみたい。
今、ジムへのお布施状態になりかかっているのが、目下契約中の、配信サービス「NHKオンデマンド」だ。金額的にはジム会費の1/10程度だけど、今わが家ではいくつも動画配信サービスに契約中なので、出費を抑えるためにもできることなら減らしたい。しかもこれは、家族の中で間違いなく私しか見ない。
NHK受信料を払っているのに、さらにオンデマンドにも申し込んだのは、過去の番組をあれこれ見られるからだ。なかでも、昨年から見るようにした「100分de名著」を、全部見たかったから。
この番組以外にも、「プロフェッショナル」や「72時間」、「NHKスペシャル」、「ヒストリア」など、たまに録画して見ていたものや、見逃した特集なども安心して見られるので、「これはいい!」と申し込んだのだ。
しかも、テレビでも、PCでも、タブレットやスマホでも見られる。イベントとして、誰かと一緒に見て、ダイアログをすることもできそうだ。
で。
今の問題はおそらく「今まで見られなかったものが、いつでも見られるようになった」というところにある。
「100分de名著」は、録画をしていたときのほうが、今よりもちゃんと見ていた。いつでも見られるようになったとたん、見ることを先延ばしにし、毎月のオンデマンドの料金だけ払っている、という状態になってしまった。今年に入ってからだから、もう4か月。
「今、こんなに時間があるときに見ずして、いつ見るのだ?」
という疑問が、最近になってむくむくと頭をもたげてきた。
「100分de名著」という番組には、たしかに批判もあるようだ。そんな短い時間で語りきれるものじゃないとか、そんなに易しく解説しても原典にあたらないと意味がないなどと。
でも、この番組で取り上げられた100冊の原本を全部読むのは、時間的にだけでなく、私の脳のCPU的にはとても無理だ。
だから、100分でその本や著者のことについてのエッセンスを知り、その研究をしている第一人者のような先生方の解説に触れられること―しかも熱がこもった語りに触れられること―は、なかなかに得難い体験だ。
名著と呼ばれるものは、世界中の、人類の中でも突出した賢人や哲人たちが、そのすんばらしく優秀な脳を使って考え、突き詰めてくれたことの軌跡やエッセンスなわけで、こんなに手軽に触れられるように用意されているのに、触れないともったいないじゃないか。
じゃあ、とっとと見ればいいんじゃね? という話なのだが、計画をたてて観ようとすると、なぜかとたんに縛られているような気になってしまう。そんな子どものようなことを言っていてもしょうがないんだけど、こういうのは、なんか目標を立てて、それを実行して、っていう感じではない。
ということでひとまず(←この「ひとまず」がクセモノなんだけど)、毎日、2放送分くらい(50分)寝る前に見ようと思っているわけです。今のところ。
NHKオンデマンドで見ることができるのは本でいうと100冊分くらい。1冊あたり25分×4回にわかれていて、スペシャルの回は1つのテーマで100分、1回。
1日、100分見ても、100日かかる。50分だと200日。少なくとも7か月近くかかる。ひえ~っ。
でも、100冊分の名著についての番組を見て、そこから何も感じない、何も考えない、何も思わないことはまずないだろう。何かしらが、何かしらとつながってくるはずだ。
うーん、ここまで書いてきて身も蓋もないんだけど、改めて考えてみると、「どうしてジム通いが続かないか」「どうしていつでも見られる番組や本は、いつまでも見ないのか」というのは、もう少し深堀りして考えてみる必要がありそうだ。
「いつでもできると思ってると、いつまでもできない」
「なぜできないのか?」
「ほんとうにそうしたいのか?」
「じゃあ、どうするの?」 ←これが一番大事だ。
ということで、元バレーボール部として「じゃあ、どうするの?」を、将来の自分へ、トスしておこうと思う。あとよろしく、私!
今日、こんなふうに、人に向けて宣言してみるとどうなるだろうか? というのも、ちょっと実験。こうしてここに書いておけば、小心者の私のこと、番組を見ないとなんか嘘をついたような気になって、見るようになるんじゃないか、とも。
そんな先延ばしプレイにここまでおつきあいいただき、ありがとうございます。。。まことにかたじけない。