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1ヶ月半で新入社員のメンタルは崩壊した#2【プライベート】

 こんにちは。花と申します。本当に梅雨入りしたのかい?と思わざるを得ないほど毎日晴れています。嬉しいです。嬉しいという感情を感じられることも嬉しいです。
 
 前回の記事では私が新入社員として入社し2か月でうつ状態になった経緯について、新生活が始まった4月から感じた仕事におけるストレスを中心に書きました。今回は仕事以外の面で落ち込んでいってしまった経緯について書きたいと思います。
 今回も、客観的に見れば恵まれているし悩むようなことではない、社会人なんてこんなものだから我慢せい!と社会の先輩方からは思われてしまうかもしれません。でも、自分にとっては死んでしまいたくなるほど絶望を感じた1か月半でしたので、ありのままに書かせていただきます。
 最近ほかの方の執筆されているnoteを見たところ、コンテンツを最初に提示してから書いていらっしゃる方がいてとても分かりやすかったので、今回は自分も倣って書いてみようと思います。
 

・希望に満ちた新生活
・無理やり遊びに行っていた4月
・会えないことが分かってしまった5月
・おかしくなっていく
・決定的な出来事
・転職するといえど…

 

・希望に満ちた新生活

 前回の記事で書いた通り、私は3月まで実家から大学に通っていて、4月に実家から約2時間の地域に引っ越しました。初めての一人暮らしです。昔から一人暮らしには憧れがありましたし、全国転勤ありの会社ではありますがたまたま実家に帰るのもさほど大変ではないところでしたので、勤務地がそこに決まった時は本当にうれしかったです。割と栄えている地域でもありましたし、こんなキラキラしたところで始まる新生活!すてき!と緊張半分・ワクワク半分で一人暮らしを始めました。
 元々きれい好きだというのもあり、いつだれが突然遊びに来てもいいように、掃除は毎日していました。引っ越し祝いに友達が来てくれたときも、一人暮らしだからもちろん泊まっていってもらえるので終電で帰らないで友達が一緒にいてくれることがすごく嬉しく、「これが一人暮らしか!最高!」と思っていました。
 お金がなかったですし、健康に過ごしたかったので食事は毎日自炊していました。実家では恥ずかしいながら全く料理をしたことがなかったため、クラシルやインスタの料理アカウントを見てレシピ通りに作っていましたが、すごくおいしくて!母の料理が毎日おいしかったので自分で料理をするのが嫌いでしたが、自分で作っても意外とおいしいことに気が付いて嬉しかったです。毎日作った料理の写真を家族のライングループに貼っては、「自炊偉いね!」とか、「実家にいたころは分からなかったけど意外としっかり者なんだね」と家族に褒められて、自分一人暮らし向いてるかも!と思っていました。
 そう思っていられるのも1か月間でした。
 

・無理やり遊びに行っていた4月

 私の仕事は平日休みです。でも前回やその前の記事で書いた通り、私は友達と会っているのがすごく好きです。そのため、仕事が始まってからも私の休みの平日に友達の地元まで1時間半かけて会いに行き、夜、友達の仕事終わりに2時間だけしゃべって帰って次の日仕事に行ったり、金曜の夜に私の家に来てもらって、23時ごろ仕事が終わった私が合流して家に泊まってもらい、次の日私だけ仕事に行くというような形で最初は遊んでいました。
 4月が忙しすぎて一瞬で過ぎたというのもありますが、友達と会えていたことで、メンタルの不調は発生せず「社会人忙しいなー」くらいで済んでいました。
 しかし友達も同じく社会人、私も慣れない仕事で疲れています。こんな遊び方ができていたのも4月だけでした。
 

・会えないことが分かってしまった5月

 5月になると本格的に仕事でプレッシャーをかけられることも増え、ストレスもたまっていく頃でした。自分もLINEの返信をするのが遅くなりましたし、友達もみんなそうでした。やはり、みんな余裕ないんだなというのが伝わってきます。しかし、みんなが休みの土日にはちゃんと返信が返ってくる、私は仕事で疲れているので返せない。その逆も然りです。こうしてすれ違いって起きていくんだなあというのを薄々感じていました。4月のような無茶なスケジュールでの遊びの誘いは出来なくなりましたし、あまりされなくなりました。
 私が一番衝撃的かつすれ違いを実感したLINEがあります。
 
