言語化の話
メルティキッスのごみが落ちていた。
ほとんど雪解け水だなと思った。
なんかこう、冬の象徴が形を崩す姿が。
わかるでしょう。
"言語化"ってなんだ。
自分や誰かの思っていること感じていることを文章にする操作だろうか。
そうだろうな。
世にはびこる"言語化みたいなもの"をあまり好かない。
だれかが乗りやすいように、耳心地の良いように、きれいな形に整えて
箱を用意してあげる。
"言語化"は物事の核を見ることが肝要に思う。
ただ言い換えたり、輪郭をなぞったり、例えたり、そういうことではない。
金庫があったら
「縦長で直方体の金庫です、観音開きでダイアル式の錠がついています。」
と言われても困る。
中に入っているのは何なのだ。
"2×3=6"を教えて欲しくて
「にかけるさんはろく」
「にさんがろく」
と言われても困る。
「2が3つあったら6」くらいは言ってほしい。
用意されたブラックボックスを開かずに乗っかる"構文化"も恐ろしい。
どこかで聞いた語、そこかしこに見る文章、受け売って継ぎ接いだ君の言葉はどんな意味なのだ。
何を言っているのか理解して言っているのか。
北国の宿に泊まって翌る朝
そこに広がる真っ白な雪
「一面の銀世界」
それらしいね。良いコピーだね。
君の瞳には本当に"しろがね"に映ったのかい。
"世界"というほど広くどこまでも続いていると感じたかい。
他人の用意した型にはめるために、削ぎ落とした君の感覚はどうでもいいのか。
誰にでも当てはまる言葉には、余白が多くて広々か。
おためごかし共と僕すらを、君の表現で八つ裂きにして、灰かぶったスニーカーで舞踏会に行って欲しいのだ。
(普段の会話やアカデミックな場面にはテンプレート的な表現は大切だけどね)