「休みマウント取ってくんなよ」
 
 私が久しぶりの休みで外に出て、きれいなものがあったから写真を撮って友達とのグループに貼った時に男友達から送られてきた言葉です。
 確かに私は久々の休みでテンションが上がっていて、何の気もなしに送った写真でしたが、平日なのでその子は仕事のはずです。そんなときに楽しそうな写真が送られてきたら確かにイラっとするのは間違いありません。相手の気持ちを考えずに送ってしまった私がいけないとは思います。でも、私が素敵だと思ったことをリアルタイムで共有しただけで、相手を不愉快にさせてしまうという状況にいま自分はいるんだということを実感させられた、悲しい一言でした。
 なんで私はみんなが楽しんでる休みの日に働いて、みんなが大変な時に遊んでるんだろう。楽しいことを誰かと共有したい。全然休みの日も楽しくない。
 もちろん一人行動が得意な人や、趣味がある方にとって平日休みはかなり快適だと思います。店や施設はどこも空いていますし、一人の時間が満喫できます。でも私はそういうタイプではないんだということをここで初めて実感しました。子供っぽいだけと言われればそれまでですが、今現在の私は、誰かと一緒に楽しいことを共有することに何より幸せを感じるのです。
 また、一人暮らしの弊害が徐々に出てきました。
 ごはん作らなくちゃ。掃除もしなくちゃ、ごみ出さなきゃ、洗濯しないと明日の下着無い。実家にいるときに比べてもちろんやることは多く、いかに親に頼っていたか実感しました。そして、帰っても誰もいない。家族と仲の良かった私は最初こそしばらく一人の時間を謳歌していましたが、さみしくてさみしくて仕方ありませんでした。家族も友達もそばにいない気がして、全世界で独りぼっちになってしまった感じがしました。
 

・おかしくなっていく

 こうして仕事のストレスは溜まり、プライベートでも一番大好きな「友達と会う」ことがあまりできなくなって、少しずつ、キラキラしていた4月に比べて、元気がなくなっていきました。自分の生活に対してこだわりがなくなっていくのを感じました。
 自分は一応アパレル店員なので体形に気を使わなければいけないはずなのに、夜ご飯はコンビニスイーツ5個、次の日は昨日甘いもの食べ過ぎたしお金使いすぎだから水しか飲まない。など破滅的な食生活をしていました。そのころには親に自炊の写真を送ることはもうしていなかったので、職場でだけ、心配されないように家から作っていったおにぎりを食べていました。自炊していたころに比べて痩せもしなければ太りもしませんでしたが、たるんでだらしのない体にどんどんなっていきました。
 糖分でストレスを発散していたようで、甘いもの買わない。と心に決めてコンビニに入っても(そもそもコンビニ行くなという話なんだけど)気が付くとアイスやスイーツや安くて大容量のチョコレートなど沢山買ってしまっていて、毎回後悔するし自分が怖かったです。そして、気が付くと全部開けて全部食べていました。ブラックサンダーは今でも一番好きなお菓子ですが、それの大容量パックを1回ですべて食べてしまって、さらにほかのスイーツも食べていた時は非常に怖かったです。
 また、何時間寝ても寝なくても常に頭が痛い。寝不足で頭が痛くなるのは当たり前ですが、どれだけ早寝早起きをしてもそれが毎日続くのですごく不快でした。耐えられないほどではなかったので気にしていませんでしたが、休職中の今では全くないので原因はストレスだったんだなあと思います。
 今まで実家でぬくぬくと守られて生きてきて、すこぶる健康だった自分にとって、体の不調や糖分依存など未知なる自分の悪い変化に、これいつまで続くんだろう。と怖くなり始めたのが5月初めでした。
 

・決定的な出来事

 仲良しの友達グループで6月のある日曜日、遊ぼうという話が出ました。私は仕事終わりに合流するかということになりそうでしたが、私ももちろん1日中行きたい。ストレスでかなりしんどかった私は友達に会いたくて仕方なかったのです。意を決して、店長に来月のこの日はお休みを頂けないかと交渉することにしました。基本的に弊社では社員は土日祝は休むことが許されません。冠婚葬祭や特別な場合のみ可能ということになっています。そのため、新入社員の私が休みをいただくのはかなりハードルが高かったのですが、「友達が引っ越してしまうので」という理由で何とかお願いしました(友達がそのあたりで引っ越すのは嘘ではないです)(遠くにではないので全然会える距離なのですがw)。
 最初はいやダメですと言われましたが、そのあとシフトを確認したところなんと!休みにしてくださっていました!!本当に嬉しくて、やったーと久々に元気になって、私も行けることになったと連絡しました。
 それからは、その日は大学生の時のように1日中遊べるんだ!たのしみ!と、それだけを楽しみに仕事も頑張れました。久しぶりに友達に会うから、少しでも痩せていたいなとできるだけ健康的な食事をし、筋トレやウォーキングも再開することができました。何を着ていこうかなーとか、じゃあこの日に美容院に行ってネイルにも行っておこう!など、生き生きと生活をしていられました。
しかししばらく経ったある日
 
「ごめん、その日仕事になっちゃった。ほんと申し訳ない」
 
とそのうち一人からLINEが入りました。
 私が特に仲が良くて大好きな男の子でした。私は友達の中でもあまり会えていなかったその子に特に会いたくて、楽しみにしていました。そのLINEが来た時、一瞬思考が固まったのち、動悸がしてきました。

 やっと遊べると思ってたのに、会えないんだー
 あれだけ意を決していっぱいお願いして、日曜日休ませてもらえたのにな
 かなしい
 小学生の子供のような感想しか出てきませんでした。
 シンプルに考えれば、たまたま遊ぼうと思っていた日に仕事が入っちゃったので残念、またこんどね!という話です。その人が死んじゃったわけでもなければ海外に引っ越すと言っているわけでもありません。そして、その友達は何も悪くありません。
 でも、ストレスが溜まり溜まった私、その遊びに行くのを心の支えにしていた私にとって、それは絶望の谷底に落とされたような気持ちになる出来事でした。
 すごく泣いて泣いて、辛くて生きる希望が無くなりました。
 私が土日休みの仕事をしていれば、もしその週の日曜日に遊べなくたって来週も再来週も遊べる可能性はあるわけです。めったに休むことのできない日曜日に休めたのに、会えないことになっちゃったということが悲しいんだと気づきました。
 仕事でストレスばっかり溜まって、大好きな友達にも会えなくて、絶望するだけして、希望が見えなくて。自分で書いていても大げさに見えるだろうなと思いますが、心からそう思います。
 ワークライフバランスというか、この仕事がそもそも私のライフスタイルに合っていないことは自明でした。
 始めて2か月で心身ともにこんなに疲弊するのは、申し訳ないけど、私が悪いけど、でももうこれ転職するしかない。そうじゃないと死んでしまうと思ったのが5月の半ばでした。
 

・転職するといえど…

 転職するといえど、そう簡単にいかないことはさすがに世間知らず甘ったれの私でもわかっています。でも一番大きな壁として立ちはだかったのは、「職場の人間関係が良かったこと」です。退職しますなんて言ったら、今まで優しくいろんなことを教えてくれた上司たちはきっと怒るだろうし、そんな姿は見たくない。バイトやパートの皆さんも、私に失望するだろう。私が抜けたらそれぞれの仕事量は増えるだろう。きっともっと残業が増えて大変な思いをさせるだろうな。と思うと、やめたいとは言い出せませんでした。
 仕事を辞めるには新しい仕事を探さないといけないわけで、そのことも重くのしかかりました。客観的に考えれば、2か月程度で仕事を辞めた新卒1年目に信用などあるはずありません。特別なスキルもありません。そして、前回の記事に書いたように自分は就職活動をしていないので、世の中にどんな仕事があるのかわからないのです。これが一番後悔したことです。次にやりたい仕事も見つからない。反省はしても後悔はしない!と言いながら23年間生きてきましたが、人生で初めて後悔しました。
 辞めたい、やめられない、職場の人は優しい。この人たちを裏切るのか、でもこのまま続けたら間違いなく自殺する。次のビジョンもない、どうやって動いたらいいのかわからない。
 情けないことに一人ではどうしたらいいか分からず、毎日仕事帰りの電車では勝手に涙が出ました。人もまばらな電車ではありましたが、恥ずかしくて、でも止まらなくて。
 
 こうした日々が続いて、私はある日仕事を休みました。
 メンタルが崩壊したことにやっと気づき、友達や親に相談しはじめましたがやはり仕事には戻れず、でもやめるとは言えずに休職して今に至ります。
 きっと私は大学生から社会人に上るその階段につまずいてしまったんだと思います。ただ、この仕事は精神年齢の低い、小さい私には段が高すぎたのではないか、もっと低い階段を選べばよかったんじゃないかと思います。

 私のメンタルが不安定になり、うつ状態になってしまった経緯は以上です。5000字以上のかなり長い文章になりましたが、もし読んでくださった方がいらっしゃいましたらありがとうございます。文章に起こしてみると、こんなことでメンタル壊すなんて弱っちいな~と俯瞰して思うところもありますが、でも、このことを考えるといまだに勝手に涙が出てしまうほどつらいです。今も泣きながら書いています。
 今後は、今の自分の状態を記録するための細かいトピックや、日記のような形でどうやってこれから進んでいくのかについて書いていこうと思います。
 今回書くのに3時間かかりました。きちー。でもこの思いをいま書いておけてよかったと思います。何年後かに見返すのが楽しみです。おやすみなさい。

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